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【エッセイ】欲望は人を動かす(4/28追記)

人間というものは、貪欲な生き物だ。
というより、多分生き物はみんな貪欲だ。

生きるために、何かを欲する。

これはもう逃れようのない性だ。食欲、睡眠欲、色欲…。

元々私は、そんなに「欲」の強い人間ではない。

いや…どうだろう。
そう思い込んで、自分を納得させているだけな気もしてきた。

正確にいうと、「欲」を表出させるのが上手い人間ではない、の方が正しいかもしれない。

欲しいものを欲しいと、素直に言うことを避けて大人になった結果「欲しい」がよくわからない人間になったようにも思う。


昔から、「欲しい」を口にするのが恐ろしく下手だった。

自分が「欲しい」と言った結果、何が起こるかを想定して「望まれた答え」を言いがちだった。

これを言うことは、わがままにならないだろうか。言うことで、誰かが困ることはないだろうか…。

顔色を伺うといえば、聞こえはいいかもしれないが、子どもらしくなくてなかなか扱いにくい子どもだったと思う。可愛げがないみたいなことを、言われたこともある。私もそう思う。

例えば、私がこれを欲しいと言ったら、兄弟も欲しがるかもしれない。私がそれが良いと言ったら、他の人もそれを望んで揉めるかもしれない。

本当はゲームが欲しいけれど高いし、それより安い本なら、買う側もゲームよりは気兼ねなく買いやすいだろう。

本当は寒色が好きだけれど、相手は私のことを思って暖色を選んでくれているなら、喜んで受け取った方がいいのだろう──。

自分のためと与えられるものなら、もちろん本だって嬉しかったし、暖色だって構わなかった。それでも、「それが本当に欲しかったのか」と問われると答えに窮する…。

たいがい自意識過剰で、幼稚で独りよがりな考え方ではあるが、昔からそういうところが、あった。


果たして、そういう人間が大人になると、一体どうなるのか。

一例に過ぎないけれど、どうやら「欲しいものが、欲しい」という、何だかややこしいことになるようなのだ。

世の人が、「あのバッグを買うために、今の仕事を頑張っているんだ!」とか「最近忙しくて大変だったから、ご褒美にあのピアスを買ったんだ!」とか言っているのを、心底羨ましいと思ってみてきた。

それらはまるで、生きるためのモチベーションになっているように見えたからだ。

私からすると、そういう細々した欲望で自分を満たしながら進むことは、「生きるのが上手い」ように見える。

なお、念のために言うと、彼らが手にするバッグやピアスが欲しいという話ではない。

あくまでも私は「欲しいと思うもの自体が、欲しい」のである。


この感覚は、今でも私の中で静かにくすぶっている気がする。

だからこそ、「したい」や「欲しい」を見つけたとき、もうその見つけた感動はひとしおだ。
ただ今となっては、わりと「欲しい」に忠実に動けるようになり、それなりに楽しく過ごしてはいる。

「現在」の願望は、「未来」に繋がり、経験として「過去」に蓄積される。

何だかたいそうな言葉に聞こえるかも知れないけれど、私はそう思う。

食べたい、行きたい、欲しい…達成できたその瞬間に、それらは「現在」を満たす。

食べよう、行こう、得ようと「未来」を動かし繋がっていく心の作用となり、食べた経験、行った記憶、得た過程は全て「過去」に積み上げられて全てが「自分」になる。

欲望は人を動かす、人を満たす、人を作る。

まあ、何が言いたいのかというと「欲望は大切だ」ということだ。

そんなわけで、私は今日これから、美味しいお酒を飲みたいと思う。満たされた胃袋を大切に抱きしめて今日の私を、明日の私に託すために!

…と、まあこんな具合に、ただのお酒を飲む口実を語ってみたいと思う、私の「欲望」を満たした記事でございました…。笑

お酒は日本酒がすきです。

2024/04/28
以降追記

書き終わってから、何となく既視感を覚えて確認したら、約一ヶ月前にも似たようなことを言って(書いて)いたという。笑

どうやらこの手の話しは、私にとってなかなか気になっているものらしい!タイトルもまんま同じだったので、一応区別をつけるためにタイトルを書き換え、追記を残しておくことにする…!

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