【ショートショート】 桜餅のお味は
駅前の商店街の外れに、小さなタバコ屋があることを、この街の人はどれくらい知っているのだろうか。
今どきタバコなんて、コンビニや自動販売機で買う人の方が多い。
僕の家から駅に行くにはその店の前を必ず通ることになるので、図らずもずっとその変遷を見守るようになっていたが、これまでにそのタバコ屋で買い物をする人は、数回しか見たことがなかった。
何となく曇ったガラスのショーケースの上に、受け渡し口になる小さな窓があって、そこからたまに猫が覗いている。
趣があるといえば聞こえはいいが、どんな人が働いているのか、そもそも店として「成立」しているのか、見かける度少し不安になるような出立ちをしていた。
その古びたショーケースには、いつも時節に応じたものがディスプレイされていて、こっそりそれを見るのが、登下校時のささやかな楽しみだった。
初めてそのことに気がついたのは、中学生の頃だ。
クラスメイト数人と、いたずらをして担任の先生に叱られた、ある夏の日の放課後。
親に連絡をされたら嫌だなとか、同じいたずらをしたのに上手く逃れたクラスメイトへのちょっとした恨みとかを抱いて、俯きながら歩く僕の視界に、美味しそうなかき氷が飛び込んできたのだ。
今より少し曇りがマシだったガラスケースの中、真夏の太陽光を燦々と浴びても、溶けずに煌めくかき氷の眩しさに思わず見入った。
あのイチゴの赤色と氷の入った器の水色が、今でも鮮明に思い出される。
後々あのかき氷は、食品サンプルと呼ばれる作り物だと知ることになったが、それ以降そのタバコ屋の前を通るときは、そのショーケースを何となく気にするようになった。
秋にはどこかで拾ってきたらしい綺麗な紅葉が散りばめられ、冬にはサンタの置物が並ぶ。
もちろんサンタの後、年明け付近では鏡餅が置かれていたし、五月には小さな兜の模型と、百円均一あたりで買えそうな簡単な鯉のぼりが飾られていた。
僕はいつも、そのショーケースで「季節」を見た。
いつもいつも、何かあるわけではないのがまた良かった。イベントごとがないようなときは、大抵朱色の座布団の上で猫が昼寝をしている。
柔らかい陽の光が注ぐ中、丸くなって眠る猫の毛艶の良さが、その空間の平穏を語っているようだった。
一体どんな人があのディスプレイを作っているのだろう。
気にならないわけではなかったけれど、小窓の奥は薄暗く容易に見える感じではない。
タバコを吸わない僕が、タバコ屋に寄る理由はなかったし、いつだって前を通り過ぎるだけなので、あまり気にしないようにはしていた。
いくつもの季節を経て、中学校を卒業し高校も卒業し、気がつくと僕は大学生になっていた。
その間も、季節は繰り返す。静かに、ショーケースの中の時間も巡る──。
▪︎
二月のはじめのある朝、タバコ屋の前をいつものように通り過ぎようとしたとき、初めてその小窓に人がいるのを見かけた。
朝の淡い光の中で、その人は雛人形を大切そうに並べていた。
古びたタバコ屋が如何にも似合う、おじいさんだった。
そうか、もう雛人形を飾るような季節なのかと頭の隅で冷静に思いつつ、思わず立ち止まってその優しい光景に見入ってしまう。
そういえば…と、この時期はいつもあの小さなショーケースに似つかわしくない、立派な一対の雛人形が飾られていたことを思い出す。
あの人が、いつもあのディスプレイを作っていたのだろうか。
楽しそうに小物を持たせたり、人形の髪を整えたりしている様子を、ついついそのまま見ていると、ふとした瞬間に目が合ってしまった。
少し居心地の悪そうな顔をしながら、会釈をされたので、慌てて会釈を返す。
何だか黙って立ち去ることもできなくて、そのままゆっくり店に近づくことにした。
「おはようございます、すみませんね気が付かなくて」
にこにこと人の良さそうな笑顔で、店主と思しきおじいさんが話しかけてくる。どうやら僕のことを客だと思ったらしい。
「いえ、あのごめんなさい。えっと…」
その場しのぎにタバコを買ってしまおうかと思ったけれど、残念ながらパッと思い浮かぶ銘柄もなく、僕は言葉に詰まる。
「…素敵な雛人形だなと思って」
口から出まかせにも程があるが、思いつきに任せてそんなことを言ってしまった。
束の間不思議そうな顔をした後、そうでしたかとおじいさんは嬉しそうに頷く。そして、「せっかくなら、よく見てやってください」と二体の人形をこちら側に向けてくれた。
穏やかで優しい顔をした人形だった。その顔を見ながら、思わず心に浮かんだことを素直に口にする。
「いつもこのショーケース、綺麗に飾っていらっしゃいますよね。僕、昔から楽しませてもらっていて」
「おや、そうでしたか」
ふふ、と嬉しそうに笑いながら、実はいつもいろいろ飾っていたのは自分の孫で、この春から遠方に就職が決まったので、この先は自分がのんびり手入れしようと思っているのだと聞かせてくれた。
人形の髪を撫でる手が寂しそうに見えて、かける言葉を見失った僕を見かねたのか、「これから学校ですよね。引き留めてごめんなさい、気をつけていってらっしゃい」と笑顔で見送られ、そのまま大学に向かったのだった。
…ああいうとき、僕は何も上手く言葉にできない。
▪︎
そんなことがあったから、今日がひな祭りだということを、僕は二月の頭から把握していた。
いろいろ悩んだけれど、「この先もショーケースを楽しみにしている」と伝えたい一心で、大学の帰りに近くに和菓子屋さんがあることを調べた。
上手く言えるかはわからないけれど、とりあえずこれから桜餅を買って、おじいさんに届けるつもりで、いる。
(2321文字)
=自分用メモ=
せっかくタイムリーに行事の日と被ったので、少し関係のある話しにしたいなとこれを書き上げた。おじいちゃんおばあちゃんが登場人物に出てくると、空気が暖かくなる感じがする。感覚のお話し。
張り切って桜餅を二つも食べたので、お腹がいっぱいで更新がのんびりになってしまったという言い訳を添えつつ…!
↓感想等はこちらでお待ちしています!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?