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【エッセイ】怒るのって難しい

私は元々、わりと短気な人間だし、感情の起伏は激しいタイプだと思っている。
良くも悪くも、すぐ泣くしすぐ笑うしすぐ怒る…!

今日は、そのうちの「怒る」ということについて書いてみたいと思う。自分が気がついた、自分のための自己分析のメモのようなもの。

それ以上でも以下でもないということを前置きとして書いておく。

では、いざ。


冒頭にも述べたが、私は自分自身について、決して気性の穏やかな人間だとは思っていない。

喜怒哀楽はわかりやすいと思う。何なら「感情は常識の範囲内で、積極的に出していこう」とすら思っている。

どう考えても気は短いし、売られた喧嘩はわりとホイホイ買ってしまうような好戦的な一面もある。

ただ、いずれにしても「自制」できる。

例えば、「にこにこしていよう」と思えば、私のことをよく知らない人から見ると「この人は何をしても怒らないんだなあ」と勘違いさせるくらい、穏便に物事を受け流すことは可能だ。

楽しいことは、より楽しくできたらいいし、腹が立つことがあれば、適切な対応でそれを主張すればいい。

わざわざ事を荒立てたところで、どうしようもないことがある。どっちにしたって「自分の伝えたいこと」が相手に伝わらないと意味がないのなら、冷静に話ができるに越したことはない。

その程度の分別は、ある。

特に、教員時代「怒ること」と「叱ること」は、全く別のものだということを学んでから、より一層その辺りの自制は効くようになった。

教師が生徒に指導をするとき、怒りをぶつけることは目的ではない。
過ちを改めさせることが目的なのに、「怒り」が先立つと反発を生むだけで、相手に真意は伝わらない…。

偉そうな物言いに見えるかもしれないが、もちろんそれらはたくさん間違って、たくさん考えてようやく理解できたことだ。

よって、私は「叱ること」は一応それなりにできるようになったと思っている。

ところが。

「叱ること」ができるようになった分、私は「怒ること」がめちゃくちゃに下手になっているなと自覚することになった。


自覚のきっかけは、ここ最近心を乱されていた個人的なトラブルだった。

事情があって、非常に不透明な話にして申し訳ないのだけど、ニュアンスで読み取ってもらえるとありがたい。

トラブルの内訳は、私が「正当な私の権利」を行使しようとした際、それが望まぬ形で他者に影響すると判明したことだった。

ある意味予想できた未来なので、それを回避したくて、再三気にかけて心を砕いてきたつもりだった。

それでも、回避しきれなかった。私一人がどう心がけても回避できる問題ではなかった。過去の自分の、見通しの甘さが悔しい。ぐぬぬ。

とても悲しい。さてどうしよう。いやどうしようもない…の堂々巡りに、見事にはまり込んでしょんぼりしていたわけだ。

念の為に述べておくが、何か一つ、誰か一人を糾弾するようなつもりは一切ない。

全て自分の把握不足だと、私は考えている。
今さらどこを責めたとしても、何も変わらないからね。

ただ現状が把握できたとき、正直ものすごく困惑した。だって私悪くない。私の権利を、私はただ行使したいだけなのに。

なんで、どうして。どうしよう。ぐるぐる。

まずは問題解決の糸口探しに奔走し、努めて冷静にできることをした。大人ですから。文句ならいつでも言える、取り急ぎ「今できることは何か」。

その一心で頭を捻り、方々に手を打ちジタバタしてみた。
ちなみにその問題は、どう考えてももう恐らくどうしようもないことなのだろうなという、諦めの段階にいる。

まあ、とりあえず想定外の覚悟を決める必要ができた。

それが現時点での着地点。


それらあれこれを経て。

諦めるという段階になって初めて、自分の中に「釈然としない気持ち」を自覚した。そうそう、この記事の本題はここからなのよ。

釈然としない気持ちを掘り下げたとき、そこには「怒り」が確かにあった。

自分の中でその「怒り」を目の当たりにしたとき、怒ることはすごく疲れることだなと尻込みした。

「叱ること」に注力してきたことで、そちらに慣れている分、短気なのに怒り慣れていないというか、自分の「怒り」の消化の仕方があまりに下手だなと自覚することになったわけだ。

多分、泣くことと同じで、怒ることも変に胸に溜めずに、そのとき・その場できちんとしておかないと、感情の出し方はどんどん迷子になるのだと思う。

少々の自覚があったから、「感情は常識の範囲内で、積極的に出していこう」と心がけてはいたのだけど、まだまだ修行が足りないようで。

そんな風に、「自分のことを客観視する私」がまたいる…。この自己客観視(そんな言葉があるのかは知らない)の癖が、本当に抜けない。

自分のことなのに、他人事みたいに把握したがるというか、自分を俯瞰で見ることで処理しきれないものから自分を守ろうとしがちだ。

つまり何が言いたいのかというと、私は「自分の感情に対して、当事者意識が欠如しているような違和感を、自分に感じた」ということ。

大人になるって、そういうことなのかなあ。知らんけど。

なかなか人間って複雑だなあということを、またぼんやり「自分」を観察しながら思うわけです──。


さて、そんなわけで。

解決しきらない問題が一つあるわけだけど、「私の人生は私のもの」ということで、くくれる腹はしっかりくくって、判断し決断していきたい所存!

全体的に、ぼかしたよくわからない記事ですみません。
私の感情整理&備忘録ということで…。

とりあえず気合いを入れるために、熱いお風呂に飛び込んでこようと思う!

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