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【ショートショート】 私の生きる世界に

 どうして、みんなそんなに「他人」のことに興味があるのだろう。

 これまでにも何度となく思ってきたことを、カフェオレの入ったマグカップを片手にしみじみと思う。

 テレビでは、芸能人の不倫関係がどうとか、政治家の汚職問題がどうとか、朝からずっと垂れ流されている。

 私は、画面の中でやけに熱っぽく語るアナウンサーを、もう冷めてしまったトーストを齧りながらぼんやりと眺める。あ、このストロベリージャム美味しい。

 いや政治家の問題は、巡り巡ると自分にも多少なり関係あるかもしれないから、全くの無関心を貫くのはあまり良くないか。

 それにしても…と、パパがつけたままのテレビを横目で見る。

 その賑やかな画面の中では、数日前に発表された、誰かの偉大な研究内容が、もしかしたら別な人の手柄だったのでは!という話題が取り上げられていた。

 何だって、みんなそんなに自分に直接関係のないことを、真剣に話し合えるのだろう。当事者同士で、話し合うなり訴えるなり対処するしか、解決への道はないだろうに…。

 誰かの失敗を笑ったり、誰かの成功に難癖をつけてみたり、みんなすごいなあと尊敬の念すら覚える。

 私は大抵いつだって、「自分のこと」に夢中で忙しい。
 言ってしまうと身内ですらない、真の他人の人生そのものに、そんなにも熱を持ってワイワイできる人を見ると、不思議な生き物を見るような気分になってしまう。

 いま現在のことでいうとするなら、寝癖で大暴れしたままの私の前髪の方が、よっぽど気になる。

 明日のお天気も気になる。雨だったら新しい傘を使いたいなあ。
 駅前にできた洋菓子屋さんも気になる。シュークリームがなかなか美味しいと聞いたから、放課後に寄り道するときまで残っていたら絶対に買いたい。

 そんなことを考えながら、身支度をして登校する。

 たくさんの人が乗った電車に、いつものように乗り込む。
 電車の中吊りに、ふと視線がいく。そこに小さな字で呪文みたいにびっしりと並べられている「他人の人生のかけら」に、小さくため息をつく。

 世界にはいろんな人がいて、そういうものを楽しむタイプの人がいることがは理解している。
 別に否定はしないし、私はそれを笑わない。ただ、私とは違う人間なのだなあということだけ、そっとそして確かに思う。

 みんな、他の人にそんなに時間をかけられてすごいな。

 昨日の休み時間、同じクラスの誰かが他のクラスの誰かの恋愛事情について、随分と大きな声で語り聞かせていた。

 あの空間には間違いなく、あそこにある電車の中吊り情報を好むタイプの人がたくさんいた。わいわいと賑やかな教室を尻目に、私は自分のネイルを塗り直したいなあと考えながら、一人でお手洗いに向かったことを思い出す。

 大袈裟な言い方かもしれないけれど、「人間」として生きるためには、私の生きる世界にもこの先ずっとああいう騒めきはついて回るのだろう。

 そこまで考えてから、満員電車のなかで私は一人、ふわふわのシュークリームに思いを馳せた。


(1237文字)


=自分用メモ=
ときどき、世の中の情報の多さにめまいがするような瞬間がある。SNSにテレビにラジオ、情報の発信源はそこここにあって、心が情報過多でフォアグラのように強制的に動かされるような…。
たまにはそういうものから、意識して距離を置くことも必要だななどと思いながら書いた。


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