【エッセイ】言葉につまずく瞬間のこと
私は、よく言葉につまずく。
本当に些細な言葉や言い回しでも、一度気に掛かってしまったら、言葉そのものの意味を改めて調べたり、品詞や文法まで掘り下げたりするようなことが、ある。
些細なものに引っかかって、一人悶々とその言葉や用法を確認して、自分の中にある正解と、しっかり照らし合わせて噛み締める。
そういうことが、よくある。
もはや癖になっていると言ってもいい。
「一番最初に──」にもつまずいてしまうし、「昨日寝たりして──」と言われても気になってしまう。
今日はそういうお話し。
人間なくて七癖とはよく言ったもので、言い回しには必ず癖が出るし、使う言葉には自我が出る。
もちろん私にも自覚するだけで、複数の言葉の癖がある。
そのため、「自分の文章ではないですよ」みたいな顔をしたいときには、特にその癖を隠し、別な部分で癖を突出させて誤魔化すようなことをする。
これは多分、教員をしながらSNSを触っていた時期に、「この人はもしかして…?」と特定されないための「自衛」として身についたスキルだと思う。
言葉が近いと、いろんなことがだんだん麻痺してくるから、たまにこうして立ち止まって言葉に向き合いたくなる。
取り立てて何があった訳でもなく、今日がたまたま、そんなタイミングだった。
念のために言うが、私はこの記事で、他者の言葉に対して何かしら思うことがあるわけでも、物申すようなことをしたいわけでもない。
何なら私も、無意識のうちに、他者に引っかかりを与えるような言葉を使っている可能性だって大いにある。
自分が完璧だと言いたいとか、誰かを責めているだとかそういう意図は皆無だ。
「私が」「勝手に」つまずいて、引っかかっているだけで、どこまでも私自身の問題だ。
言葉の誤用にうるさくなったのは、ある意味この身に染み付いた、職業病のようなものなのかもしれない。
以前にも取り上げたかもしれないが、先述したつまずきに対して、念のために違和感の説明をしておく。
「一番最初」は、意味が重複するので言葉のルールの上では誤用となる。
「最初」は「最も初め」、つまりすでに「一番」の意味を含んでいるので、「馬から落馬する」に等しい違和感を私は抱くわけだ。
また、「〜たり」は単体では使わない。
これは並列・列挙の際に使う助詞で、本来は対等な物事を並べて繋ぐ意味合いで使われる。
「寝たり食べたり」なら、使い方としては正しい。
「昨日寝たりした」と言われたら、私のような面倒くさい人間は「寝る以外に何をしたのだろう…」と気になってしまうわけだ。
また、「〜たりーたり」は口語的表現になると理解しているので、いわゆる「お堅い文面」や「公的文書」で見かけると、正しく使われていても違和感が仕事をすることになる。
そういった「些細な引っかかり」が、この世界には溢れていて、ときどきひどく引っかかってしまう。
何と煩わしくて、生きづらいことか!
そんな私は、よく自分の過去の文章を加筆訂正する。
たまにふらっと自分のnoteを見返して、本当に気まぐれかつランダムに読み直し、少しでも違和感を覚えたら、例えもう読まれる可能性の低い半年前の記事であっても、即時直す。
時間の都合で推敲が至らず投稿したものや、そのときは良かれと思って投稿したものでも、違和感を覚えたものをそのままにしておくことに嫌悪がある。
何はともあれ、この世の中には、他者と共有しきれない違和感がたくさんあって、それらを感覚で乗りこなしている部分がたくさんあるんだよなあ。
とはいえ、全てをいろんな感覚を全て他者と共有できるとは思っていないし、何ならそれは傲慢だとも思うから、無理をするつもりはない。
そんなわけで、私はとりあえず「私の中の違和感」にだけは、自分のために、過敏に反応して対応して行きたいと考えている…!
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