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たかがBGM されどBGM #07

ライター情報: 櫛田 康晴(くしだ やすはる)
科学コミュニケーター。大学院・研究員時代の専門分野は細胞生物学。本展示の展示ディレクションを担当。

展示空間にBGMは必要か?

日本科学未来館、3階常設展示フロアの奥まった一角。
「微生物多様性」の看板が目を引くその展示空間に行くと、どこからともなくギターの音が聞こえる。
特異な丸みを帯びた音色とゆったりとした曲調。
私はその音を聞く度に、一言では形容し難い、複雑な気持ちを抱く。

このギターの音は、常設展示「ビジョナリーラボ セカイは微生物に満ちている」のチャプター3、人と微生物が共生する未来の暮らしを想像するエリアで流れているBGMである。
このエリアは、微生物と共生するアイディアが詰まった未来の住宅、というコンセプトのモデルルームになっていて、実に11ものアイディアが配置されている。
ソファーや仕事机などすべての家具が実寸で作られており、そこに腰かけてのんびりと過ごしながら微生物と暮らす未来の生活に思いをはせることができる。

チャプター3の展示空間(画像提供:日本科学未来館)

この展示空間を企画するうえで重要だったのは、11のソリューション・アイディアは、あくまで未来をイメージするためのきっかけであり、むしろそれらを発端として、生活空間で人と微生物が共存するということがどのような状況か、他にどんな方法があるか、ということまで想像が膨らむような体験の余白を設けることだった。平たく言えば、特定の決まった正解を探すのではなく、その空間での「暮らし」そのものに着目して欲しかった。

そのために取られた方法のひとつが、SF小説の展示だ。若手のSF作家、青山新さんは、このチャプター3の展示空間を題材として、その空間における未来の人々の暮らしを短編小説として書き下ろした。この新作SF小説『ココ・イン・ザ・ルーム』は全文が未来館HPで公開されており、さらにオーディオノベル化され、オンラインで視聴することができる。

そして、もう一つの方法が、ここに暮らす生活音を演出音響として流すというものだ。音響によってそこに暮らす人の気配を伝えることが達成できれば、生活そのものへのイメージが膨らみやすいだろうと考えた。先のギター曲はこの演出音響の一部に含まれるBGMである。

では、なぜ私はこのギター曲を聴くと複雑な心境になるのか。それは、その曲がほかならぬ私自身によって演奏されたものであり、私がその音源が作られるまでの経緯を思い出すからである。どうしてそのような状況が生まれたのか、今回はその経緯を記すことにする。

(ここから先は、展示の演出音響の制作についてのかなり詳細な裏話となる。まだ展示をご覧になっていない方で、余計な先入観なく展示を体験されたい方は、そっとデバイスの画面を閉じてその足で日本科学未来館に向かっていただくことをお勧めする。)

未来の生活音をつくる

チャプター3のモデルルームは5つのパート(リビング、キッチン、書斎、会議室、庭)によって構成されている。今回は、5つのそれぞれの場所について別々の環境音源を作成することとなった。

チャプター3の展示空間(手前はリビングテーブルとソファ)

音源を作るといっても、必ずしもすべて1から作る必要はない。
特に効果音や一部の環境音については、フリーサイト(「効果音ラボ」など)で公開されており、それらの音源を組み合わせることで演出音源に仕上げることができる。
実際に、バルコニーエリアでは、フリー素材から、朝の鳥の鳴き声と、夜の虫の声を組み合わせている。

悩んだのは会話だ。人が暮らす環境では人の話し声が聞こえるのはごく自然なことだが、フリーサイトでは匿名化されたいわゆる「ガヤガヤ」音が公開されているケースが多い。例えば空港のロビーのような多くの人が同じ空間にいる場合にはそれでも良いが、プライベートな空間の演出にはそぐわない。

最終的には、フリーの音源に足りないものは、独自に収録して補う方針となった。実際に展示の「会議テーブル」の近くでは、ビジョナリー(監修者)の伊藤光平さんのほか、私を含む展示制作プロジェクトメンバーの実際の企画会議の音声をリミックスしたものが流れている。

そのほか、ペットの犬の鳴き声、子供用の木のおもちゃの音を組み合わせて「リビング」の音を、フライパンで調理する音やシンクの水音から「キッチン」の音を構成した。

一人用の書斎(天井から吊り下げられているのがBGM用のスピーカー)

さて、ギターの音源の話はどこからやってきたのか。それは残る一つ「書斎」の音声を作る場面だった。
この一人用の書斎には、デスクトップPCを模したモニターとキーボード、マウスと、いくつかの書籍が置かれている。

基本的にはここで仕事をしているときの音声になるので、PCのタイピング音やマウスのクリック音を収録して仮音声を作った。

その音声を、今回、展示空間の設計を担当され、イベントなどの音響・照明を含めた空間演出に豊富な経験を持つ遠藤治郎さん(SOIHOUSE Inc.)に聞いてもらった。そのフィードバックは「つらすぎる」というものだった。

確かに自分でもその音源を聞き直してみると、印象としては、とても楽しそうに仕事をしているようには感じられず、むしろやりたくないPC作業をこなしているようにも聞こえた。展示内で提供する科学的な情報には影響しないが、今回の展示を通して伝えたかった、微生物と人が調和する生活のイメージに対しては大きな影響を及ぼすように思えた。

そこで私はBGMを追加することを思いついた。実際に音楽を聴きながら仕事をしている人もいるだろう。ただ、音楽を演出に利用することには特有のハードルがあった。あまたの楽曲は権利によって守られており、気に入った曲を好き勝手に拝借するわけにはいかないのだ。そこで私は、自分が昔趣味として弾いていたクラシックギターのことを思い出した。幸いクラシック音楽は歴史が長く、作曲されてから長い時間を経過していて自由に演奏して良い楽曲がある。であれば、この曲を自分で演奏して収録してしまえば、展示のBGMとしても使えるだろうと考えたのだ。

マイ・クラシックギター

趣味は仕事にならない?!

と、思いついてはみたものの、あくまで趣味としてやっていたレベルのものを、本当に展示の演出用BGMとして使えるのだろうか。いくら考えても答えが出るわけもなく、とにかくやってみるしかない。

展示のオープン前は、すべての工程が同時進行するので、とても慌ただしい。この日も日付が変わるころに帰宅し、私は、部屋の片隅で段ボールに囲まれて眠ってきたギターを取り出した。そして、根本的な壁に直面する。そもそも集合住宅で楽器を鳴らすこと自体が許されざる行為であり、ましてや時間帯は深夜だ。
しかし、締め切りはすぐ背後に迫っており、明日朝までに編集済みの収録音源を仕上げないと展示には間に合わない。

この如何ともし難い状況に、一筋の光を差し込んだのは我が家の財産ともいえる移動式スタジオだった。
私は最後の救いにすがるようにスタジオにギターと古びた譜面を持ち込み、ICレコーダーの電源を入れた。

限りなく車に近い自家用収録スタジオ

私は中学から高校までの6年間ほど、毎週クラシックギターの個人レッスンを受けていた。一度は楽器を習ったことのある方ならお分かりいただけると思うが、レッスンで一番怒られるのは「弾き直し」だ。音楽は時間の芸術であり、メロディーは譜面に沿って流れていく。従って、譜面に指示として書かれていない限り、勝手に自分の都合で時間を巻き戻して弾き直すことはできない。一度曲を弾き始めたら、音を間違えようが、音が出なかろうが弾き続けなければならないのだ。

折しも展示オープン前のラストスパートに追われる夜。日中の作業で疲弊し、さらに長大なブランクを抱えた30代の人間が、深夜に突然昔の譜面を引っ張り出してきたところで、思うように演奏できるわけがない。

最初こそかつて先生に習った通り、間違えたら最初に戻って弾き直していたが、自分はギタリストを目指して練習しているのではない。現代技術の恩恵に預かり間違えたところはカットしてしまえばいいし、収録後に待ち構えている編集作業のことを考えると、むしろさっさと収録は終わらせたかった。

深夜1時を回るころ、開き直った私は、間違えたら即座にその和音を弾き直すことにした。はじめは、自分の脳裏に刷り込まれた記憶による罪悪感を覚えたが、だんだん感覚が麻痺してきて、最後にはその背徳感に一種の心地よさすら感じるようになった。間違えることを恐れない無敵の演奏家になったような気分だ。そうして、ページの半分にも満たない短い曲をようやく弾き終えた。

あの一夜のすべての過ちを帳消しにするほどに完璧な編集を経た音源サンプルは、幸いにも遠藤さんをはじめ展示制作メンバーの好評を得て、現在は展示フロアで人々に心地よい暮らしのイメージを提供している。

ただ一人、そのすべてのプロセスを知る私だけは、このBGMを聞くたびに、アマチュアギター愛好家として超えてはならない一線を堂々と超えてしまった罪悪感を覚える。
同時に、現在広く普及しているデジタル編集の技術が、私のミスをなかったことにし、来館者のみなさんに、ほんの少しの心地よさを提供できる可能性をもたらしていることには畏敬の念も抱く。

今はただ、この記事がかつての師の目に留まることがないことを祈るのみである。


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