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【エッセイ】 映画主義宣言日と川上弘美『なんとなくの日々』『此処彼処(ここかしこ)』

(写真は下鴨神社「古本市」)

首都圏の生活を締めくくり京都に戻ってから何年経つのだろうか。
京都に戻り半年ほどで、荷物だけでなく気持ちの整理もつき、なんとなく日記をつけるようになった。

とりあえず京都日記と名づけた。
日記といっても、これまで気まぐれに生きてきたわたしにとり、日課と義務づけても続くはずない。そこで、思いついたら書く、というユルイ気持ちで始めた。
ところが、日課とまではいかなくても、思いもよらず真面目な日記になっていることに気づいた。しかもいつの間にかガチの映画日記になっている。ある年の元旦の日記には《映画主義宣言》の用語が見られる。

今年は映画年にしよう。10年近く映画から遠ざかっていたのだが、昨年の後半から映画を見るようになり、映画再発見という気になった。以前のように年間200本というわけにはいかないのだが、徒歩圏に京都シネマや立誠シネマ(2017年12月に出町桝形商店街に場所を移し「出町座」として再始動)があり、魅力的な作品を上映している。演劇を映画に移行させようというわけである。映画には演劇と違い物質としての身体はないけれど、フレームという矩形の身体がある。フレームは監督の眼差しの表出であり、その意味では監督のものであるから、フレームが介在することにより、《監督/観客》は《支配者/被支配者》の関係にある。しかし、だからこそ、映画を見る者にとっての《支配者/被支配者》という不自由さが、フレームの《内/外》へと向かう眼差しの力を生み出すという現象を生じさせる。《フレーム=身体》である。今年はその再発見年としたい。
この映画いいねと君が言ったから1月1日は映画主義宣言日。

(映画主義宣言)

革命でも起きそうな勇ましい宣言文である。
この日は京都日記を映画日記とする宣言日ともなり、それがいまだに続いているのである(ある意味これは凄い!)。ところが、これはまずいなぁ、こんな日記になるはずではなかったのになぁ、とぐだぐだと映画日記を回避すべく書くことをしばらく控えていたら、なにも書かない日がひと月以上も続いてしまった。

別に映画日記でもいいのだけれど、もっと日常に寄り添ったことが書けないものだろうか、という気持ちになったのである。しかし、日々の単調な生活にはこれといって書くほどの出来事もない。今日は昨日と同じだし、明日は今日と同じである。日記は私的なものとはいえ、これはある種の記録なのだから、やがて自己(まれに他者)が読み返すということを前提としている。はたしてわたしに読み返すほどの日常があるのだろうか。いや、わたしだけでない。多くの人は、書くほどの変化に富んだ日常があるのだろうかという疑問である。

人はどのような日記をつけているのか。見知らぬ人の日記を読むことはできないから、作家の日記文学を読んでみた。
書店でいくつか手にした本の中に、川上弘美の日記風エッセイ『なんとなくな日々』『此処彼処(ここかしこ)』に興味を覚えた。なにげない日常にも、ずいぶん豊かな表情があるものだと感心したのだ。

『なんとなくな日々』というタイトルにしても、「なんとなく」と「日々」を、「な」というという形容動詞の連体形で繋げたに過ぎないのだけれど、日常をたゆとうなんとなさが立ち現れてくるような素晴らしい表現である。わたしも映画のことばかりではなく、なにげなく過ごしていれば知らないうち視線から外れてしまう日々を、言葉で掬い上げてみたいと思った。

『此処彼処』は地名をイメージとした日記風エッセイである。
川上弘美が不意に口をついて出る言葉に「ソテツのぶた」がある。これは彼女が子どもの頃、親類のお兄さんが、新婚旅行のおみやげに宮崎で買って来てくれた、ソテツでできたうずらの卵くらいの大きさのぶたの置物だ。どうやら、宮崎を含む九州南部の郷土玩具のようだ。「ソテツのぶた」を見ながら、新婚旅行から戻って来たときのお嫁さんの白い帽子と白い衣服のこと、自分もやがてはお嫁さんになるのかということ、その時のお兄さん夫妻の佇まいのどことない怖さ、そんなことを感じたという。「ソテツのぶた」は、彼女が25歳を過ぎるまで本棚に置かれていた。今では、「ソテツのぶた」は、その意味自体は摩耗してしまった言葉になってしまったけれど、春になったいま(作者がこのエッセイを書いた頃)、不思議にいつもにも増して「ソテツのぶた」を思うという。

現在の川上弘美は、あの時のお兄さんやお嫁さんの年齢をとっくに越している。それでも、「散り始めた桜の下を通るたびに、ソテツ、の、ぶた、とわたしはつぶやいてみる。それから少し足を早める。」そしてそのときの情景を、「春が闌けてゆく」と記している。

闌けるは、「春闌けて」「日闌けて」のように、盛りの時期、たけなわ、といった意味で使い、俳句の季語としてもよく知られている。しかし、「年闌けた人」のように、「たけなわ」というダイナミズムから次への移行である「盛りの状態を過ぎた」、という意味にもなる。『此処彼処』が出版されたのが2005年だから、この文章が書かれたのは、彼女がまもなく50歳になろうとしている頃である。50歳といえば人生の終焉ではないものの、それに類することを感じる年齢である。川上弘美は、新婚旅行から戻って間もない「お兄さん夫妻の佇まい」を見たときの「怖さ」、をいまも思うという。その怖さとは、性との直接的な触れ合いはまだ訪れてはいなかった幼年期だったけれど、そのことがなにを意味するのか朧げながらも想像でき、やがては自分もそうなるであろう少女期特有のまだ見ぬ「性」のことなのである。
「ソテツのぶた」と「散り始めた桜」が彼女の感覚を不意に揺さぶり、それを、「春が闌けてゆく」、と記したのだろう。

わたしもこんな文を書いてみたいと思う。川上弘美とわたしとは比ぶべくもなく、それはないものねだり、ということは分かっているのだが……。

春も終わりまもなく5月。新緑の香りが漂い始め、わが家から見える東山は薄い緑である。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

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