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アメリカ人の夫が『PERFECT DAYS』に憧れる理由

 子供が高校生になって、親子3人で観たいという映画がずいぶん少なくなった。一人息子が小学生の頃は毎週末のように近くのシアターに行き、一番大きなポップコーンを買っての映画鑑賞が恒例のイベントだった。コロナの間は、うちでポップコーンを山ほど作ってネットフリックスを観るのが新しい楽しみに。大人の鑑賞に耐えうる良質な子供映画、子供も楽しめる心温まるドラマ、老若男女がワクワクするライトなサスペンスやスパイもの。3人が好きな映画やドラマを見つけるのはそんなに難しくなかったのだけどな。
 子供がティーネイジャーになると、キッズ映画は観なくなるし、ちょっと甘めのストーリーも興味がなさそうだし、週末の夜も子供が一番他の予定で忙しかったりして。しばらく一緒に映画館にも行ってなかったのだけれど、久しぶりに3人が興味を持ったのが『PERFECT DAYS』。もちろんシアターで一番大きいポップコーンにたっぷりバターがけで、大人はビールも買い込んだ。
 夫はトータル在日期間20年は超えるアメリカ人だ。日本で長く、アメリカの銀行の仕事をしてきて、燃え尽きてアーリーリタイアしたところ。アメリカの世界規模の金融関係企業≒グローバルビジネスだとしたら、それは脇で見ていても凄まじかった。凄まじく努力し、凄まじく競争し、成果をあげ地位を上げれば収入が1、2桁が違ってくるから、たいていの小者は醜い面がどんどん出てきて小狡く上手くやる、そうしながら競争する。夫はワーカホリックなほど働きいつも仕事で頭がいっぱいで、素晴らしい成果をあげ素晴らしい地位も得たけれど、本当に成し遂げたかったことはライバルに邪魔され、目標の地位には届かなかった。仕事を辞めて1年になるけれど、あんなにまで仕事にのめり込んでいた人が、のんびり暮らして幸せそうだ。
 『PERFECT DAYS』を観た後、どうだった?と聞くと、夫は「だーいすき」と言った。学生時代に留学していた頃の東京の質素な部屋や通った銭湯を思い出すとも、小津安二郎の『東京物語』を思い出すとも。そして「映画のメッセージは何?」と聞く15歳の息子に、「どんな仕事にも尊厳を持ってきちんとやる大切さ、お金がなくても生活を丁寧に楽しむことができるということ、毎日の木漏れ日に幸せを感じたりするように。使いきれないほどのお金を持っていても不幸な人がたくさんいる世の中で。とても、とても日本的なメッセージだよ」と答えた。
 夫は清貧の人などではない。アメリカで生まれ育ち、アッパーミドルの競争社会が彼を形作り、元々は政治家を目指し世の中を良くしたいという気持ちはずっと彼の中で一本の筋となっているけれど、金融業界で競争して出世もしてお金も儲けたいという人であったことも事実だ。おそらく夫は、トイレ清掃員はやらないだろうが、主人公の心の中の幸せには憧れている。
 一方私は、日本のもっとのんびりした会社で楽しく働き、6年前に縁あっていわゆる外資系、アメリカの企業に転職した。そして、夫がマテリアルなアメリカ人として生きながらパーフェクトデイズの価値観に惹かれる理由がやっとわかるようになった。私も転職する前は、いわゆる古き良き日本企業の曖昧さやゆるさが日本経済をダメにしているのではと思っていたが、転職してみて、どこにも理想の組織などないのだと思い知った。アメリカ企業の、収入が1、2桁違ってくるような成果主義の激しい競争は、企業を効率よく成長させるが、あまりに人の醜さを引き出して人間を嫌いになりそうになるので、いいシステムとは思えなくなってきたのだ。
 15歳の息子は、この映画の深みはわからなかったようだが「また何年かしたら観る。映画って後でまた見ると、最初は分からなかったことがわかったり、違うことを感じたりするから」と言う。インターナショナルスクールに通い、アメリカの競争社会で生きていこうとしている彼に、両方の価値観を客観的に理解してほしい。そして揺るがない自分の価値観というものを持って、自分の心の中に揺るがない幸せ作ってほしい。この映画がいつかふと彼の胸に浮かび、2度目を観ることになるのは、彼がアメリカのどこかの街で少し働き始めた25歳頃だろうか。ママとパパとこの映画を観たなと、ポップコーンの香りや観た後の会話と共に思い出してくれるだろうか。


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