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超近所で起こっていた殺人犯の逃走事件

今から二日前の月曜日、いつも通り仕事を終え、車で帰宅中のときのことでした。
私たちが暮らすアパートから500メートルあたりにある小学校の前を通りがかったとき、いつもとは違うことに気づきました。学校はないはずなのに、まるで、登下校時のように小学校の駐車場が車でいっぱいだったのです。それがよく見ると、駐車された車は全てパトカーという異様さ。ふと見ると、路上にもパトカーが連なって止まっていて、その光景は私たちのアパート前まで続いていました。今までに目にしたことがない数のパトカーでしたが、パトランプが点滅していたのが路駐されていた1台のみだったのも、なんだか変。
まず頭を過ったのは「小学校で銃撃事件?」。この思考自体、アメリカならではなのでしょうか。でも、テレビのニュースで見たことがある物々しい雰囲気もなければ、お巡りさんの姿はもちろん、ひとっこひとり見当たらないのです。今の時期、学校は新年度前のお休み中だし、これは一体どういうことなのだろう?と考え、行きついた私の予測。

 「きっと夏本番を前に、お巡りさんの会合かなにかがあって、休みの小学
  校が会場になったのかな?」

もしくは、

 「新人のお巡りさんのオリエンテーションとか?」


というものでした。
今一腑に落ちないとろこはあったものの、それ以上は気にしませんでしたが、その日の夜になって、ふと思い出し、旦那さんにその日に見た光景と私の予測を伝えました。それを聞いて、その時は「ふ~ん」と特に関心も見せていなかった彼。ところが、次の日に仕事から帰ってきた彼の口から聞いた驚きの事実とは…???

なんと、ここから車で10分ほどに位置する病院から、日曜日の明け方に殺人犯が脱走して、逃走をしていたというのです。どうやら、私たちのアパートのすぐ横を流れている小川に逃げ込んだらしく、私が目撃した大量のパトカーは、逃走犯の捜索をしていたお巡りさんたちのものだったというのです。
Wow!
私が勝手に想像していたお巡りさんたちの、のどかな集会とはかけ離れたことが起こっていたのですね。少し詳しく調べてみると、今年の4月に二人を人質にとって銃撃戦を繰り広げ、結果的に1名の命を奪った銃撃&殺人事件の犯人が、今回の逃走犯。日曜日の夜中の3時過ぎに病院から逃亡して、翌日月曜日の昼過ぎに確保されるまでの30時間ちょっとの間、そのエリアを200人を超える警察官が捜索をしていたそうです。
私がベーカリーでの仕事へ出勤するのに家を出たのが、日曜日の夜中の3時前、つまり犯人が病院を脱走する1時間ほど前。そして、帰宅中に大量のパトカーを見たのは月曜日の午前11時過ぎ、つまりは、犯人が確保される1時間ほど前のこと。
そして、確保された場所はというと、小川の少し上流エリアということで、地図上の距離では、ここから500メートルちょっとのあたりらしく、可能性としては、犯人と遭遇なんてこともあったのではないかと思えるタイミングでの出来事だったのです。なんかヘン、ということに気づいただけで、直接我が身に何も起こらずに済んだことは、本当によかったとしか言いようがありません。
今までに見たことがない大量のパトカーの光景も奇妙なものでしたが、にもかかわらず、人っ子ひとりいなかったことは更に奇妙でした。それなりに注意を払っていましたが、人の声さえしませんでしたからね。だもんで、つい、お巡りさんの会議かと思った次第でして。
そういえば、もう何年も前になりますが、この近隣を対象に、夜中に脱走犯の捜索がされていたことがありました。あのときはヘリコプターがサーチライトを照らしながらの捜索で、その中を車で出勤するのに、間違われないかなと心配したものでした。

世の中一般的なイメージ通り、銃撃事件のニュースが多いのは、やっぱりアメリカの現実です。犯人や脱走犯の捜索が多いのは、逃げる方が積極的なのか、追う方が積極的なのか、はたまたその両方か… 
基本的にのどかな郊外であるこのあたりでさえ、今回のようなことが起こることには、少なからず驚きです。めったにあることではないにも関わらず、意外にも、住民たちの間で大きなニュースになっている雰囲気がないのは謎。今回にしても、私がたまたま見かけたパトカーの光景を伝えた旦那さんが、その翌日に、たまたま同僚から逃走劇の話を聞いて、そのふたつの話がつながっただけ。

とりえずは、いつもと違う光景に気づいて注意できた自分を、それなりにアメリカで生活できてるじゃん、と褒めてもいいのではないかと、旦那さんを促してみたところ、何かを察知したところまではよかったとしても、お巡りさんたちの会合という平和的予測に落ち着いた結果に「まったく...」と首を横にフラれ、期待したお褒めの言葉なく終わってしまいました(笑)。

アメリカに10年住んだところで、私にとっては所詮は外国。私は日本人で、ここでは私が外国人。ここでの経験が足りていないのはもちろん、知識として知らないことも多いし、感覚だって違って当たり前。それを改めて認識したうえで、せめてアンテナに磨きをかけることが、日々の生活でできることですかね。もちろん、何も起こらないに越したことはありませんが、何かが起こった時は、その後の可能性を見極めるべく想像力と、それに応じるべく判断力が求められることなのでしょう。まぁ、これについては、どこに住んでいようと。
とは言ったものの、やっぱり言っておこうかな。

アメリカ、こわっ!

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