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覚 書 (β version)


第一章 序 論

 
 この文章は、私自身が1997年から活動をはじめ、2023年のART3.0までに至る覚書である。また2023年以降の、これからの活動指針でもある。
 まず第二章では無意識的ではあるが、現在においてプラグマティズムなどのアメリカ哲学に、大きな影響を受けた原初的なベースについて述べる。第三章と第四章では、アートに対する不信や疑問からアートの定量化を試み、様々なモデルを展開する。第五章では再度自分自身を批判的に捉え直すことを、脱構築から試みたものである。
 アートというものが非常に理解し難いものであり、それぞれがそれぞれの考えや思想を持って、アートとしていることは否定するものではないと考えている。しかし、アートをそもそも理解しようとしてもいない人間が、理解しようとしている人間を、初めから否定することも否定するものではない。何も考えもせずに、アートは考えるものではないという無責任な態度には非常に耐え難いものがある。それらを、既得権を守る保身だと認識されることは避け難い。私は誠実にアートと向き合いただ謙虚に、アートに信じるに足りる根拠を他者に依存せずに得たい。ここに書かれているものは、そのようなものに過ぎない。
 私はこれからもアートに向き合い、そしてあらたに気づきを得ながら自分自身を成長させていきたいと、心から自分自身に願っている。人間だからこそ煩悩を持ち失敗するが、失敗するからこそ成長し、さらに気づきを得るのだろう。これを繰り返す以外に人間らしさというもの、つまり「アートとは何なのか?」に、少しでも近づくことができることはないのだろうと確信している。
 結果として「アートとは何なのか?」を、理解できなかったとしても、私は人間として少しでも成長できたならば、それ以上に求めることはない。
 
 
 
 
 
 

第二章 私とは何か(思考と認識の素粒子)


2-1) 原初体験

 
 私にとってアメリカというものは、常に強い影響を受ける存在であった。幼少期を考えてみると、阪神タイガースの熱狂的なファンの両親の元、気がつけば、私の夢はプロ野球選手という事になっていた。その上で、小学校5年生の頃には地元のリトルリーグ、そしてリトルシニアリーグと順調に野球エリートとして駆け上がり、高校進学時には野球留学と称して、地元を離れ鳥取県の高校へ進学した。ここまでの原初体験だけでも、アメリカという要素の影響が大きいことが理解できる。それは、そもそも野球がベースボールというアメリカの国技であり、リトルリーグはアメリカ発祥の組織であり、アメリカではボーイスカウト活動、青少年赤十字団などと並ぶ社会活動の団体として認められているからである。しかしその当時はそのような事を理解していたわけではなく、後に振り返った上で理解したものである。
 
(資料-1)

(91’雪印杯 全国選抜リトルリーグ野球大会 本人前列右4人目) 


2-2) ストリート文化


 幼少期からファッションや音楽に多感であり、小学生から聴きだした音楽はレゲエである。団地に住んでいた私は、姉が聴いていたラジカセから流れるレゲエの音楽を聴いていた、それがボブ・マーリーやシャバランクスであった。それは、私が住んでいた地域の独特なローカル文化の影響が大きいと思われる。さらに、そのローカル文化はレゲエとアメリカ古着という、アクロバティックな融合を実現させており、それは当時アメカジ(アメリカン・カジュアル)として流行していたわけである。当初はレギュラー物(安価なアメリカ古着)だったが、だんだんとオールド物(アメリカ・ヴィンテージ古着)へと趣向は変遷し、1950年代のアメリカファッションやロカビリーやアイビールックに至る。
その後、ヒップホップ文化の影響を受けて、B-BOYファッションなどからスケートボード文化へとたどり着いたのが高校生だった。私は当時、野球留学で鳥取県に住んでいたので、高校野球での夏の予選敗退と同時に、鳥取県の野球部の寮の前でスケートボードを始めた、それが1996年のことである。一見するとスケートボードを始めた事は、大それたことでは無さそうであるが、これが思想として大きな影響になる。なぜならばアメリカでも西海岸と東海岸では大きく文化や考え方が違うからである。さらに言えば南北でも違うであろうが、特に私は東海岸の都会的なヒップホップカルチャーよりも、西海岸の田舎的なスケートボードカルチャーに大きな影響を受けた。というよりもそちらが私に合っていたのかもしれない。おそらく当時の最先端の文化を体現していたように思うが、1998年当時、例えばミクスチャーやダブルネーム、クロスオーバーなど当たり前にあったものが、現在では重要なものと捉えられている。それはアカデミックな場所では、学際とも呼ばれるものの創発として捉える事ができる。また、スケートボードカルチャーやストリートカルチャーには、非常に重要な思想が隠れている。それはDIY精神(Do It Yourself)「なんでも自分でやろう」である。このDIY精神は、私にとって最も重要で尊いものとして、今も大切にしているものであり、これからも重要なものであり続ける。さらに言えば、このDIY精神こそが現在の日本にとって、重要な精神なのではないかという考えの元に、作品制作をし、DIY精神を伝えようと活動しているのである。このような事を踏まえた上で、私は1998年当時にストリートアート活動を開始した。当時は西海岸のスケートボード文化と、アートがクロスオーバーした文化が流行した。その上で、私が最も影響を受けたのはマーク・ゴンザレスである。また、当時そのような作家を紹介するギャラリーとして、アレッジド・ギャラリーなども東京に開設され、そこではバリー・マッギーやマイク・ミルズ、マーガレット・キルガレンなどの作家も注目された。このような当時の状況の中で、私は2002年にスケートボードショップで初めての個展を行なった(資料-4)。これはスケートボードショップとアーティスト、スケートボードとアートのコラボレーション、ダブルネーム、ミクスチャー、クロスオーバーとしての取り組みであった。
 



(資料-2)

(ファッション誌「カジカジ」2001年9月号(街の眼)本人上段中央)



(資料-3)

(ファッション誌「カスタマ」2001年9月号 本人中段右側)



 
(資料-4)

(ファッション誌「カジカジ」2002年7月号 本人個展情報



 
(資料-5)

(業界誌「プライベートアイズ」2010年6月号 18頁)



第三章 ブラックボックス(呪術と錬金術)



3-1) ストリートアートから現代美術


 2002年にスケートボードショップでの展覧会を境目に、本格的にアート活動を始めることになる。もともとファッションや音楽、ストリートカルチャーから強い影響を受けており、アメリカ西海岸のスケートボード文化や、ストリートアートの、ある種「ゆるい」感覚に共鳴しており、マーク・ゴンザレスなどに強い影響を受けていたのは、前述した通りである。2002年のスケートボードショップでの展覧会で展示した作品もそうであるが、それまでに描いていた作品も、「線」や「面」、そして「ベタ塗り」だけを使った「ミニマル」な作品を制作していた。それは意識的に、意図的にその様なスタイルにしたのではなく、等身大の私の表現として、その様になっていたのである。当然、アメリカ西海岸のスケートボード文化に影響を受ける前に、アメリカ東海岸のヒップホップや、ニューヨークなどの、都会的なストリート文化などにも影響を受けている。例えば、ヒップホップ文化の映画「ワイルドスタイル」や、グラフィティ文化の映画「スタイルウォーズ」には強い影響を受けており、特に私は後者の「スタイルウォーズ」に影響を受けている。この二つの映画は、当時のヒップホップに影響を受けた人間でも、二分する映画作品ではないだろうか。グラフィティライターの系譜として、影響を受けた作家をここで挙げておくとすれば、バスキアやフューチュラ2000である。つまり私は、2002年にスケートボードショップで展覧会を開催する前から、作品様式の基底があり、その様な「ミニマル」な作品を制作していた事が理解できるだろう。
 ではなぜ私がこの様な「ミニマル」な様式に至る過程をあえて、前述の様に述べたのか。それは、私がスケートボードショップでの展覧会を境目に、スケートボード文化やストリート文化を超えて、「美術」や「アート」の領域へ足を踏み入れてしまったからである。ちょうど2000年前後に、村上隆や奈良美智が海外で評価を受けて、逆輸入として日本でブームが起こっていた時期と重なる。多感である私は、当然その様なブームにもアンテナを張っていたので、その動向について追っていたわけである。この2000年頃に、私の中でヒップホップやスケートボード文化と、アートや美術が統合した。また同時に、当時抱いていた「違和感」というものが鮮明化した。そのことに自分の人生を掛けようと、自分の人生と命を実験台にしようと、決意した時である。また、その決意をするきっかけとなった人物こそ村上隆である。
 私は2002年のスケートボードショップでの展覧会を皮切りに、次々と個展や展覧会、アートイベントなどの活動を、2010年5月の「ウェブアート宣言」まで行なっていた。2002年6月にスケートボードショップで個展、2002年7月に続けて古着屋で個展、2002年8月に村上隆が主催する「GEISAI-2」に参加している。私の中ではこの2000年代における悔しさと怒りは、おそらく一生消えないであろう。それは何か、あらゆる誹謗中傷である。「分かった様なことするな」とか「似非アーティスト」、「自称アーティスト」、「アーティストごっこ」、「おままごと」など、様々な誹謗中傷を受けた。しかし、その様にほとんどの人間が馬鹿にしてくる中でも、私を様々な形でサポートしてくれる人々が、当時から少しでもいたことが、現在の私につながっている。特に2002年に初めて個展を開催させていただいた、スケートボードショップのオーナー。また今はもう廃業してしまっている画材屋のオーナー。また2000年代、何度も現代美術のグループ展に呼んで頂いた、アーティスト・イン・レジデンスの代表。そして全ての支援者に感謝している。
 その上で、私は大きな違和感を抱いたのである。実際のアート活動を通じて、人々は何を持って「美術」や「アート」、「アーティスト」と定義し、またそれを「認め」、それを「評価」しているのだろうかと。それから私の「アートとは何なのか?」という探求がはじまった。
 その頃は、まだインターネットも現在のように普及しきっていなかったので、テレビや雑誌、あらゆる媒体を通じて村上隆の言動を追いながら、「アートとは何なのか?」というものを探求していた。そして2006年に村上隆の著書「芸術起業論」(村上隆. 芸術起業論. 幻冬社. 2006.)を読み、それと自分自身の経験を照らし合わせることで、アートのブラックボックスを様々な視点で認識することになった。しかし、アートをブラックボックス化することは人間だからこその原理であり、人間とはある種の「幻想」の中を生きているということを、強く体験したのである。
 私はある種、村上隆というイニシエーションを通ることで、その頃同時にアメリカで進んでいたパラダイムシフトや、イノヴェーションの本質的な意味をとらえることができ、オープンソース的なるものの哲学的意味を理解したのである。また同時に、プラットフォームを創造することがアートであることに気づき、私自身のアート作品がパラダイムシフトや、イノヴェーションを起こす重要なエピソードとなった。
 それまでの日本美術は、「どこかの誰か」にフレーミングされた中で、その部分としての「要素」がアートであり、そのフレームに対する「信念」が、その「要素」(アート作品)たり得る条件だったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私は2009年、「覚り」(空)(縁起)を体験した
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

3-2)  アートフレームの創造と定量化(信念の合意形成)


 私が、「アートとは何なのか?」という探求をはじめてから約10年。2010年5月「ウェブアート宣言」を発表した。その上で、「ウェブアート宣言」というアートフレームの創造に対応する定量的な芸術概念として、「ウェブインスタレーション」を定義した。以下にその概要を示す。
 

3-2-1) 「ウェブアート宣言」


「ウェブアート宣言」
 
本日、2010年5月9日。
インターネットという虚像と実像が共存する場。
虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
その媒介した場所が空虚である。
インターネット上のウェブはまさに空虚である。
その空虚であるウェブで。
己が己である事を確認し。
ウェブインスタレーションと定義する。
 
https://www.machromatic.net
 
 
 
【ウェブインスタレーション概要】
 インターネットにある種の空間性を見出し、これまでのインスタレーションの手法を仮想空間であるインターネットに持ち込んだものである。基本的にインスタレーションは一時的であるが、ウェブインスタレーションは一時的かつ恒久的なものである。ウェブインスタレーションは作家の創作によるWeb情報をインスタレーションとしている。そのため、インターネットの存在が必須であることから設置場所に固有(サイトスペシフィック)のものであり、その点においてこれまでのインスタレーションに共通している。しかし、通常インスタレーションは一つの空間を前提に行われるが、ウェブインスタレーションは各デバイスの画面を境に、現実空間と仮想空間の二つの空間を扱っている(二重の空間の使用)。例えば、ガラスを用いて考えてみると、ガラスは向こう側の空間と、こちら側の空間を隔てているように見える。しかし、そのガラスに紙幣などを貼り付けると、どちら側の空間にも属していると観ることができる。ウェブインスタレーションでは、ガラスの様にデバイスの画面が仮想空間と現実空間を隔てており、ガラスに貼り付けた貨幣の様に画面に映し出されたWEB情報によって仮想空間と現実空間の境目が消し去られるのである。すなわち、鑑賞者はそのWEB情報を前に仮想空間、現実空間の境目のない空間に置かれることになる。鑑賞者の閲覧が終われば、デバイスの画面は閉じられ、記憶の中でしか残らない。ゆえに、ウェブインスタレーションは鑑賞者側が流動的であるという点において一時的(テンポラリー)である。しかし、サーバー情報の削除を例外とし、サーバー情報にアクセスする(インターネットに繋がる環境にある)ことを前提とすると恒久的である。すなわち、恒久的にサーバー情報が浮遊しており、インターネットを介して鑑賞者が流動的に参加することでエレメントが揃うのである。なお、作家の創作によるWEB情報とは、作家自身が作成したホームページ等を指し、Facebook、mixi、YouTube等の既存のSNSや動画投稿サイトのようなアーキテクチャを利用したものではない。ウェブインスタレーションは、仮想空間と現実空間の境目のない空間を意図しており、現在のメディアアートにおけるインターネットアートが一般の現代芸術や実空間との仮想空間の橋渡しという観点で語られている点において異なる。また、ウェブインスタレーションは西洋美術の文脈に倣い、インスタレーション、シミュレーショニズム、そして独自の美術理論である「ごっこ論」により展開されている。鑑賞者を現実空間と仮想空間の境目のない空間に置くことで、人は何にリアリティを見出し、信用するのかを問題視している。作家の創作によるWEB情報をインスタレーションとして設置することで現実と仮想の同期をアイロニーとして取り扱っている。
 
https://www.installation.jp
 
 
 
 以上がアートフレームの創造としての「ウェブアート宣言」と、その定量化としての芸術概念の、「ウェブインスタレーション」である。その後、数年おきにこの芸術活動を行なっている。次に現在までのアートフレームとしての「宣言」とそれらを「定量化する芸術概念」を紹介する。
 

3-3) アートフレームの創造としての宣言


・「ウェブアート宣言」(2010年5月9日)
・「スマートアート宣言」(2014年9月1日)
・「量子論美術宣言」(2016年3月31日)
・「デリバティブアート宣言(芸術派生宣言)」(2018年4月14日)
 

3-3-1) 「スマートアート宣言」


「スマートアート宣言」(2014年9月1日)
 
アートはテクノロジーに学ばなければならない。
テクノロジーはその複雑性を排除し市民権を得たのだ。
しかしアートはその複雑性を担保に、
いまだに特権的な地位を確保し、
特権階級のものにとどまっている。
アートはテクノロジーに学ばなければならない。
アートもその複雑性を排除しアートの確固たる市民権を獲得するのだ。
アートの複雑性の排除とは、思考の帰結である。
思考の帰結とはこの「スマートアート宣言」の概念である。
スマートアートの概念では鑑賞者をユーザーと定義する。
それは、アートは人の心に作用するデバイスだからだ。
アートは様々なデバイスを使用することを許している、
しかしアートにとってその目的のありどころが重要なのだ。
アートの目的は人間の心を豊かにする目的が最上位でなければならない。
それは、
書く事を目的としない筆。
入れる事を目的としない器。
着る事を目的としない服。
森羅万象のものがアートである事を否定しない。
アートが人間から乖離している事を否定する。
アーティストは様々なデバイスから最善なデバイスを選択し、
よりスマートなユーザーインターフェイスを実現し、
最高のユーザーエクスペリエンスを実現しなくてはならない。
そして、そのユーザーエクスペリエンスを実現すれば、
アートは確固たる市民権を獲得できるのだ。
 
2014年9月1日 美学者母
 
https://www.smartart.jp
 
 
【スマートアート概要】
まず、「スマートアート宣言」の起点となった人物、それは正しくアップル創業者スティーブ・ジョブズである。彼はテクノロジーを使って、人々の心を豊かにした。そればかりでなく、社会の在り方そのものを変えた。まさに、パラダイムシフトを起こし革命者となったのだ。この事は時代を変えた。この先何百年経とうとこの革命は語り継がれていくだろう。しかしアートもまた、そのような時代を変革しパラダイムシフトを起こした時代があった。それはアートがこの世界に生まれた時、人間がアートを手に入れた時。それは人間の思考がパラレルプロセシングを可能にした時である。私は並列思考の獲得こそ人間がアートを手に入れた時だと考えている。人間がパラレルプロセシングを獲得すると同時に革命が起こった。それまでは全く進化していなかったあらゆる道具が進化をし始めたのだ。その進化のスピードはそれまでの人類には考えられないスピードで進んだ。それを可能にしたのが正に「心の豊かさ」すなわち「アート」なのだ。私たち人間はパラレルプロセシングを獲得し、「心の豊かさ」すなわち「アート」を生み出し、様々なモノの複雑性を可能にし、組み合わせを考え、「創造性」で革命を起こしたのだ。しかし、皮肉にも現代においてテクノロジーはその複雑性を捨て去る事で、テクノロジーによる革命を起こし、パラダイムシフトを可能にした。この事は何を意味しているのだろうか。ある意味これは人間において複雑性の臨界点に達しているのではないか。テクノロジーにおいても、その複雑性を理解できる者はごく僅かな人間に限られるようになり、またそれを扱える人間もごく僅かな人間に限られた。これは人間においての複雑性の臨界点、すなわち進化の停滞に他ならない。人間の進化をさらに進めるにはどうするべきであるか、その点においてスティーブ・ジョブズはアートすなわち創造性を逆説的に応用したのだ。複雑性を獲得した創造性を利用し、その複雑性を単純性により利用する。これが、まさしくスティーブ・ジョブズが起こした革命の根本原理なのだ。そもそも、創造性とは複雑性を手に入れた根本原理なのだ。それを逆説的に単純性へ利用した、まさしくパラダイムシフトなのである。具体的には、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)やマウス、スマートデバイスなどだ。話をアートに向けてみよう、アートもまた、人間がパラレルプロセシングを獲得し心の豊かさを持ち創造性を駆使し、複雑性の追求が加速し、いつしかその複雑性は極限状態に到達している。その複雑性を理解できる者はごく僅かな人間に限られるようになり、またそれを扱える人間もごく僅かな人間に限られている。しかしアートはまだその複雑性の追求を止めようとはしていない。これはある種人間の進化の上では非常に不利益な事だと考えるのが自然だ。人類全体の進化を考える上でとるべき方法論は一つしか無い。アートの複雑性もテクノロジー同様に臨界点に達しているのである。そしてアートもスティーブ・ジョブズが起こした革命同様に、創造性を逆説的に応用し、複雑性を獲得した創造性を利用し、その複雑性を単純性により利用する。これが人類全体の進化を考える上でとるべき方法論だ。この事が、アートがさらに進化する上で避けては通れない道なのだ。アートは複雑性の臨界点にすでに到達している。私たちアーティストはテクノロジーから学ぶべきだ。その複雑性をごく僅かな限られた人間の利益や幸福だけに利用するべきではない。人類全体の進化、より多くの人間の利益や幸福の為に利用するべきなのだ。それはアートにおいても、テクノロジーでスティーブ・ジョブズが行った様に、複雑性を単純性により利用するという革命を起こさなければならない。しかしアートにおいて、スティーブ・ジョブズなどよりももっと早く、そのような事に挑戦したアーティストは数多くいる。その中でも、マルセル・デュシャンは名前を挙げておきたい。マルセル・デュシャンは最も尊敬すべきアーティストのうちの一人だ。しかし彼の革命は上手くいかなかったのだ。複雑性を単純性により利用するという挑戦を試みた。しかし、逆にアートはより難解であると受け取られ、より複雑性を増す事になった。この失敗は今回の「スマートアート宣言」に活かさなければならない。その教訓を活かしたいと思い「スマートアート宣言」に記述した文面がこれだ。「アーティストは様々なデバイスから最善なデバイスを選択し、よりスマートなユーザーインターフェイスを実現し、最高のユーザーエクスペリエンスを実現しなくてはならない。そして、そのユーザーエクスペリエンスを実現すれば、アートは確固たる市民権を獲得できるのだ。」マルセル・デュシャンは、最善なデバイスを選択しスマートなユーザーインターフェイスを実現した。しかし、最後に一番大切なものを実現できなかったのだ。それがユーザーエクスペリエンスである。私は確信した、アートが進化する唯一の方法を。ユーザーエクスペリエンスの追求にこそアートの未来があるのである。
 
 
2014年9月1日 美学者母
 

3-3-2) 「量子論美術宣言」


「量子論美術宣言」
 
私たちは古典物理学それにならう科学、哲学、思想、宗教に基づき、
美術世界または芸術世界を捉えてきたのである。
 
しかし我々人類は量子論という新たな尺度とともに変わろうとしている。
それは元より世界の捉え方そのものである以上、
美術や芸術にもその影響を加味しなければならないのである。
 
量子論は古典美術から現代美術までの集束点となり、
さらにポスト現代美術の定義となり量子論美術の根本原理となる。
 
局所的産物としての美術は終わりを告げたのである、
それに変わり非局所的総和としての美術が産声を上げた。
非局所的総和とは局所性の無い実在である。
 
局所性の無い実在にアクセスする刹那こそが愛なのである。
世界の本質とは非局所性であり、
それを刹那に体験することが美の体験である。
 
そしてその愛と美を刹那に体験する存在が人間であり、
またその事で人間も刹那的存在である事を自明する。
 
量子論美術宣言では非局所性を、
仏教における悟りで仏教哲学との親和を試みる、
仏教での悟りは、
量子論美術では非局所性と同様であり、
仏教での悟りの概念として空や縁起は、
量子論美術での美術作品や芸術作品である。
 
まさに仏教では悟りは人間そのものであるのと同様、
量子論美術でも愛は人間そのものである。
 
量子論美術では美術や芸術を非局所性への入り口であると捉え、
今まで続いてきた因果律や文脈に原理を求める美術や芸術を、
根本原理から徹底的に否定し破壊し、
全く新しい美学として世界に声高らかに量子論美術宣言を宣言するのである。
 
2016年3月31 美学者母
 

3-3-3) 「デリバティブアート宣言(芸術派生宣言)」


「デリバティブアート宣言(芸術派生宣言)」
 
もう芸術に実態は必要ないのである。
 
それは美術において造形を否定する事に他ならない。
 
なぜ美術に造形が必要ないのだろうか、
それは美術おいて造形が本質ではないからである。
 
私たちは概念的差分により芸術を体験するのであって、
美術おける造形はその差分を生み出す装置にすぎず、
その装置が造形である必要は全くないのである。
 
それは現代美術をみてもあきらかであり、
インスタレーションアートの登場はそれを確立したのである。
 
インスタレーションアートは空間と造形の関係性を、
明らかに芸術として提示する表現方法である。
 
しかしデリバティブアートは、
そもそも物理空間的アーキテクチャ、ゲシュタルトを否定し、
情報空間的アーキテクチャ、ゲシュタルトのみを肯定する。
 
デリバティブアートは芸術を情報空間のみに集約しようとする企てである。
 
では私たちはその芸術を一体どう体験できるのだろうか、
それは情報空間と物理空間を媒介するあらゆるデバイスを通し、
私たちは芸術を今までの次元とは違う次元で体験するのだ。
 
私たちはもう芸術を芸術として体験できないのである。
 
デリバティブアートは芸術が終わった後の、
情報空間のみで体験する概念的差分を新たに定義する事に成功したのだ。
 
物理空間の芸術と呼ばれるモノは終焉を迎え、
情報空間のデリバティブアートが創造されたのである。
 
2018年4月14日 美学者母
 


第四章 アート定量化モデル(アートの民主化)


4-1) アートの定量化について


 私はアートを志した20歳頃から自分の人生を実験台にして、アートに自分の人生を捧げると決意し、アート活動を行なってきた。それはアメリカのプロスケートボーダーである、ロドニー・ミューレンのスケートボードの滑りを観て、そこに芸術体験をしたというイニシエーションによって、自分の人生にとってアートが一番重要であるという、「信念」を持ったからである。私は小さな頃から野球、音楽、ファッション、スケートボード、ストリートカルチャーなどアメリカ文化に大きく影響を受けてきた。その上で無意識にアメリカ文化的なメンタリティを常に持ち、DIY精神を持って生きてきたのである。置かれた環境で、自分自身で考え、自分自身で工夫し、自分自身で責任を持つ。自分なりの「ルール」を創造し、そしてそれを「楽しむ」。私が無意識に、無自覚に「プラグマティズム」という哲学を持って、生きている事に気づくのは、それからかなり時間が経ってからのことであった。
 私が初めてアートの個展というものを開催したのは、2002年6月の23歳である。場所はスケートボードを扱うセレクトショップで、一ヶ月という長い開催期間であった。その頃から頻繁に展覧会などで作品を他人に見せる機会が増えたが、様々なことを言われた。そして、どうしても腑に落ちない疑問が産まれた。そもそも「アートとは何なのか?」、「アーティストとは?」。そんな疑問からアートのブラックボックスを少しずつ紐解き、10年程度かかり「アートとは何なのか?」、「アーティストとは?」という解が、自分の納得できる形にたどり着き、そして作品化したものが2010年5月の「ウェブアート宣言」であった。
 私が目指したものは「アートの定量化」である。定量的に再現可能であり、誰もが普遍的に理解できる。そのようなアートを私は今も目指しているのである。なぜなら、アートに関係しているほとんどの人々が、「なぜそれがアートなのか?」、実は全く誰も理解できておらず、それは作品を制作しているアーティスト本人さえも理解できていないのである。しかし、これはまさにブラックボックスの話であろう。そしてほとんどの人はこう答えるであろう、「アートとはそういうものだ」。それは、「アートの評価」についても同じであろう、誰も明確な基準など知らない。なぜなら「アートはそういうものだから」、だと答えるからだ。しかし、私はそれでは納得できなかったのである。それが、私が「アートの定量化」を目指した動機である。そこで疑問が産まれてくるであろう、「アート」など「定量化」できるのだろうかと、そこには大きな「信念」が邪魔をしてくるのである。信念とは、「アート」がとても「超越的なもの」であるという、「幻想」である。だからこそ現在において、現実的には「アートは民主化」されているにも関わらず、「信念」が前時代のままであるという、「アート」に対する「歪み」がアートの本質的な価値を奪っていると私は考えている。
 この「アート」の現実との乖離は、日本の現在の様々な衰退や閉塞感と連動しており、まさに「アート」を「脱構築」しなければならないのである。その上で、「アートの定量化」が必須のものであると私は考えており、それは言い換えれば現在の現実に対応した、本質的な「アートの民主化」である。
 では次に私が創造し、実際に使用している様々な、「アート定量化モデル」を解説していく事にする。
 

4-2) 部分関数的アート定量化モデル(必要条件と十分条件)


(図-1)

部分関数的アート定量化モデル

 

 私がアート活動を始めた頃からの疑問は「アートとは何なのか?」であった。「アート作品」が「アート作品足らしめる」原理とは何なのであろうか。
 これらの疑問や懐疑を晴らすには、まず「人間」そのものを考えていく必要があるだろうし、「人間」が「社会」を形成することで、すなわち「人」と「人」が関係しあうことで、「人間足らしめる」ということを理解せねばならないであろう。その上で哲学的アプローチは必然的であり、哲学として存在論や認識論はもちろん、精神分析、プラグマティズム、デコンストラクション、社会学、認知科学、脳科学、美学、数学、物理学、宗教学、文化人類学、もっと言えば科学、コンピューターサイエンス、ビッグデータ、ブロックチェーン、人工知能、医学、工学までまさに横断的な学びや理解が必要である。しかし、私の目的は「アート定量化モデル」を創造し、アートが誰もが定量的に再現可能であり、誰もが普遍的に理解できる、そのような本当の意味での「アートの民主化」である。だからこそ、できるだけ簡便にモデル化するということが私の目的である。まずそれらを理解の上で、次に「部分関数的アート定量化モデル」について、できるだけ簡単に述べていきたい。
 このモデルは、2010年から開始し10年弱続けた「ウェブアート宣言」に始まる形態の骨格となるモデルである。まず(図-1)を参照して頂きたい。その上で、皆さん自身の「信念」を一度疑って頂きたいのである。人間は一人では生きていけない、母親、父親、兄弟、友人、知人、同僚、他人など様々な人々と関係し合いながら生きている。それを「社会」とか「世界」と言ったりするわけであるが、それは「自然発生」するわけではない、かといって「超越的」な存在に与えられたものでもない。それは、「人間」が創りだした「システム」であって、人間の所産なのである。私たちはそもそもそれを「無」にしてタブー化し、触れてはいけないものとして意識からは消し去ってしまうのである。「アート」や「美術」「芸術」もまた、それは「人間」が産み出した「システム」でしかなく、しっかりと「システム」であるという自覚を持つことが、アートに関係する人間としての責務であると私は考えている。
 このように「アート」は「システム」であるという理解の上で、再度(図-1)を参照して頂きたい。右側の「部分関数的アート定量化モデル」における「作品モデル」は、近代特有のモデルとも言える。ルネサンスから始まったヒューマニズの流れの中で、産業革命を経て個人主義はある種頂点を迎えたのである。そのような意味でも、(図-1)の「作品モデル」は個人主義をベースにした、個人が産み出す作品という、「部分性」を「美」とした時代であり、つまりそれが近代の芸術構造であった。
 次に(図-1)の左側、「部分関数的アート定量化モデル」における「宣言モデル」について述べていく。2010年以降の「ウェブアート宣言」からの芸術活動は、この「宣言モデル」という芸術構造をベースとして行なっている。この「宣言モデル」は「作品モデル」とは、逆の構造を持っていることが理解できるのではないだろうか。単純に述べるとするならば、「全体」と「部分」の関係性である。「作品モデル」では「部分」としての「作品」、つまりオブジェクトをアートとしているのに対して、「宣言モデル」では広義の「アーキテクチャ」を「アート」としている。この事のパラダイムは単純ではあるが、非常に重要な原理でありアートの進むべき方向を、まったく違った方向へ向かわせる。だからこそ、この初期設定は非常に重要なものである。
 前述したように、「アート」は人間が産み出す「システム」である。だからこそ「作品モデル」における、「作品」が成立するための「全体」としての「定義」や、その「ルール」を知らなければ「作品(アート)」など創造できるわけがないのである。しかし、日本ではアートにおける「超越的」な何かというものが、「作品(アート)」を「作品(アート)足らしめるモノ」として長く崇められてきたのである。つまり「権威」や「煩悩」そのものが、そのシステムの「全体(信念)」であり、疑う余地さえなく、ただただその「信念」に「盲目」であり続けるのである。もはや何を持って「アートなのか」、「アートとは何なのか」、作品を作った本人さえ、自分の作品がなぜ「アートなのか」理解できていないのである。なぜなら、これは「近代」が「個人主義」を先鋭化させ、「煩悩」こそ「善」であり「美」であるという、それぞれの「個人」が産み出す「亡霊」や「煩悩」そのものに、自分自身の「作品(アート)」が担保されている事さえも気がつかないという、人間としての没落に至っているからである。
 このように「部分関数的アート定量化モデル」の「作品モデル」では、そもそも「権威」や「煩悩」という「全体(信念)」に洗脳され、盲目的にそのシステム全体の構造やルールなどが理解出来ずに、「作品(アート)」を作っていくという「賽の河原」となっているのである。
 現在はテクノロジーが発展し、高速なインターネットが普及しきっている。ほとんどの人々がスマートフォンや、スマートデバイスを持っている。もはや近代はとっくに終わっており、またアートの機能も大きく変化しているのである。それは簡単に言えば前述した、部分的な作品(アート)は完全に民主化されており、一部の既得権を放棄できない旧体制の人間が「権威」や「煩悩」にへばりついているという、非常に醜い状態である。では、現在において私のようにアート活動をするということに、何の機能を持たすことができるのだろうか。その答えとして、現在の私たちは「アートの啓蒙」をしていかなければならないと考えているのである。「アート」とは素晴らしいものであり、人間に必要不可欠なものであるという「啓蒙」である。つまり、本質的な「アートの民主化」である。それには「アートとは何なのか」という、私が最初に抱いた疑問や懐疑を解消しなければならない。だからこそ「アートのオープンソース化」は必須であり、自己の「デマンド化」も重要である。だからこそ、私が考えている「部分関数的アート定量化モデル」の構造を解説しており、「作品モデル」から「宣言モデル」へのパラダイムシフト、そしてそのパラダイム、そのパラダイムを担保する構造を明確化している。
 今回述べている「部分関数的アート定量化モデル」における「宣言モデル」は、近代において「超越的な何か」という形で、特定の「権威」や「煩悩」を貪る人間たちを、アートというフィールドから退場させる企てである。だからこそ定量的に再現可能であり、誰もが普遍的に理解できる。そのように「全体を創造する」ことも、「部分を創造する」ことも、簡便であることが重要であり、その一つの一例として今回は「宣言モデル」を提示している。
 つまり、「宣言モデル」において「宣言」とはアーキテクチャの創造である。それは「作品モデル」における「超越的な何か」である。そのブラックボックス化された「超越的な何か」を、私という20年以上アートを実践し続けた人間が、ただ単に代替したに過ぎず、それを「宣言」としてデマンド化しアーキテクチャとして提示している。それだけに過ぎず、また「作品モデル」における「全体(信念)」も、同じようにそれだけに過ぎない。大きく違うのは「宣言モデル」は明確に「アートの定義」を提示し、定量的に再現可能であり、誰もが普遍的に理解できるということであり、「作品モデル」は「権威」と「煩悩」によってブラックボックス化されているということである。
 次に「部分関数的アート定量化モデル」には複数のレイヤーがあることについて述べておく必要がある。その中でも重要なレイヤーとして、「条件」と「認知」の問題について軽く触れておく。
 

〈必要条件と十分条件〉
 「部分関数的アート定量化モデル」(図-1)を参照してもらえれば理解できるが、これは必要条件と十分条件に相応するものである。つまり「アートとは何なのか」という定義がわからないのに、「アート作品」は定義できない。その逆、「アート作品」という定義がわからないのに、「アートとは何なのか」という定義はできない。だからこそ「アートとは何なのか」という定義、すなわち必要条件を明確化することで、初めて「アート作品」という定義、すなわち十分条件が明確化される。そして、定量的に再現可能であり、誰もが普遍的に理解できる「アートの民主化」が可能となる。しかし近代では「アートとは何なのか」という定義は「超越的な何か」であって、だからこそ「アート作品」という定義もまた、「超越的な何か」によって担保された、「超越的な何か」としか定義できない。その「超越的な何か」とは、「権威」や「煩悩」であって、そのブラックボックに従う限り、自己自身もまた「権威」や「煩悩」を担保するための、「超越的な何か」という当事者である。このような「負のサイクル」の人間はすぐに「アート」から退場してもらわなければならない。
 
〈認知的問題〉
 この「部分関数的アート定量化モデル」(図-1)には認知的問題も存在する。それは「ルビンの壺」として有名であるが、図と地の関係性である。そしてさらに言うならば、人間は自分の見たいものしか見ないという性質がある。私自身も実体験として多くあるが、「部分関数的アート定量化モデル」の「作品モデル」の活動をしている人々は、作品は絶対的オブジェクトとしてしか認知しようとしない傾向が強い。この認知的問題は非常に難しい問題であり、現在における様々なディスコミュニケーションと問題を共有している。
 

4-3) 無縁的アート基盤モデル(公・自由と一般性・全体性)


(図-2)

無縁的アート定量化モデル


 先に述べた「部分関数的アート定量化モデル」では、アートの定量化としてアートは、OS(オペレーティングシステム)でなければならないということを、定量化したモデルである。ではここで述べているOS(オペレーティングシステム)という、基本ソフトとはどのようなものなのか、それを次に述べていくことにする。
 日本美術では、作品(アート)であるということは、対象としてのオブジェクトであり、それは先ほど述べた「部分関数的アート定量化モデル」での(部分)として提示したものである。それに対して(全体)を創造することが「アート」であることを定量化したものが、「部分関数的アートモデル」なのである。つまり、今回新しく提示する「無縁的アート基盤モデル」において、「無」というものが、OS(オペレーティングシステム)であり、また「部分関数的アート定量化モデル」における、全体と同義となるのである。
 すなわち今回「無縁的アート基盤モデル」において、「無」について述べていく内容そのものが、アートそのものの概念として捉えなければならないということである。
 現在において「無」というものが、「無意味」だとか「無価値」などと、ネガティブに受け止められている中で、本質的な「無」を理解しようとすることは、ある意味において非常に難しいものとなることを、理解しておかなければならない。しかし「無」そのものが「アート」であるからこそ、「無」をいかに理解しようとするか、ということを避けては通れないものとしている。
 まず(図-2)を参照していただくことにする。その上で、そこで成立する定式を提示することにする。
 
(式-1)無縁的アート基盤モデルの定式
 
   公 : 一般性 = 個 : 全体性
   公(全体性)= 個(一般性)
 
 この「無縁的アート定量化モデルの定式」は現在における、「公共」や「個人」、「全体性」や「一般性」の混同を整理する上で重要な定式である。
 まず私たちは「公」、つまり「公共性」の理解を捉え直す必要があるのではないだろうか。日本では「公」、つまり「公共性」に対して非常に強い「同調性」を求めている。しかし「公」、つまり「公共性」とは無限の「多様性」をできるだけ包摂し、そこから漏れ落ちることのないようなものでなくてはならないはずであり、それはある種「理性」と言ってもいいであろう。
 次にそれらを踏まえた上で(図-2-2)も合わせて参照していただきたい。「西洋の公共」は、「個人」とは「別のもの」であることが理解できる。しかし「日本の公共」は、「個人」の集合としての「全体」であることが理解できる。
 

(図-2-2)

西洋と日本の公共性

 

 つまり(図-2-2)からも理解できる通り、日本の公共性は「個人の煩悩」の「同調性の集合」である。これは「全体主義」とも言われるものであり、その集合を堕落させていく「原理」となるものである。それに対して西洋の公共性は、「個人」と「公共性」は分離しており、「公共性」は「個人」を超えた普遍的なもの、それはある種の「理性」として捉えていることが理解できる。私はこの日本的公共性が、「個人の煩悩の集合体的全体主義」であり、西洋的公共性が、「個人を超えた客観的理性主義」と考えている。
 その上で、近代アートは個人の煩悩を基盤とした、部分的な先鋭化を究極的に突き詰めたものだと理解している。そして、それらの近代アート的な部分的先鋭化は、アート活動をしている一部の個人だけが行うものではなく、あらゆる個人が簡便に安直にできるものとなった。それはテクノロジーの発達やインターネットの普及、そして教育による知的水準の向上などを背景としている。
 前述したことから理解できるのは、近代においてアートと呼ばれていたものが、ある種の煩悩化がなされたと言える。その原理を簡便に言えば、人間の生殖活動は単なる生殖活動という意味を超えて、ある種の快楽行為として独立していく事と同様に、人間の煩悩によってあらゆる原初的意味を超えて、「デリバティブ」になっていくのである。
 これらはある種「人間が持つ矛盾」であり、「人間」であるがゆえの「煩悩」と、「人間」であるがゆえの「理性」との、「二律背反」としてとらえることができる。だからこそ現在において私たちは「アート」を「理性」によって捉え直す必要があり、アート活動とは「無」として「存在」しながらも、ある種「存在」しないという、「図」と「地」の関係で言えば「地」を創造しなければならない。「無」が「地」を創造する「無地」なのである。それは現在において、アートにおける「基盤」でありOS(オペレーティングシステム)である。つまり現在においてアートとは「個」を「無」にして「地」になるという、「アートは個性」というステレオタイプなものとは、真逆の「無地」であることは、なんと皮肉なことであろうか。(図-2-3)(図-2-4)
 

(図-2-3)

有の先鋭化と無の創造


(図-2-4)

芸術と日常の現実

 

4-4) 精神分析的アート体験モデル(愛の概念図)


(図-3)

精神分析的アート定量化モデル

 

 次にここから「精神分析的アート体験モデル」(愛の概念図)について述べていくことにする。この「精神分析的アート体験モデル」(愛の概念図)は、まさに精神分析の手法を使用したモデルである。その上で、私の考えとして、精神分析的な「二重の転倒の体験」=「芸術体験」、つまり「意味が無意味に転倒」と同時に「無意味が意味に転倒」する際の体験のことを、仏教においての「覚り」の体験や、人間における「愛」の体験と同義であると定義づけている。
 このような定義づけから何が理解できるのか、それはアートというものが「体験」(エクスペリエンス)であるということだ。そして、前述した「部分関数的アート定量化モデル」や「無縁的アート基盤モデル」は、「精神分析的アート体験モデル」という「芸術体験」、「愛の体験」、「覚りの体験」を「体験」する為の前提条件である。つまりここまで、アート足りうる前提条件を提示した上で、その前提条件を満たすような状態を創造することで、「精神分析的アート体験モデル」における、「芸術体験」、「愛の体験」、「覚りの体験」を「体験」することができるのである。
 このようなことから、私たちは「アート」に対して、大きな間違いを犯している事に気づくのである。それは「アート」とは何かしらの「対象としてのオブジェクト」などではなく、私たち自身が体験するその「刹那体験」であるという事である。そして、その「オブジェクト」にしても「アーキテクチャ」にしても、「体験」する為の「装置」や「機能」に過ぎず、そもそも近代的な「物質主義」の中で、いつの間にか「アート」そのものの本質を忘却し、その対象としての「オブジェクト」に「絶対性」を観ることになり、その「オブジェクト」が「超越的な何か」であることの信念を疑う余地を無くし、盲目的なっているのである。私たちは、この「気づき」を人間として真正面から向き合っていかなくてはならない。これはまさに「愛の体験」や「覚りの体験」と同義なのである。
 

4-5) 脱構築的アート創造モデル(散種 - 差延)


(図-4)

脱構築的アート創造モデル

  
 次に「脱構築的アート創造モデル」(散種・差延)について述べていく事にする。その上で、ここまで述べてきた「部分関数的アート定量化モデル」、「無縁的アート基盤モデル」、「精神分析的アート体験モデル」について簡単に確認しておく。「部分関数的アート定量化モデル」は「アート」の前提条件であり、「無縁的アート基盤モデル」はその前提条件のベースとなる基盤である。そして、その「アート」を実際に体験したものが、「精神分析的アート体験モデル」である。そしてここから最も重要な、「脱構築的アート創造モデル」について述べていく。なぜ最も重要であるか、それは「アート」というものが「静的」なものではなく、「動的」なものであり、ある種「絶対」的な「アート」など存在しえないことを「モデル化」しているからである。「アート」は「体験」である。「体験」とは「刹那」である。またこの「刹那」を「成立」させる「全体」も「部分」も、二度と同じ状態にはなりえないのである。しかし、私たちはそのような簡単なことでさえ盲目的になるのである。私たちは、「永遠」や「不変」という「超越的」なものに魅了され、ときにその「虚像」を盲目的に「信仰」する。しかし、それも含めて本質的な「人間らしさ」と言えるであろう。だからこそ私たち人間には「気づき」という作用が備わっているのである。そして「アート」とは、その「気づき」の「体験」である。そして「アート作品」とは、その「気づき」の「体験」のきっかけを創造する「機能」なのである。さらに「アーティスト」とは、その「時代」と「機能」を「媒介」させるものにすぎない。つまり、「アート」にとって「アーティスト」は「ノイズ」であり、「アーティスト」の存在をいかに消し去るのかが、「アート」の本質なのである。
 さらに、ここから「脱構築的アート創造モデル」について、さらに詳しく述べていく事にする。この「脱構築的アート創造モデル」は、もちろんジャック・デリダの「脱構築」である。私たちは「人間」であり、「人間」である限り「忘却」するのである。だからこそ「気づき」というものが重要になる。ある種、ジャック・デリダの「脱構築」は、日本仏教的な「気づき」と同義であると私は考えている。私たちは「動的」な現象として存在しながらも、「静的」な何かとして存在したいという、「強い欲望」を常に「意識的」、「無意識的」にホメオスタシスが働く。そしていつしか「安定的」な「静的状態」のような「虚像」に魅了され、「動的」な現象である事を「忘却」していくのである。
 この「脱構築的アート創造モデル」は、その「忘却」と「気づき」と「創造」という、「アート」にとっての「原理」をモデル化したものなのだ。もっと言えば「アートの創発モデル」と言える。(図-4)を参照していただきたい。注目していただくのは、縦軸の時間軸、横軸の意味軸、その交点が現在である。その上で、「アートの機能」とは「無」の部分であり、「散種」がそれにあたるものである。つまり「アート」とは「有」ではない、「意味」の先鋭化ではない。「無」の「創造」である。(図-4)では「散種」として見ることができる。「アート」によって「無」という、「前提条件」と「基盤」が「創造」されることで、それまで体験したことのない、「無」と「有」の重なりを体験する。これが私の言う「芸術体験」であり、「覚りの体験」であり、「愛の体験」なのである。この体験を通して、「人間」は「気づき」を得ることができ、「悟性」を育てることができるのだ。
 


第五章 脱構築としてのアート(空 - 無 - 有)


5-1)  アートからの脱構築

 私は20年以上に渡り、「アートの定量化」というものに取り組んできた。定量的に再現可能であり、誰もが普遍的に理解できる。その様な「アート」の本質に迫り、「アート」が「超越的な何か」によって支えられているというブラックボックスから、アートを解放する。「超越性」を分析し、それをオープンソースにして、アートの本質的な「民主化」を目指した。しかし、私自身も更に「気づき」を得てしまったのである。そもそも私自身が「アートの定量化」というものに対して先鋭化してしまい、本質的なものに対して「盲目的」になってしまったことを。つまり「私自身が」「私自身を」「脱構築」しなければならないことを。私は一度全てを忘却し、目の前の現実に対して精一杯のエネルギーを注ぐ、その様な姿勢が「今」私自身に必要なのではないかと強く感じる様になり、それを実践していく上で、できるだけ簡便に「脱構築プロセス」を考えたものが次のものである。
 

5-1-1)  ART 1.0 (創る)

 「創る」や「創造」するとは、「人間」の営みの中で一番根本的なものである。私は「今」ここに立ち返る。後にも述べるが、人間の営みとは「忘却」や「気づき」のサイクルを、ひたすら繰り返すことなのではないだろうか。私は、その様に考えているのである。「無」に立ち返り「無」を創造する。現在において森羅万象は「有」として存在し、「有」を「先鋭化」することに終始する。これは「脱構築的アート創造モデル」に対応する。


5-1-2)  ART 2.0 (証明する)


 アートとは、今ある「信念」から新たなる「信念」への「動的」な行動変容である。その上で、今ある「信念」を疑う、または批判的である為には、新たにその立場を担保するものが必要になる。そしてその担保によって、新たなる「信念」へと変容させることができる。立場を担保するものとは、「王」であったり、「神」であったり、「権威」であったり、「資本」である。しかし、ここでは「自己言及」による「自己証明」を支持する。西洋の流れでは「自己言及」はタブーであるが、原理的に完全なる客観性を否定し、「自己証明」における「証明」が、「自己」でしか、むしろ成立しないという立場である。なぜなら私たちが、「客観的」とか「客観性」と捉えているものすら、それは「自己の中」に存在するからである。これは「部分関数的アート定量化モデル」に対応する。

5-1-3)  ART 3.0 (広げる)

 「信念」は必然的に何かに担保されるものである。それは「理性的」でなければならない。しかし、「客観的」や「客観性」への盲目的な「信仰」が「数の原理」となる。理性を失いその「信念の担保」をするために、人間はありとあらゆる手段を用いて「同調」を求める。「ホモロジー」だけを「信念」の「担保」とする、閉鎖的コミュニティを形成するのである。これは「無縁的アート基盤モデル」に対応する。

5-1-4)  ART 4.0 (忘れる)

 「信念」は、「信念」ということすら「意識」されないからこそ「信念」である。私たちは、何を「担保」としてどの様な「信念」に基づき生きているのか、そんなことさえ「忘却」するのである。しかし、「人間」が「人間足らしめる」のも、この「忘却」があるからであり、ポジティブな意味として捉えるならば、「人間」をさらに「高次元」へと変容させる為の前提条件として捉えることができる。しかし多くの人々は、忘却したまま屍となってしまうのである。

5-1-5)  ART 5.0 (気づく)

 「気づく」、「気づき」とは全く新しい情報がインプットされた事ではなく、自分自身の「中」の「無意識」の深部で、「忘却」した「何か」に「気づく」事である。その「何か」は、「今」ある「信念」に「矛盾」を起こさない様に、自分自身の「中」の、「無意識」の深部に隠されているのである。そして、その「何か」が想起する事で、今の「信念」が「揺らぎ」、「疑う」、そして新たな「信念」に「変容」する。それが「気づく」である。現在において、「今まで」の文脈から離れ「今」だけに「気づく」ことは、不可能に近いものである。なぜならそれは「不可能世界」に「気づく」ということだからである。これは「精神分析的アート体験モデル」に対応する。
 

5-2)  次元の螺旋構造


(図-5-1)

次元の螺旋構造

 

 さてここまで、私が目指した「アートの定量化」とその「アート」からの「脱構築」について述べてきた。その上で、私を含め私たちは現実的にどの様にアート活動を行なっていけばよいのだろうか。それを理解し実践していく上で、私たちが「進むべき方向」を、指し示しておく必要があるだろう。そこで、(図-5-1)を参照していただくことにする。この「次元の螺旋構造」は「動的」な「アート」活動を行なっていく上で重要な構造である。これは、ART1.0からART5.0を螺旋状に次元を上げていく構造を示している。また、次の次元のART1.0からART5.0という形で、次元を上昇させる動的な連続性である。私はこの次元の上昇と、イマヌエル・カントの悟性の能力向上を同義に考えている。なぜならば、この次元の違いと悟性の能力の違いは同じ機能を持ち、その違いによって認知能力の差を産み出すからである。人間は常に盲目性(スコトーマ)を持っており、個々人によって観えているものが明らかに違うのである。この盲目性(スコトーマ)をできる限り取り除く方法として次元を上げていくこと、つまり悟性の能力向上が重要である。また同時に(図-5-2)での抽象度のコントロールを容易にできることも重要である。
 

(図-5-2)

抽象度

 

5-3) 実践芸術論(プラグマティズム・アート)


 前述した「次元の螺旋構造」や「抽象度」から、私たちは具体的なアート活動の方向性を知ることができる。それは原理的に言えば「無の創造」であり、具体的に言えば「基盤の創造」である。またシステムとして言えば「プラットフォーム」である。私は、ここで一貫して述べていることは、「空を体験し、無を知る。」ということなのである。それは現在において「個」や「個性」というものが全く間違ったものとして理解されているからである。それは「無」に近づくことでしか、「個」や「個性」に近づくことができないという真理である。「私」は「私」を消し去ることでしか、「私」らしさを持つことはできないのである。それはここまで述べてきたことを、よく理解されているならば実感できるはずである。またその「無」に近づこうとする限り、実践のみにその「可能世界の破れ=不可能世界の表れ」が存在することも真理である。それは可能世界(有)を超えた不可能世界(無)を創造するには、私たちが現に「存在し」、「実感し」、「確信し」、眼前にある疑いようのない世界での「信念」に基づき「実践」されることからしか、「可能世界の破れ=不可能世界」は立ち現れてこないのである。
 私たちは実社会での実践のみに「芸術」の「純粋性」を体験することができるのである。「純粋芸術」が「純粋」であるということは、「実社会」の中でのみ「無の機能」(不可能世界)を、有することを実感できるのである。「意味」と「意味」を「媒介」できるものは「無」である。「人間」と「人間」を「媒介」できるものも「無」である。ここで述べている「実社会」とは、私たちの生々しい日常(可能世界)であり人間の日々の営みの中である。その「実社会」で「無の創造」(不可能世界)=(可能世界の破れ)を行うことこそが「アート」なのである。それは、実践(可能世界)からこぼれ落ちる創造(不可能世界)として表出するに過ぎない。
 

5-4) 無の機能


(式-1)空 - 無 - 有
 
 私は仏教的な中観の立場をとっている。仏教には「空観」、「中観」、「仮観」という概念が存在する。覚りの境地が「空観」であり、基本的に人間は「仮観
」である。そして仏教は基本的に「空観」、つまり覚りの境地に達しようとするわけであるが、それを媒介する「中観」が必要である。(式-1)それはまたアートも同じように「空」という覚りの体験、つまり私が考えるところの「芸術体験」や「愛の体験」を得ようとする。それには「有」という「意味」の世界に生じる「人間」に対して、啓蒙する「中観」としての「無」が媒介する必要がある。「有」という「意味」の世界に生きる「人間」と「芸術体験」や「愛の体験」を媒介する「無」を現在の実社会で「実践」することが「アート」であり「アートの機能」なのである。
 私が当初抱いた「アートとは何なのか?」という答えに、やっとたどり着いたのである。それは「アートの機能」、つまり「無の機能」としての「無の実践」だったのである。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

【美学者母(mama)略歴】



 
1978年
 ・大阪府岸和田市に生まれる
1994年
 ・鳥取県の高校へ野球留学
1996年
 ・高校野球部引退後にスケートボードをはじめる
1997年
 ・高校卒業後に大阪へ戻りアーティスト活動開始
1998年
 ・グラフィティライターとしても活動開始
2002年6月
・ 大阪のスケートボードショップ「OVAL NETWORK」にて初個展
2002年7月
・ 大阪の古着屋「MAX FIELD」で個展
2002年8月
・ 村上隆主催の「GEISAI-2」(東京)に参加
2003年7月
・ 大阪の club NEO の「NEO SUMMER FESTIVAL」で作品展示
2004年6月
・ 大阪府岸和田市の岸和田中央会館ギャラリーで個展
mama Art Show 2004 「春 風 花」
2005年5月
・ 大阪府岸和田市の町屋光輪庵で二人展
machromatic Art Show 「こころ、であう。」
2005年12月
・ 大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
 「Twinkle Park in Rinku 2005」でパフォーマンスアート
・ 「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
後援 : 大阪府、大阪府教育委員会 等。
 2006年9月
・ 主催 : 文化庁 共催 : 田尻町教育委員会
「こどもアート体験 北欧〜日本 展」に参加
2006年11月
・ Joint Art Battle  - JAB - (富山)に参加
2007年4月
・ 東京都下北沢のclub WEDGのアートイベントに参加
1 seam 「New Born Babys」
2007年5月
 ・「第4回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉南市 山田家)に参加
  後援 : 大阪府、大阪府教育委員会、等。
2007年10月
・ 食の専門学校「レコール・バンタン」臨時講師(大阪市)
アートイベント「食とアートのコラボレーション」をプロデュース
2007年12月
 ・Joint Art Battle - JAB - (富山)に参加
2008年5月
・ 「第5回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉南市 山田家)に参加
後援 : 大阪府、大阪府教育委員会、等。
2008年6月
・ 大阪府大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
mama exhibition 「アートバイブレーション」
2009年11月
・ 東京都有楽町でのアートフェア
「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」に参加
2010年5月
・ 「ウェブアート宣言」(Web art declaration)
2010年6月
・ 雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
きこえをアートする デコレーション補聴器への作品提供
2014年9月
・ 「スマートアート宣言」(Smart Art declaration)
 2015年11月
 ・アート作品としての民宿「狭山美学校」を開始
2016年3月
・ 「量子論美術宣言」(Quantum theory art declaration)
2018年4月
・ 「デリバティブアート宣言(芸術派生宣言)」
2020年9月
 ・通算44回「切断芸術運動展」(主催 : 彦坂尚嘉)に参加
2021年9月
・ 批評誌「ゲンロン12」(編集長 : 東浩紀)に
「ART 2.0」のアート広告を掲載
2022年11月
・ 批評誌「ゲンロン 13」(編集長 : 東浩紀)に
「ART 3.0」のアート広告を掲載
 
 
 
 
 
 
 

【参考文献】



村上隆『芸術起業論』(2006)幻冬社
村上隆『芸術闘争論』(2010)幻冬社
村上隆『美術における「意味の無意味の意味」をめぐって』(博士論文)
東浩紀『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(1998)新潮社
辻惟雄『日本美術の歴史』(2005)東京大学出版会
福岡伸一『動的平衡』(2009)木楽舎
クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト「永遠の子供」進化論』(2005)河出書房
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ウィトゲンシュタイン著 野矢茂樹訳『論理哲学論考』(2003)岩波書店
野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』(2006)筑摩書房
アンディ・ウォーホル著 落石八月月訳『ぼくの哲学』(1998)新潮社
藤井聡『プラグマティズムの作法』(2012)技術評論社
苫米地英人『洗脳原論』(2000)春秋社
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著 丘沢静也訳『哲学探究』(2013)岩波書店
苫米地英人『洗脳』(2008)三才ブックス
高梨友宏『美的経験の現象学を超えて』(2001)晃洋書房
小山登美夫『その絵、いくら?』(2008)講談社
チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイ
『プラグマティズム古典集成』(2014)作品社
河村彩『ロシア構成主義』(2019)共和国
H・W・ジョンソン『西洋美術の歴史』(2001)創元社
松井みどり『アート : “芸術”が終わった後の“アート”』(2002)朝日出版社
椹木野衣『増補 シニュレーショニズム』(2001)筑摩書房
マリノフスキー レヴィ=ストロース著 泉靖一編『世界の名著』(1967)中央公論社
柳宗悦『民藝とは何か』(2006)講談社
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(2006)早川書房
カンタン・メイヤスー『有限性の後で』(2016)人文書院
嶋本昭三『芸術とは、人を驚かせることである』(1994)毎日新聞社
嶋本昭三『ぼくはこうして世界の四大アーティストになった』(2001)毎日新聞社
イマヌエル・カント著 熊野純彦訳『純粋理性批判』(2012)作品社
イマヌエル・カント著 熊野純彦訳『実践理性批判』(2013)作品社
イマヌエル・カント著 熊野純彦訳『判断力批判』(2015)作品社
浅田彰『構造と力』(1983)勁草書房
東京藝術大学先端芸術表現科『先端芸術宣言』(2003)岩波書店
 


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