見出し画像

ダンスミュージックとJ-POP 『小室哲哉』がリスナーに施した教育活動

小室哲哉プロデュースの一番の特徴は、キャリアを通じて最先端の洋楽、世界的に流行の兆しがあるアンダーグラウンドなジャンルをいち早く取り入れて、ポップスに落とし込んだところではないだろうか。

そもそも流行っている洋楽を歌謡曲に取り込んでいくような手法は、筒美京平の時代からあった流れだが、日本人にはあまり馴染みのなかった本格的なダンスミュージックをJ-POPに取り込んでいったセンスや発想力は圧倒的としか言えない。
音楽的に大きな特徴としては”突然の転調”が挙げられるだろう。

✔90年代を彩ったプロデューサー小室哲哉

80年代以降の日本のポップスを代表するミュージシャンでありプロデューサー。
彼の功績を、手がけた作品の売り上げや後続の世代に与えた影響から推し量ることはたやすい。
しかし、むしろここで問いたいのは、彼の成功がJ-POPやそのリスナーにどのような影響を与えたかという点について考えたい思う。

(小室哲哉『With t 小室哲哉音楽対論 Vol.1』幻冬舎)

画像1

坂本:TMN時代からヒット曲を作ってきて、ある種日本人の耳を教育しちゃったとこがあるよね。まあ、僕なんてちょっと困るとこもあるんだけど、あまり教育されちゃうと。あの小室流のメロディー・ラインとか、転調とかアレンジも含めて、そのビート感も含めて、先生として教育しちゃったからね。ある層をね。だからそれに引っ掛かるようなパターンを出すと、必ず売れるっていう現象が今起こってると思うわけ。この十年くらいかけてそういう教育活動やってきたんじゃないの?

この収録が行われたのは1995年5月のこと。

まさに小室哲哉の黄金期である。
「日本人の耳を教育し」たのではないか、という問いかけに小室は困惑気味に言葉を濁すが、少なくとも90年代の彼がダンスミュージックの啓蒙活動を意識的に行ってきたことは明らかだろう。

(小室哲哉『With t 小室哲哉音楽対論 Vol.3』幻冬舎)

画像2

バブルガムブラザーズのkornとの対談では、そうした意識を垣間見せるところがある。

小室:まあ、trfもテクノから始まって、いきなり「Overnight Sensation」にいけないじゃないですか?

KORN:そうですね。

小室: だから、二年間我慢してというか、二年間かけて移行したって感じですけどね。

KORN: で、BPMがあそこでトンッと落ちてるっていうのがね……。日本でも世界でも、いわゆるメジャーという部分の仕掛けですかね。いわゆるコアではないところをちょっと突いたな、と。そのへんが微妙にわかっちゃったんで、素晴らしいなって感じで。あのBPMは昔ディスコで遊んでた人間たちを、今に蘇らせてくれるんじゃないかな? テンポって大事じゃないですか。
_________________________

KORN:日本人はまだBPMが速い曲で盛り上がりたいっていうか……土壌なのかもしれないんだけど。

小室:そうですね。日本の環境というのは結局はお酒で盛り上がるっていうか。若い人も。

KORN:うん。そうそう。

小室:それが当たり前かつ基本だから。

KORN:そういう感じ。でも、小室さんはそれをどんどん遅くしていく状況を作りながらも、日本人がついてきてるのがすごいよね。

✔ディスコサウンドと日本のヒットチャート

trfが日本のポップスに与えた影響としてわかりやすい例に、ウルフルズ「ガッツだぜ!!」のヒットが挙げられる。これはトータス松本が公言しているように、実際に「Overnight Sensation」のヒットや小室哲哉からの助言を踏まえて制作された作品だ。


もともとディスコサウンドは日本のヒットチャートで好まれてきたとはいえ、「ガッツだぜ!!」に端を発する90年代後半の充実ぶりには目を見張るものがある。trfの“教育”がその前哨戦であり、「ガッツだぜ!!」のヒットが足場を固めた、と言えるのではないか。

こうした90年代後半のディスコサウンドの充実を代表する最たる例といえばSMAPだろう。
森且行が脱退して5人組となったSMAPは、「青いイナズマ」、「SHAKE」、そして「ダイナマイト」と、ブラスやストリングス、ファンキーなベースラインをふんだんにフィーチャーしたダンサブルなシングルを連発した。

コモリタミノルやCHOKKAKUによる作編曲の鮮やかさは、ハウシーな感覚からそのまま「夜空ノムコウ」の和製コンテンポラリーR&Bへと地続きだ。


この傾向はさらにモーニング娘。などのアイドルグループにも受け継がれ、2010年代に入ってからもAKB48「恋するフォーチュンクッキー」というヒットを生み出した。

 以上のように、アップテンポなテクノという導入からややスローなハウスやディスコへ、という小室哲哉及びtrfの辿った系譜は、いわば一種の“教育”としてあらかじめ設計され、実際にある程度の成功を収めた。それが言い過ぎならば、少なくとも時代の空気と見事にリンクしていた。

そのことを確認したうえでもうひとつ注目しておきたいのは、小室の90年代の諸作品に顕著な、16分音符単位のシンコペーションである。なぜか。 


✔(ディスコ+カラオケ)÷2


小室哲哉がtrfを始めるにあたって設けたコンセプトは、広く知られているとおり、

「(ディスコ+カラオケ)÷2」だ。

ここまでのBPMをめぐる議論では、まだ「ディスコ=ダンスミュージック」としての側面を概観したにすぎない。それでは、「カラオケ=歌う音楽」としての側面はどうだろうか。

小室哲哉の楽曲では、16分音符単位のシンコペーションがしばしば歌メロで執拗に反復される。たとえばtrfの最初のミリオンヒットである「survival dAnceの印象的なコーラスがそうだ。「EZ DO DANCE」ではAメロでリズムが繰り返され、サビでもリズムが繰り返される。

また、「BOY MEETS GIRL」のサビでは16分音符を用いた譜割りが登場するほか、5小節目から6小節目前半にかけて付点8分が反復される。「Over Night Sensation」は16分音符の頻度が高まり、シンコペーションによるタメがさらに強調されている。こうしたシンコペーションは篠原涼子「恋しさとせつなさと心強さと」やH Jungle with tの楽曲でも効果的に用いられており、アップテンポなダンスミュージックに日本語詞をのせる際の常套手段として小室哲哉が使用していた。

16ビートのニュアンスを出したシンコペーションは、日本語におけるロックの試み以来珍しいというわけではない。
その歴史は佐藤良明の『J-POP進化論「ヨサホイ節」から「Automatic」へ』(平凡社新書、1999年)でキャロルやサザンオールスターズの楽曲を例に綴られている。

とはいえ、80年代後期の日本語のポップスや、バンドブーム期のビートパンク、そして90年代前半の楽曲では、16分音符単位のシンコペーションはあまり見られない。8分音符を基礎単位にするほうが、歌詞が聞き取りやすく、メロディがくっきり感じられるという利点があるためだろう。

 それに対して、小室哲哉のシンコペーションは、スピード感にメロディの輪郭を埋没させることなく、ハウスやテクノを構成する16ビートのノリを明示している。付点8分音符の多用によって、一音一音のピッチの明晰さや単語としての破綻のなさを維持しているのは興味深い。個人的にはごまかしていた部分でもあるからだ。

 歌メロにおけるシンコペーションは小室哲哉やtrfにとって大きな意味を持つ。 

「シンコペーションとは」


前述したように、trfの結成にあたって小室のなかにあったコンセプトは、「(ディスコ+カラオケ)÷2」

“踊れる”ことと同じくらい、“歌える”ことも重要だったと考えるのが筋だ。

とすれば、次のような事態を想定していてもおかしくはない。trfの楽曲をカラオケで歌う度に、このシンコペーションはマイクを握る者の身体に16ビートのノリを植え付けてゆく。シーケンサーで鳴らされるスクウェアで機械的なビートは、そのガイドとして非常に機能的だ。
それはあたかも歌う者のなかに16分音符のグリッドを刻みつけるかのように、ビートを響かせ、歌わせる。

 trfを聴いて踊ること、そしてtrfを歌うこと。この二重の身体への働きかけは、BPM感覚と16ビートのグリッドを90年代の日本人に教えた。それは、坂本龍一が指摘するところのメロディの感覚や転調の感覚をめぐる“教育”よりも重要な“教育”であったのではないだろうか。 

小室哲哉の功績は大きく、日本のプロデューサー像を大きくイメージチェンジした。
音楽性の豊かさに裏打ちされたその才能(センス)は、インストゥルメンタルの楽曲を聴くとよく理解できる。当時流行り物として見ていた人も、今一度彼の楽曲の深さに触れてみると新たな出会いがあるかもしれない。

最新作。ブルーレイになって復活。



この記事が参加している募集

私の勝負曲

思い出の曲

サポーターも嬉しいですが、よければフォローお願いします! 嬉しすぎて鼻血が出ると思います(/・ω・)/