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「良い子」を演じてしまう病の怖さ

数多くある記事の中から、私の記事にたどり着いていただきありがとうございます。今日は小学校の入学式当日の記憶を紐解いていきます。

比較される子ども

私は小さい頃から背が高く大きな子でした。
幼稚園、小学校の間は一番背が高かったので順番に並んだ時はいつも最後尾。それが中学2年の1学期まで続きました。

そんな私ですから、良くも悪くも目立っていました。
そして親たちはきっと身体が大きいということだけで誇らしくもあり期待もあったのではないかと思います。それは、幼少期によその親との間で交わされいた言葉が今も私の記憶に残っていることからもたぶんそうだったと確信しています。

よその親:「まあ、まだおくんはまた大きくなったんじゃない?」
うちの親:「そうですかね?いつも一緒にいるからわからないですけど…」
よその親:「大きくなっていますよ。うちの子と比べたらわかります」
うちの親:「子どもの成長はそれぞれですから(と言いながら笑顔)」
よその親:「それに落ち着いていてしっかりしている」
うちの親:「そんなことないですよ(と言いながらまた笑顔)」
よその親:「うちの子なんか落ち着きがなくいつも走り回ってますよ」
うちの親:「おっとりしているし大きいからそう見えるだけですよ」
よその親:「まだおくんは優しくしてくれるらしいですし賢いですよ」
うちの親:「そうですかね~家では全然です(と言いながらやはり笑顔)」
よその親:「うちの子もまだおくんみたいになってくれるといいんだけど」
うちの親:「ほほほほ(笑いながら満面の笑顔)」

このようなやりとりが日常で行われていたと思います。
会話はすべてがそのとおりじゃないかもしれないですが、成長のことや、よく言われていたキーワード「落ち着いている」「しっかりしている」「優しい」「賢い」あたりは記憶にしっかり残っています。

そして何より覚えているのが、その時の母親の顔です。自分が褒められたかのように嬉しそうな笑顔。家では絶対見せない笑顔だったので今でも記憶にあるのでしょう。
なぜ家では見せないか?それは、家ではきちんとしなければならないといううちならではの環境があったから。
家ではいつもピリピリ、ヒステリックに叱っている顔しか記憶がないです。

それにしても親ってどうして幼少期は子どもどうしを比較したがるんでしょうね。それも身体の大きさだったり、しゃべる言葉だったり、落ち着いているか活発かだったり。そんなのって成長曲線もあるでしょうし、個性もあるわけで、成長が「早い」イコール「親である自分が優れている」とでも思うんですかね?

私にも息子が1人いますが、幸いそんな「比較」に巻き込まれたことがなくて。
ただ、息子の場合、周りから言われていたのが「お父さんに似て」
「お父さんに似て身体が大きい」
「顔もお父さんに似ている」
「お父さんに似て落ち着いている」
これはよく言われていました。でも性格は違うし、息子は息子、私は私なので当たり障りのない返答をし、そのあと息子に「お父さんはお父さん、お前はお前(「お前」とは言ったことなく、息子の名前で言ってます)」と言ってました。

話がそれましたが、今日は小学校入学式当日の話をするのでした。

入学式後の教室でそれは起こった

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私は実は人見知りで、新しい環境が苦手なんです。
もともと自分の世界があるので、最初から馴れ馴れしくできないし、されなくてもいいと思っています。
しかし、子どもの頃は「身体が大きい」というだけで目立つのか、周りから私に寄って来ることが多かったです。
さらに先生たちは真っ先に指名するんですよね。目立つからなのか・・・

そんな私なので、無理なくマイペースに生きてきたのですが、小学校入学式当日はちょっと無理をした記憶があるのです。
それは入学式が終わって教室でのこと。
先生が来る前。
教室内には子ども、廊下には親たちがいてワイワイガヤガヤしている時。
その時、ちょっとした小競り合いが起こったのです。

1人は幼稚園から一緒のヤンチャな友達。
もう1人は、他の幼稚園から来た今日初めてあった子。
ヤンチャな友達はほんとヤンチャで幼稚園時代何度かケンカしたこともあるけど普段は仲良しな子でした。
ケンカの理由はちょっかいをかけてきてからかわれた時が多かったなぁ。
そのちょっかいを友達は入学式当日にやらかしちゃっているわけです。
私はマイペースなのですが、周りは結構見る子だったので、その様子にすぐに気づいちゃったんですね。
でも他の子は同じ幼稚園どおしだった子としゃべったり、友達がいない子はおとなしく座っていたり。
親たちも同じような感じで雑談に花を咲かせていたことでしょう。

そんな中で私が取った行動は、まず親を探して、親がこっちを見ているかでした。そうしたら親と目が合ったのです。
そこからは行動が早かったと思います。
すぐに小競り合いしている友達の仲裁。ヤンチャな友達をなだめて、初めての子には説得してその場を収める。そんな時に先生が来る。私は褒められる。

私はそのあとすぐに親の顔を見ました。そうしたら、やはりいつもの「笑顔」です。そう!よその親といつもの調子で話している姿がそこにありました。

良い子を演じてしまう病=無言の支配

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私は幼少期にすでに「良い子を演じてしまう病」にかかっていたのです。
親の顔色をうかがい、気に入られようと振る舞う。
行動パターンがすでに刷り込まれていたのです。
ケンカの仲裁などは別に初めてやったことではなかったと思います。普段はのんびりマイペースですが、我慢の限界が来た時はケンカもしていたし、身体が大きいのと自然と人が集まってきてリーダー的な振る舞いもしていたので、よくケンカを止めに入っていましたし。

しかし、今回は友達のためではなく、明らかに「親のため」に行動したこと。それが
まず親を探して、親がこっちを見ているか
この行動に表れていたので今でも覚えているのだと思います。

それは、私が母親から知らず知らずに「支配」されていたことを証明する最初のエピソードだと後々気づきました。
そして、この支配下における「良い子を演じてしまう病」は大人になってもずっと続くのです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回はこのエピソードを分析したいと思います。




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