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【vol.010】 自分が苦しくない領域に逃げてコトが前に進み出した①

木酢液事業から逃げてまちづくりへ


私が鬱になる前から自社にコンサルとして来てもらっていた横田親(よこたいたる)という男がいました。彼はリクルート出身の変わり者で、話は非常にロジカルだし、それでいて感性も豊かだったので、当時の私はとても懇意にしていました。


そんな彼には木酢液事業のコンサルをお願いしていたわけなんですが、


「前川さん、一緒にまちづくりをやりましょうよ」


と会うたびに誘ってくるほど、まちを良くしていくことが自分の活力なっているような男でした。



一方で私はお金を稼ぐことに重きを置いてたので、その儲からなさそうな「まちづくり」には興味がなかったんですが、あまりにも彼の勧誘がしつこいし、私も何か次の手を打たねばならぬと思っていた時期ではあったので、じゃぁちょっと行ってみよか、と重い腰を上げることにしました。


正直に言うと、薬事法でズタズタになって、父親からなじられていた木酢液事業の仕事はやる気が起きないけど、まったく関係のない「まちづくり」という業界であれば、ちょっとくらい動いてもいいかなと、そんなふうに思えました。



よく、鬱で仕事を休んでいるのに友だちと遊びに行くとは不謹慎だ!という声も聞きますが、「お前が鬱になってから言え!」って思いますね。イヤな職場に行くのはイヤなんです。私なんて社長で自分の会社なのにイヤだったんだから。友だちと遊びに行たなら、それくらい回復してきたんだね!って一緒に喜んであげなさい、って感じですね。


あと、私の気持ちとしては、「まちづくり」という地域のためになる活動であれば、人から評価されやすいだろう、というスケベ心もありました。兵庫県庁薬務課や父親からさんざん責められ続けたので、もう無条件で人から認めて欲しい、という欲求もあったように思います。




さ、そうして本職を避けるように入り込んだまちづくり業界は、私にとってけっこう新鮮なものがあったんですよね。


それまで行なっていた木酢液事業は、自社で製造してネット通販で売るという仕組みだから、地域の人たちとの関わり合いが少なかったんですが、「まちづくり」となると地域の人が主体だから、多種多様な人と会うことができました。

そしてそこにはビジネスライクな感じじゃない緩さがあったので、何か事業をするにしても改良の余地がたくさん残されていて、もしかしてこんな状態の私でも何か役に立つんじゃないのかしら、と思うようになりました。



また、これまで働いていた企業には「企業秘密」なるものがあって、当然ながら他社には漏らしてはならぬ、という閉鎖的な側面があったんですが、「まちづくり」業界は、どこかの地域で成功したら、それを共有して他の地域にも役立てられたらいいよね、みたいなシェアの精神があって、それはそれで新しい感覚でした。



市議会議員選挙で後援して、久しぶりに「やればできる!」という実感と一体感を得た


そんな折、まちづくり業界に私を引きずり込んだ横田が突然、市議会議員選挙に出ると言いだしました。2012年11月、投票まであと10日間しかないというタイミングで出馬の意を固め、私に後援会の会長に就いてほしい、と頼んできました。


経済的にも精神的にもいろいろな不安材料を抱えていた私でしたが、不思議なもので人から頼まれるとその気になるもんですね(笑)。

さらに当時の丹波市政に私は不満が多かったので、これでこの地域が少しでも良くなればいいや、と思い、後援会の会長として一緒に選挙戦を戦うことにしました。


それにしても時間がありませんでした。日曜日に告示でポスターを貼り出すことを考えると、土曜日にはポスター納品、てことは金曜日に刷り上がり、じゃぁ入稿は木曜日で、今はその木曜になったばかりの夜中か、みたいな酷いスケジュール(笑)


選挙のことは専門家でもなんでもないから、自分たちのやり方で進めるしかないと割り切り、普段経営戦略を立てる時に用いる、3C,SWOT分析というフレームワークを駆使して、最終的には木酢液事業でも用いたランチェスター弱者の戦略で票を獲得していくことを考えました。

木酢液事業から離れたかったけど、こんなところで木酢液事業で学んだことが生かされました。



そして公職選挙法に抵触しないギリギリのラインでSNSを駆使して、支援者を集めていきました。

選挙カーはお隣篠山市の内装屋が貸してくれ、選挙事務所は使われなくなった工務店の作業場を提供していただきました。その作業場は電気・ガス・水道が通っていなかったので、お隣の住宅からコードリールで電気をいただきました。使用可能電力量の都合か、コタツのスイッチを入れると電灯が消えたので、コタツで暖をとるのを諦めました。

そこで「寒い」とSNSで訴えると、立場上、他の候補者を支援することになっている友人が、夜中にコソっと灯油ストーブを持ってきてくれました。トイレは土木関係の事業を営んでいる友人が簡易トイレを持って来てくれました。

いつの間にか、私の知らない人もたくさん集まってきてくれて、それなりの陣営になっていました。



と言っても選挙はシロートで無知だから、公職選挙法違反の活動にならないよう、選挙管理委員会には頻繁に足を運んだり電話したりして確認作業をしていました。


そのうちの一つに、選挙のポスターに違反がないかの確認作業がありました。横田が選挙に出ると決意した夜中に、iphoneで撮影した間に合わせの写真をうちの会社のデザイナーさんに即席でデザインしてもらったのですが、我々は無知だからそれが違反になるかどうかよくわからないわけです。

そこでそのポスターのデザイン案を選挙管理委員会に持ち込んで、問題の有無を確認してもらいました。そこで問題ないという返答をいただいたので、その場で入稿の指示をして印刷をかけました。

ところが、ですよ。いざポスターが納品された土曜日になると選挙管理委員会から電話があり、あのポスターには掲示責任者と印刷業者の名前が書いてないから公職選挙法違反だ、と。。


だから事前に確認したのに。


腹が立ってしまった私はまた感情をコントロールできず、


「お前がOK出したから入稿したのに、何をほざいとんねん!全部お前らで修正しろ!俺らは知らんぞ!それで違反やとかほざくんやったら俺を逮捕せんかいコラー!」


こんな風に電話口で叫びました。


まだ感情をコントロールできなかった点においては成長が見られなかったんですが、自分の口から「俺を逮捕せんかい!」と言い放った出来事を後で客観視した時に、薬事法違反の時に逮捕を恐れていた自分とは、少し変化しているんだな、と思いました


ちなみにこのトラブルは結局うちの陣営のスタッフがテプラを貼り付けて対応することになったんですが、後日そのテプラも雨で流れ落ちてまたややこしいことになっておりました(笑)



そんなトラブルもありながらも、多くの支援者が現れ、不眠不休に近い限界の状態で協力してもらえたおかげで、23人の候補者で20の枠を争った選挙において、横田は9位で当選することができました。


私は、久しぶりに「やればできる!」という感触を得ることができました

また10日間で勝ち切ったという「事件」は全国的にも珍しいらしく、様々なメディアで取り上げられ、チヤホヤされた気分になりました。そして結果的に多くの支援者とディープな繋がりが得られ、とても強い一体感を得ることができました。これらの感情は、それまでの停滞していた私の心を躍動させるキッカケになりました。



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まえぴょん@抽象思考オタク

自身が鬱になり、なんとか復活した経験から、自己肯定感と論理的思考力さえ高ければ鬱になりにくく、そして社会でも活躍できる人材になるという仮説を立てました。2018年に設立したNPO法人他力本願研究所では、その仮説をベースに人材育成に取り組んでいます。趣味:テニス、飲酒、考えること。

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私が鬱になって、そこからどのように復活してきたのを書き留めた記事です。 私は2011年に鬱になり、それなりに復活し、2014年に「鬱になり、もがいて、復活して、いろいろ考えた結果、鬱は創造的自己破壊だと思った」(http://urx.red/UXut)というブログを書きま...
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