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0はどこにあるのか?(幸福論)

あ、数学の話じゃないっす。

ネットを開くと、「幸せになりたい!」みたいな言葉とか、「不幸な言葉は使わない!」という決意表明を見たりします。

前向きに生きていくには大事な考え方だと思うのですが、個人的には「幸せでありたいのなら”たまに不幸を味わう”というスタンスでちょうどいいんじゃないか」と思ったりもします。

これ、要は「基本スタンスをどこに置くか」という話なのですが、ぼくはそれを大学の部活(社交ダンス部)で学んだので、その経験をもとに書いてみます。

0=基準点

僕の座右の銘は±0です。とは以前のブログで書きました。

これって色んな意味があって、今回で言うと「そもそもの0をどこにセットするかが大事」というところがあると思うのです。

よく、「頑張る人は基準が高い」という話があったりしますが、人によって合格点(最低ライン)は異なり、「生きてるだけで幸せだー!」と言ってる人もいたり(ホントかなあ。。)、「ここで一位になれないと意味がない!」と退路を断ってる人が人がいたり、さまざまです。

ぼく自身「なるほど、基準ってこう考えるのか」と膝を叩いた話の中で、大学の部活でのことがあります。

社交ダンスで学んだ「0の設定」

ぼくは結構猫背でしかも自信ない感じの人で、大学の下級生の頃は下をずっと向いて踊っていました。
うそんって言う人いるかもですけどホントのホントです。

そんなとき、いろんな先輩が「下を見るな!」と指導したり、「上を見ろ!」と言ってみたり、「気持ちの問題!」となってきたりするんですが、どれを言われてもなーんか目線が下に行ってたんですよね。

※どうでもいいけどスタンダード(ワルツとかタンゴみたいな抱き合うやつ)ですら目線が下がってたら女性の先輩から
「おっぱいばっか見るな、えっち」
と言われてそれ以来目線を天井に向けてたのは秘密

そんなとき、とある尊敬するF先輩という方から言われたのがすごく心に刺さっています。彼いわく、

「すなおは上を見ようとするからダメなんだよ、たまに「下でも見るか」くらいに思ってないと、基本スタンスが下に行っちゃうじゃん」

とのことで、この言葉がかなーり刺さったのを覚えています。

0が変わると行動が変わった

確かに、目線が下がるから下がらないようにしよう、と思っているということは、
「基本的に目線が下がっている」
という状態になってしまう。だけど、「たまに下を見る」と思えば、
「基本的に目線は上がっている」
という状態になるから、そのマインドを持っておこう!

そう思ってから、不思議と目線が下がらなくなり、いろんな先輩から「目線上がったね~」と言われるようになったのを覚えています。

「幸せになりたい」という言葉

冒頭で挙げた「幸せになりたい!」という言葉は、それこそいろんなところで見たりします。
それはまったく悪いと思わないしその通りだと思うのですが、それだと
「基本的には不幸」
という状態になってしまうんじゃないかなと思います。

だから、本当に幸せでありたいのだったら、
「たまには不幸でも味わってみるか。。」
くらいで良いんじゃないでしょうか。

もちろんそれでさらなる不幸を呼び寄せても自己責任なので、「不幸だ!バンザイ!」くらいのスタンスでいてくださいね。

働きづらさや男女の問題など、生きづらさを解決する糸口を一緒になって考える「パパFP」。公務員からフルコミの営業にトライし、2年で業界トップ1%のMDRTに。夢は社交ダンスで世界大会に行くこと。