読書ヘッダ_1

俺のペヤングを盗み食いした貴様にススメたい三冊

 俺のペヤングがない! 籠の中を――カップ麺をしまっているあの籠だ――覗いて俺がどれだけ嘆いたか、貴様は知っているのか。ペヤングとともに楽しむはずだった本の話をしてやろう。貴様の罪の重さを知るがいい。



 タイトルから察せられるとおり鳥類学者がその仕事について書いている。このエッセイのいいところは楽しさだ。要因のひとつにまんべんなくちりばめられた小ネタがある。漫画や映画などがたとえに動員されていて満天の星空のごとく繰り出されるものだからたまらない。まばゆく輝く小ネタにむふふと幻惑され、気がつけば過酷なフィールドワークのもように手に汗握り、読み終えるころには著者と友達になった心地になる。
 ペヤングと関係ないだと? 押し寄せる小ネタが刻むビートと明晰なロジックがもたらす快さがペヤングのソースの尖った風味やふやけることのない後載せふりかけの口中で馴れ合わないさまとマッチするだろうが! 貴様のもう一つの罪を白日の下に晒してくれよう。先日こちらを読んでいたときのことだ。


 本書は英国、架空の地方都市デントンが舞台の警察小説シリーズの完結作だ。主人公のフロスト警部は善人ではない。下品でスケベな小人物で、人気シリーズの主人公にこれほどふさわしくない男も珍しい。事件はこれまで以上に陰惨で上司は胸糞悪く、どうしてこんなに夢中になってしまうんだと読みながら思う。しかしフロスト警部には泥濘を闇雲に掻き回した果てにようやく掴んだ貴石のきらめきのような善性がある。根っこが善人だから振りまわされ、上司の嫌がらせに打ちのめされる部下を気遣い、悪に憤る。正直、冒頭が冒頭――犬が切断された人間の足首をくわえてきて飼い主を仰天させるシーン――だけに食べものとの相性はよくないかと懼れる気持ちがなくもなかった。しかしフロスト警部の忙しなく冴えない上に人間くさい生き様がペヤングの過剰なカロリーのわりにそっけない味わいとフィットする、そう感じたのだ。
 なのに俺のペヤングがない! どうして貴様は俺が本を読むときに限って盗み食いするんだ。ペヤングを食する快楽を知っているくせに貴様は読書のそれを理解していない。フロスト警部が善人だから読むんじゃない。あっちで衝突しこっちで打ちのめされても彼が事件を解決するから読むんじゃない。それだけじゃない。心胆寒からしめる事件も人生のやるせなさも何もかも、この本と向き合うことそのものが快楽だから読むのだ。
 読書中のペヤングがもたらすのは空腹を満たす快楽だけではない。スリルすら味わえる。おススメの本はこちらだ。


 本書は雑誌で連載されていたエッセイを集めたもので、翻訳家である著者の幼いころの思い出や長じてのちの日常などが綴られている。文章が美しい。硬く軟らかく紡がれる言葉に色香が立ちのぼる。読めば虚実のあわいで遊ぶ融通無碍の境地に至るだろう。
 スリルはどこへ行っただと? まあ待て。本書の中でなく、ペヤングとともに相対するときスリルが生じるのだ。幾度目か分からぬ再読の最中、俺はペヤングを食べていた。駘蕩とした心地で美文に酔い痴れページをめくるとそれは現れた。「ホッホグルグル問題」だ。イヤーワーム、音楽が脳内で強制的に繰り返される現象について書かれている。著者が「厄介な霊障」として例に挙げているのが『プリティ・ウーマン』の前奏部分。恐ろしいことにこのイヤーワームは感染するのだ。
 オーケー、オーケー。俺はこの本を何度も読んだ。「ホッホグルグル問題」がいかに危険であるか熟知している。落ち着け。まずは口の中に放りこんだばかりのペヤングを咀嚼し――ズン、やめろまだズンズ早く嚥下ズンドコだめだどうして待ってくれないのかズンズンズンズンズンズン――。
 このとき俺は美しく愛らしいこの本を汚したくない一心で堪えた。しかし一度火のついた笑いは止まらない。口から入ったはずのペヤングが鼻からぶっふぉー、とこんにちはし服を台無しにした。鼻の奥やら矜恃やら色々なところがひりひりと痛む。それでも俺は懲りない。親しみや共感だけはない。スリルもまた読書の快楽のひとつだ。ページを繰る手を止め、俺は今日もペヤングに湯を注ぐ。分かるだろう? だから食べたら必ずペヤングを補充してくれ。そして本を読み快楽を知るがいい。

(初出: シミルボン

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