銃座のウルナ

友に恋人に、英雄として人々に愛された女の痛みと選択を描く架空戦記

 家族や友人に「おもしろかったよ、読んでみて!」と勧められる本もあれば、「とてもよかった」という思いを胸に抱きなでさすり重みを味わいたくなる本もある。『銃座のウルナ』は後者だ。

 覇権国家レズモアとエコールの戦いが激化するなか、孤児としてしかし愛されて育ったウルナは美しい故郷トロップやその地で暮らす友を守るために志願兵となった。ウルナが狙撃兵として配属されたのはエコールとの最前線でなく、居留する蛮族ヅードとの紛争が生じた極寒の孤島リズルのケニティ基地。この基地に出入りする兵はすべて両耳に認識票と呼ばれるイヤーカフの装着を厳しく義務づけられている。補給隊は男性兵だが、基地に駐留し残虐なヅードと対峙するのはリズル島の生態研究者を含め全員が女性だった。
 歯と歯茎に糸の束で身体が構成され、悪臭を放ち人語を発しない異形であるにもかかわらず、「チルモの翼」と呼ばれるジャンプ台を築くヅードは知的生命体だと見なされている。島からの脱出を阻止するためにウルナは蛮躍と呼ばれるジャンプで飛翔するヅードを撃ち落とす。研究者として長く駐留していた美女ラフトマの裏切り、拉致されたウルナが気づいたヅードの真実。それまでの方針を突如変更した軍はヅード殲滅のために圧倒的な火力を投入する。
 風雪に鎖された孤島リズルでのウルナの戦いを描く前半と代り、後半は緑豊かで美しく穏やかなトロップを舞台に描かれる。戦功をあげ英雄として帰還し穏やかに暮らしていても癒されない苦悩を抱えるウルナの前にあらわれた男トホマには秘密があった。

 厳寒の孤島。女だけの軍事基地。うら若き女スナイパーを主人公とする、二十世紀初頭を思わせる架空戦記。これらのキーワードにぐっとくるならば第一巻からその世界観に没入できるだろう。
 この漫画のよさのひとつとして絵の美しさが挙げられる。美術にくわしくなく、分かるのは「きれいだな」「いいな」「好きだな」程度の私がことばを尽くしたとていいたいことが伝わるかどうか甚だ心もとないのだが、美術館で立体を精緻に描いたデッサン画を前にして「これは……うまくいえないけど、すごいな」と感じ入る、あの美しさと重なるのだ。絵の精緻な美しさは戦争の厳しさを描く作品世界のリアリティを支えるだけでない。読後感を胸に大事にしまいたくなる重みにも、作品の放つ圧の強さにもつながっている。

 SF作品としても魅力的だ。もし○○があったら、○○であれば、という仮定がひとりの人間に、ひいてはかかわった人々に、その人間の属するコミュニティに、国家に、時代にどう作用しどのような宿命を変化を人生を与えるのか。『銃座のウルナ』の場合、

ごく一部の地域で試験的に投入されたが
装着兵の心身への変調が課題だったことと
弾薬の過剰消費が問題視されたことにより――
正式採用を見送られた
(第四巻より抜粋)

 ブルィ型認識票、孤島リズルの兵すべてに厳しく装着を義務づけられたイヤーカフがその仮定をもたらすアイテムだった。ブルィ型認識票と試験的投入はウルナをはじめ多くの人々の人生を狂わせた。広大な国土を擁しなりふりかまわず近代化を急ぐ覇権国家による戦争がもたらした悲劇、――そうまるめてしまうとこの作品のすばらしさがぼやけてしまう。

 女性が残虐でない「はず」という見込みはまるで見当違いだ。その前提を受け容れなければ作品を読み進めることは困難だろう。性別かかわらず誰もが多かれ少なかれもつ戦う本能をブルィ型認識票が引きずりだしもたらした結果を、ウルナは引き受けていく。
 読み進めるにつれ募る緊張が裂け弾け惨劇が描かれる第六巻、そのクライマックス後の最終第七巻は、――いったん正式採用が見送られたはずのブルィ型認識票を装着しウルナを思う幼馴染みグリーンが戦うシーンがあるも、全体的に静謐な空気に満ちている。
 甘いロマンスでもなければ、勧善懲悪の胸躍る英雄譚でもない。カタルシスで心洗われるのとも違う。
 穏やかなトロップの春、美しいツァプ湖畔で閉じる物語を読み終えて第一巻冒頭に戻った。

兄弟よ
我が愛しき兄弟よ
すべてはつながりだ
うつくしい血の
尊い血の
血からは誰も
逃れることができない
うつくしさは
時間すらも
飲み込むだろう
(第一巻)

 血の物語だった。繰り返し読み、私はまた冒頭に戻るだろう。胸に抱きなでさすり重みを味わいたくなる作品だ。


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