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すとん、とおさまる丸み

 心にすとん、とおさまる短編小説を読んだ。

 このおさまりの良さはいうなれば丸みだ。しかし丸いものをただまるいと言い表して果たしてこの小説の丸みが伝わるだろうか。心に一度おさめた丸みを取り出し撫でくりまわしながら考える。

 この作品の主人公裕子さんはおそらく三十代、もしかしたらアラフォーに差しかかっているかもしれない年ごろの女性だ。舞台は日本のどこかの都市。東京かもしれないしそうでもないかもしれない。裕子さんの勤め先は近くに大学がある商店街の小さな不動産会社。地方であれば道府県庁所在地だったり城下町だったり、歴史があってある程度規模の大きい都市だろう。そして、夏。

 独り暮らしにぴったりな中古分譲マンションを手に入れて満足しているはずの裕子さんには悩みがあった。前の所有者・大江さんが半ば透けた状態で現れるのだ。半透け大江さんは毎日毎日決まった時刻に決まったことをルーティンのようにこなす。肩を掴んで止めようにも半透けの体を手は突き抜けてしまうし、語りかけても反応がない。まるでホログラムなのだ。

きっと大江さんは死んだのだろう。
ここに幽霊がいるのだから、そういうことなのだろう。

 ローンを組んでしまっては簡単に売っぱらってしまえ、ともいかず、裕子さんは困ってしまう。

 人生に満足しきっている人などひとりも出てこない。不満があり、後悔があり、先行きの不安がある。ただ真面目に誠実に一日いちにちを生きる人々の姿がある。それでいいのだと思える。

 ごく短いこの小説のもたらす満足感を居心地のよいカフェで気がついたら日が暮れかけているのに気づくあの快さにたとえる人もありそうに思える。その快さが私の場合はすとん、とおさまる丸みだ。そこにぴったり隙間なく、というフィット感とは少し違う。やあやあ、これはすとんときたね、いらっしゃい。そんな気持ちなのだ。自分の心にこういうくぼみがあることを初めて知った気がする。


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