張り込み日記

まるでモノクロ映画のスチールのような昭和三十三年の日本、東京

 この都市に限らないかもしれないが、東京には容赦なくアップデートしつづけてもたらされる新味と、そんな変化なぞ知らぬ気な古色とが同居している。たとえば私が学生時代から住む街にはテーラーがいくつかある。
 いや、あった。
 物心ついたときから服といえば既製品だった。かつては服をオーダーメイドするのが普通だったのだとか、なんとなく聞き知っているだけでテーラーには足を踏み入れる機会もなかった。
 縁はないが何となく顔見知り、といった風情の街のテーラーが一軒減り、また減ってとうとうなくなってしまった。
 自分も変化を厭う歳になったのか。知りもしないのに喪失感だけは覚えるというのが我ながら驚きだ。

 写真集『張り込み日記』の日本、昭和三十三年の東京は私にとって異世界だ。それなのに、なぜか懐かしい。
 私の手もとにあるナナロク社版の帯に


昭和三十三年、茨城県水戸市千波湖畔――。子供たちが発見したのは切り取られた体の一部だった。このバラバラ殺人事件は、更に怪奇な事件へと変貌する。犯人の手掛かりを追って、舞台は、東京へ。ベテランと若手、二人の刑事が真相に迫る。

 と書かれている。紐解くと、写真とところどころに配された解説とで事件と捜査の経緯を知ることができる。

 写真家渡部雄吉はこの警視庁捜査一課のベテラン向田刑事と、茨城県警若手の緑川刑事の捜査に同行し取材をしている。写真はすべてモノクロ。捜査を妨げないよう写真家が工夫しているのだろうが、それにしても見事な表情の切り取りかただ。
 ある写真は線路脇、もうもうと煙を吐く機関車の前で眩しげに遠くへ視線を投げる向田刑事を映している。
 他のとある写真は旅館の建ち並ぶ界隈、歩くうちに暑くなったか、コートを脱ぎ肩に背負うようにひっかける向田刑事と、きっちり着こんだままの緑川刑事とを大八車の陰から映している。歌川広重の「高輪うしまち」(名所江戸百景)を思わせる構図だ。
 ある写真は捜査の合間にめし屋で食事をしている。暗い屋内に下がる裸電球が忙しなく大鍋から煮込みを掬う料理人と、ひとときの憩いのさなかも表情の硬い刑事二人とを照らす。
 またある写真では旅館の女将から聞き込みをしている。容疑者の足取りを追い訪れた皮革工場でなめされた皮がはためく中、難しい表情で歩むふたりがいる。都電では座席に座る向田刑事の話に熱心に耳を傾ける緑川刑事の向こうに「女房もスター!」なるコピーの踊る週刊誌の広告が下がっている。

 バラバラ殺人事件の捜査は難航を極めた。
 当初、痴情の縺れを疑われたが、遺留品から東京の旅館、さらに宿帳から被害者の身許、聞き込みにより事件前の被害者の様子が知れるにつれて〈捜査線上に浮上したのは男〉だった。

 白衣姿の男たちが指紋を照合する姿、うずたかく積まれた捜査資料、室内で大勢の男たちとともに会議をする姿もあるが、現場や犯人の姿など事件そのものは写されていない。ふたりの刑事がくっきり浮き上がるように、ときに群衆に埋没するように地道に手がかりを探る姿がおもに記録されている。まるで、映画のスチールを観ているかのようだ。

 昭和三十三年というと終戦から十三年、平成最後の秋から振り返ればちょうど六十年になる。建物も歩く人々もその風俗も今とは異なる。それは違う世界のように見えるだろう。――そのとおりなのだ。なのになんだろう、この違和感は。昭和三十三年世界を行き来する人々は活気に満ちているがどこか垢抜けない。それなのに、しゃっきりしているようにも見える。写真からうかがえる張りつめた空気に飲まれページを繰りながら異世界感をもたらす原因のひとつに、ふと思い至った。
 服が、体に合っている。
 姿勢はよろしくなく、腰は扁平で脚は短く、男も女も老いも若きももっさりしているのにコートの肩が、袖丈が、ズボンの裾がぴたりと合っているだけでこんなにもしゃっきりして見える。
 かつての日本では着物が高価でくだりもののひとつとして古着がさかんに取引されていたことは有名だ。洋装が普及したのちも服はやはり高いものであつらえたものだけでなく古着も丈を直してだいじに着ていたのだと聞く。私の住む街にかつてあったテーラーも、そうしたニーズにこたえた店だったのだ。
 もの思いから覚めるように写真集のページを繰れば、向田刑事と緑川刑事が聞き込みをしているのはアメ横の一角だろうか、通路をはさんで所狭しと並ぶ洋品店だ。その活況は現在のアメヤ横町の景色と重なる。「つるし」や「ぶらさがり」と呼ばれた既製服が当たり前になる歩みがもう始まっているようにも見えた。
 今も変化の波がざぶざぶと東京を、日本を洗っている。新しかったもの、当たり前だったものがいつか古色を帯び、失われる現場に私たちは立ち会っている。そう考えたら胸が痛むような、どんな景色へ変化するのか見てみたくなるような何ともいえない気持ちになった。

 写真集『張り込み日記』(ナナロク社版)の終わりに写真家の略歴、そして「本書について」という短い文が載っている。

本書の刊行にあたって、2つの先行する写真集の存在があります。渡部雄吉が撮影した本作品は、神保町でイギリスの古書店バイヤーにオリジナルプリントが発見されたことを契機に、2011年、フランスの出版社 Editions Xavier Barrel が『A Criminal Investigation』として初めて刊行しました。2013年には、日本で保管されていたオリジナルネガフィルムから新たにプリントし再構成した作品を、日本の出版社 roshin books が『張り込み日記』として刊行しました。本書はこの2冊を源に誕生いたしました。刊行した2つの出版社へ最大の敬意を表します。
     ナナロク社


 曲折を経て三つ目の写真集となった本書の、ところどころに配された乙一氏の解説は一貫して抑えたトーンで、モノクロ映画のスチールのような雰囲気を損なわない。「昭和の事件に触れて思うこと」と題されたあとがきで氏は〈この写真集にはトリックが使用されている。嘘というべきだろうか〉と書いている。初めてこの写真集に目を通し最後このあとがきを読んだときは驚いたものだ。写真集というからには当然、写真がメインなのだがこの本はミステリ作家らしい趣向も楽しめて読み物としてもとてもおもしろい。

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