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『ビリーブ 未来への大逆転』を観て若気の至りを思い出した

数年前まで海外出張の多い部署にいたので、
映画は移動中の機内で観るものだという感覚でいた。
機内に乗り込むとすぐに飛行時間と各映画の所要時間チェックし、
どうしたら効率よく映画鑑賞をこなせるかパズルしたものだった。
私自身の異動とこのご時世のおかげで映画を見る本数が著しく減ってしまったので、今年は新旧問わずできるだけ映画を観たい!と意気込んでいるのだが、進捗は芳しくない。笑

そんなわけで、今日はAmazon prime Videoのおすすめにでてきた映画『ビリーブ 未来への大逆転』を鑑賞した。この ”おすすめ” というヤツは非常に優秀で、私が以前から観たいと思っていた作品を「冷蔵庫に入ってます。チンして食べてね。」くらいのテンションで、さりげなく表示してくるので不思議だ。

史実がベースなのでネタバレということもないが、できるだけクライマックスには触れないように気を付けて書きたい。

あらすじ

女性の権利向上に尽力したことで有名なルース・ギンズバーグという実在の女性の半生、1950年代から1970年代を描いた作品。
大学時代に結婚・出産し、夫 マーティンに続いて、当時500人の生徒のうち女性は9人のみで、女子トイレすらなかったハーバードのロースクールに入学する。
途中、ガンを患った夫に代わり代理で講義に出席し、レポートも代筆(口述筆記)し、二人分の単位を取得しながら夫の介護、育児、家事の全てをルース一人でこなし、その甲斐あって病を乗り越えた夫は卒業後ニューヨークの法律事務所に就職する。
それを機に彼女はコロンビア大へ移籍し、主席で卒業するも、ユダヤ人 且つ「女性」であることを理由にどの法律事務所も彼女を雇わなかったため、大学教授として男女平等の講義に力を入れるのだが、ルースは弁護士の夢を捨てることはできなかった。
そんなとき、夫からある訴訟記録をルースに差し出される。
国税庁が親の介護費用の控除を却下したというその訴訟の原告は、なんと未婚男性だったのだ。
この訴訟がこの国の”男女平等”を大きく変えるのだと信じて、ルースは初めて夢にまでみた弁護士として法廷に立つことになる・・・。

本当の意味の職業選択の自由とは

あるパーティーの帰り道、マーティンの上司が女性蔑視発言をしたことで、ルースはマーティンと口論になるシーン。

「何が不満だ。大学教授は立派な職業だぞ!君は若い弁護士をたくさん育ててる。」

彼が言うと、

「(育てるのではなく)私がなりたかったの!」

ルースは優秀でありながら、女性であることを理由に法律事務所を落とされてきた。
にもかかわらず、自分がなれなかった弁護士を世に送り出す仕事をしている。
なんて皮肉だろう…。
マーティンの言うように、大学教授は素晴らしく、やりがいのある職業であるのは間違いないが、男性ばかりで肩身の狭いロースクールで、人の何倍も努力をしてきた彼女が、”女性”だと言うだけで本当の意味での職業選択の自由がないことが悲しくもどかしかった。

理想の夫 マーティン

マーティンというのは、今の世でも夫のお手本としたいような人物で、
当時では考えられないことだが、ありとあらゆる家事・育児を公平に分担しているのだ。(しかも『君の名前で僕を呼んで』のアーミー・ハマーが演じているため超絶イケメンときている。イケメンは世界を救う。)
そんな素敵な夫 マーティンは、先の口論の後で、ルースのこれまでの経験を活かすことができ、且つ裁判の経験を積むことのできる訴訟記録を持ってくるなんて、どこまでもできた夫である。
お互いに高め合える存在というのはこういうことを言うのだ。(きっぱり)

女性差別・男性差別

税法に謳われている親の介護費用の控除が女性には適用されて、未婚の”男性”には適用されず、あたかも脱税であるかのように責められる。
これは”女性は家に居て、育児・介護をするのが当たり前”であって、同時に”家で育児・介護をするのは女性がすべきこと”だという大前提のもと、法がなりたっているが故の男性差別だ。
最初に女性差別を訴えた裁判は、この時から数えて100年程前になる。
つまりこの裁判までの100年もの間、女性負け続けていることになるのだ。
様々な困難を乗り越え、最高裁での歴史的大勝負までこぎつけるのだが、そこでのルースの弁論シーンは、実に胸を打つので是非観ていただきたい。

私自身の経験としての女性差別

映画を観終わって、私自身の女性差別の経験を探してみたところ、一番に思いついたのは遥か遠い昔の就職活動だ。
特に印象に残っているのは、ある会社の面接で、絶対に男性には聞かないような質問をされたことだ。
当時その会社は、女性に対してのみ総合職と一般職とで分けていて、私は総合職の枠で応募していた。

「あなたは一般職を志望している女性と何が違いますか?」

と、男性の面接官に質問された。

私は言葉を詰まらせてしまい、うまく答えられなかったが、
私が女性だから聞かれている質問だと思う という主旨を伝えたような気がする。
まぁ、そんなことを言ってしまえば不採用になることは間違いない。
若気の至りではあるが、それでよかったと思う。

後から思えば、それは単なる女性差別ではなく、
総合職としてのマジョリティーは男性である職場で、一般職として働く女性と一緒に働くことへの適正や、精神的にタフかどうかを試されたのかもしれない。

結果として、幸いにも採用試験中に少しも女性差別を感じなかった会社から内定をもらい、今もそこで働いている。(当時から男女ともに総合職という枠しかなかった。)
長い会社生活で、女性の方が不利かな?と思わなくもない場面もあったが、総じて女性だということを業務面では意識せずにいられている。
あの時、うっかりあの会社に入社しなくて本当に良かったと思う。

男女平等については、進んできているものの世界レベルでも見てもまだまだ発展途上だと思う。(特に日本は遅れをとっていると思う。夫婦別姓なども?)
そして女性差別が故の男性差別も沢山ある。(育児休暇など)
とは言え、私が就職活動していた15年程前と比べても、世の中は随分女性にとって生きやすくなったとは思う。もちろんまだ十分ではないが、進歩がないというわけではなさそうだ。
それもこれもルース・ギンズバーグ氏のような先人のお陰なのだと思うと、畏敬の念に堪えない。

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