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元祖BL(禁色/三島由紀夫)

※ネタバレあり※
1964年初版発行の、三島由紀夫の小説。
今でこそBLは市民権を得ているが、発売当初はかなりセンセーショナルな作品であったことは想像に難くない。

完璧な美貌をもつ青年・南悠一が、老作家・檜俊輔に「僕は女を愛せないんです」と打ち明ける。俊輔は作家として成功しているものの顔は醜く、女たちに浮気や不倫という形でさんざん裏切られてきた過去があった。俊輔は悠一を利用して、自分を裏切った女たちを堕落させようと企み、悠一に50万を支払う。
男色家であることを隠してきた悠一は、表向きは康子(悠一にぞっこんな美女)と結婚しながらも、俊輔の手ほどきによりゲイバー「ルドン」に通い、人生を狂わされていく。
一方で康子との間には子供が生まれ(つまり悠一はバイセクシュアル?)、康子に対してプラトニックな愛が芽生えていくのだが、康子は悠一の関係者による密告の手紙によって真実を知り、一瞬で冷めていく。
ラストは、悠一が俊輔に50万円を返しにいく場面。
この小説では多くの男が悠一の虜になるが俊輔もその一人で、過去の女への仕返しが一応は済み、悠一への愛に気づいた俊輔は、1千万の遺産を悠一に残して自殺する。

700頁近くある大作だが、ストーリーが面白くずんずん読めた。
主人公の悠一の丁寧な心理描写はもちろん、康子の狂気さえ感じさせる序盤からあっさりと冷めていく終盤の「THE・女」な描写がすごい。

あと私はBLには疎いが、男女の身体と心の表現が誌的かつ的確で、あらためて「三島由紀夫すげぇ…」と思った。以下、引用。

男の肉体は明るい平野の起伏のように、一望の下に隈なく見渡されるものだった。それは女の肉体のように散歩の都度あたらしく見出される小さな泉の驚異や、奥へゆくほど見事な晶化の見られる鉱石の洞穴をもってはいなかった。単なる外面であり、純粋な可視の美の体現だった。最初の熱烈な好奇心に愛と欲情の凡てが賭けられ、その後の愛情は精神の中へ埋没するか、ほかの肉体の上へ軽やかに辷ってゆくかしかなかった。まだたった一度の経験があるばかりなのに、次のような類推の権利をはやくも悠一は自分の中に感じるのであった。
『もし最初の夜にしか僕の十全な愛の発露が見られぬとすれば、その稚拙な模倣の繰り返しは、僕自身と相手とを二人ながら裏切ることに他ならない。相手の誠実で僕の誠実を量ってはならない。その逆であるべきだ。おそらく僕の誠実は、次々とかわる相手との最初の夜を無限に連続させた形をとるだろうし、僕の変わらぬ愛といえば、無数の初夜の喜びのなかに共通する経糸、誰に向かっても変わらない強烈な侮蔑に似た一度きりの愛に他ならぬだろう
美青年は康子に対する人工的な愛と、この愛とを比べてみた。どちらの愛も彼を憩(やす)ませず、急き立てた。彼は孤独に襲われた。

絶対に結ばれないとわかっているからなのか、当時ゲイ界隈では同じ相手と長く続けるよりは日替わりでとっかえひっかえするのがスタンダードだったらしい。

私は「浮気はめちゃくちゃするけど、同じ女性とは一回きり」をポリシーにしている男性を知っているが、彼はそうすることで、本命の彼女に対して彼なりの「誠実」を貫いているのだなと、この箇所を読んでふと思った。
(そもそも浮気すんなや、という話ではあるが)

男からも女からもモテモテの悠一だが、お気に入りの美男子と街を歩いていて、見知らぬ女性から「見て。あの人たち同性愛者よ」後ろ指をさされ笑われる場面がある。
悠一は「あいつら!あいつら!死ぬまで健全な道徳と良識と自己満足を売り物にするあいつら!」と怒りを露わにしながらも、結局は

しかしいつも勝利は凡庸さの側にある。悠一は自分のせい一杯の軽蔑が、彼らの自然な軽蔑に敵わないことを知っていた。

と締められている。
「自然な軽蔑」という表現、切ねぇ…。

悠一を利用した俊輔の復讐はかなり胸糞悪いのだけど、オチを考えると彼もまたこの物語の主役で、というか登場人物みんなの葛藤が主役級であった。それぞれの目線から悠一を描けば、いろんな色が混ざりすぎて真っ黒になってしまうだろう。「禁色」は、黒色だと思う。

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