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風景しかない(ラオスにいったい何があるというんですか?/村上春樹)

世界中を放浪すると息巻いていたバックパッカーが、あまりの居心地の良さにある一点から動けなくなってしまうことを、旅人界隈の言葉で「沈没」と呼ぶ。
ラオスは、旅人を沈没させることで有名な国だ。
物価は安く、人は優しく、治安も気候も良く、コーヒーが美味しい。
それ以外に何があるの?と聞かれれば、答えは「何もない」。
逆に言えば、何もないから沈没できるのだ。
私は実際にラオスに滞在した際、身をもってそれを体験した。

そんなラオスを舞台にした、村上春樹の旅エッセイ。
気になる!!!と思い手に取ってみたものの、これはラオス旅行記ではなく、彼がさまざまな国や国内を旅した際のエッセイをまとめた本だった。
取り上げられている場所は、村上春樹が滞在しながら執筆をしていたというボストンやギリシャに始まりアイスランドやフィンランドなど北欧、ニューヨーク、イタリア、ラオス、そして熊本。
翻訳業をしているからには、海外経験豊富なのは当たり前なのに、なぜか私は「春樹がこんなに海外で生活していたなんて!」と驚いてしまった。

タイトルは、村上春樹がラオスに向かう際、トランジットしたハノイでヴェトナム人に尋ねられた質問らしい。

「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が
耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。
それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。

あぁ、わかる。わかる。わかりすぎる。
私が旅に夢中になっていた頃、何を基準に行く国を選んでいるのか、なぜそんな馬鹿みたいに放浪しているのかと何度も聞かれたが、答えなどなかった。

「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」
これは村上春樹の旅の哲学らしい。
うまく行かないことこそ旅の醍醐味なのだとしたら。
それもまた人生というもの、なのかも知れない。

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