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100万回生きそうな男(命売ります/三島由紀夫)

自殺に失敗した独り身の青年・羽仁男は、自分はもう死んだも同然と言わんばかりに「命売ります」という新聞広告を出す。
客は次々に訪れ、殺人代行、怪しい組織との取引現場への同行、吸血鬼女に血を吸わせる(ここだけ急にファンタジー)等さまざまな依頼をするが、なぜか羽仁男は毎回生き延び、代わりに依頼者やその周りの人間が死んでしまう。この商売で思わぬ大金を手にした羽仁男は、生への執着も責任もない状況を次第に謳歌し始めていた。
吸血鬼の一件で疲れたある日、商売を小休止しようとアパートを引き払い、新しい家を探そうと不動産屋に行った。そこで大地主の娘・玲子に偶然出会う。離れに住んでくれる人を探していた玲子に気に入られた羽仁男は彼女と夫婦のような暮らしを始めるが、次第に玲子に拘束され、命を狙われるようになる。羽仁男は玲子から逃れようとホテルや旅館を転々とするが、行く先々で何者かに命を狙われて…

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同居を始めて間もない頃、羽仁男と玲子はこんな会話をしている。

「僕はこの部屋で、しばらく心身の疲労を休めたいと思うんですよ」
「何に疲れたの?人生に疲れた、生きることに疲れた、なんて平凡なことじゃないでしょう?」
「だって他に疲れることはないでしょうが」
「あんたは、わかってるわ、あんたは死ぬことに疲れたんだ」

この時点で羽仁男は多少なりとも生への執着を取り戻していたのかも知れないが、それでもずっと死にたがっていた彼が玲子に命を奪われたところで問題はないし、むしろ本望であるはずだ。それでも、彼は逃げ惑う。

こんなにクヨクヨするのは、すでに自分が不安に苛まれているからに他ならない。吸血鬼の女に毎日血を吸われていても、少しも不安を感じなかった自分が!
考えてみると、生きることがすなわち不安だという感覚を、ずいぶん久しい間、彼は忘れていたような気がする。それは、しらずしらず、羽仁男が「生」を回復したしるしではないだろうか。
(略)
これからどこへ行こう。
東京から逃げ出すのが一番だ。その動機はといえば、もう自分に嘘をつく必要はなかったが、明らかに「死の恐怖」そのものだった。

依頼人の吸血鬼の女には、金銭報酬と引き換えに進んで殺されようとしていた羽仁男が、同居人の玲子に殺されると分かった途端、死の恐怖を思い出す。
言うまでもなく、死んでしまえば金銭は何の意味ももたない。
羽仁男は、得た報酬でアパートの大家に半年分の家賃を先払いするなどしており、「稼いだ金をパーっと遣ってから死にたい」というような願望もなかった。
それでも、彼には報酬が必要だった。
人は行動に理由を求める生き物だが、自殺の明確な理由がない(少なくとも描かれていない)羽仁男には、報酬が唯一の理由になったからだ。命の値段が依頼人の言い値だったように、大事なのは報酬の中身ではなく「報酬を得ること」それ自体だったのだと思う。

ところで、玲子に会うまでの数件の依頼で、なぜ羽仁男は死ななかったのか?
それはエンディングで軽く触れられているものの、私は読んでいる最中『100万回生きたねこ』を思い出さずにはいられなかった。
きっとあの猫と違って、羽仁男はしぶとく生き続けるのだろうけど。

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