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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第15回(32歳:双極性障害と結婚と子供)

〜32歳(2015年1月)〜

新しい事業をつくるプロジェクトがスタートしました。

発起人として私がリーダーとなり、業務後の時間を使い、有志が集まってミーティングを重ねました。

私が作りたかったのは、会社の事業「うつ・双極性障害などの方の社会復帰サービス」の対象を広げるもの。

休職、離職中に限らず対象範囲を広げてサービスをとどけたい。

また、会社の理念にある「自分らしい生き方」を実現させるため、休職、離職から社会復帰したあとで必要とする方に、自分らしい生き方を実現させるサービスが出来ないかと考えてのものでした。

サービス名称は「リライフ」と命名し、専用プログラムを作成。既存サービスを経て社会復帰した方々に説明会を実施し、プログラムのテストに協力いただいたりもしました。

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本当に形になるのか不安で気分が落ち込んだり、糸口が見えて気分が上がったりと気分の上下はありましたが、2015年は安定して病気をコントロールできている感覚がありました。

なぜかと振り返れば、

・自分自身でやりたいと思ったものを自らすすめられた

・それに賛同する仲間が集まった。その空気感が心地よかった

・業務後のミーティングではあったが、お互い無理はしないことが合言葉だった


・それぞれの自分らしい生き方を常にかんがえ、共有できる場があった
などかなと思います。

ただ、この一年が今までの年と大きく違ったのはプライベート面での変化でした。

〜32歳(2015年4月)〜

入籍をしました。

前職の同僚で、5年以上の友人関係にあった方。お付き合いをしたのは2014年からで、結婚を前提にしたものでした。

奥さんとは趣味が合う、私と同じ支援の仕事をしている、人に話をするより聴く事の方が多いなど、共通点がたくさんあります。

ただ、過去にメンタル面で体調を崩した経験をお互いしていることは、私にとって家族となる上で重要な要素になりました。

私は気分の波が大きくある人生。

今後もその波はあるし、パートナーを翻弄してしまう可能性が多くあります。

奥さんも病気の大変さを実感しており、実際私がうつ気味になった時、奥さんのやり方を押し付けず、そっとしながらもどう関わったらいいかを私に聞いてくれたのはとても助かりました。

結婚の話をした時、私が病気のことを今後も開示して活動してくれることも受け入れ、了承してくれたのはとてもありがたかった。

仕事だけでなく、プライベートでも自分を保つ重要な存在が出来た感覚がありました。

〜32歳(2015年7月)〜

入籍して3ヶ月後、赤ちゃんが出来たことが分かりました。

正直、人の親になる自信はなかったのですが、それ以上に不安になる奥さんを前に、

(私がしっかりしよう。なるようにしかならないし、私達らしい家族をつくっていければいい)

と、そういった気持ちで奥さんを支えました。

人の親になる自信がない。
この言葉の真意として、私はずっと子供が欲しいと思ってきていて、結婚した理由の1つは子供を育てたいでした。
ただ、人を育てることはとても大きなことで自分には難しいとずっと思ってた時、親になってる友人に話を聞くと
「子供が生まれる前は不安だった。子供ができてそこから親になっていくので、生まれる前に自信持ってる人いないんじゃない」
という言葉に後押しされ、まず親になることの一歩を踏み出しました。

〜33歳(2016年1月)〜

子供が生まれるまで2ヶ月を切り、リライフは事業化に向けて本格的に動き出すことになります。

今までは社内のメンバー、過去の利用者さんなどの身内を中心に意見をあつめ、検証をしてきた。

これからの一年は、実際に事業化になったときに、既存業務と兼任になってもいいと思う人を集め、対外的に情報を発信しながら事業計画を立てるといった、より本格的にすすめることになりました。

以前よりも緊張感が高まる中、メンバーも一時は10名近くいた所を4名に絞り、動き出しました。

また、社外に向けて情報発信するにあたり、リーダーの松浦自身にもより専門性が必要なのではと考え、この年の4月からスタートする精神保健福祉士の通信講座にも申し込みました。

2016年は、仕事にもプライベートにも大きな変化となる予感がありました。そして、実際、その変化によって私自身が翻弄されてしまいます。

つづく

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