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気になる国・キューバ🇨🇺②

気になる国・キューバ①の続き》

前回のnoteでは、若林正恭さんの「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読む中で、私がどうしてキューバ🇨🇺に行ってみたいのかが若林さんのお話を通して明確になってきた事を綴った。

若林さんが実際にキューバに降り立ってからのお話もとても臨場感があり、もうキューバに行かなくてもいいかも?!と思うくらい、様々な景色を感じさせてもらった。

すれ違う人は誰もぼくを見ないし、失笑もしない。帽子もマスクもしないで歩くと、コメカミを通り過ぎていく風がとても気持ち良い。

異国の地でやっと無防備になれた著名人ならではの一文に、泣きそうになった。

彼の心情描写に何度も心を揺さぶられると同時に、私が気づいてさえいなかった疑問を若林さんが解いてくださるかの様だった。

選択の自由があり、欲しいものも手に入れ易く有難い環境に生きる私達は、自分の魂が望む様に生きられているのか?

自分が望む事よりも、社会から世間から認められる事を選んでいないか?

「不寛容社会」は、どうしたら解消されるのか?

読みながら、これまではっきり言葉にした事のなかった疑問が言語化されていった。

ところが、若林さんはキューバの人々の生活を目の当たりにし、平等を目指す社会主義の国に生きる人達が必ずしも平等に生きられてはいない事を知る。

例えば、市場にコネが無いと買えない物があったり、コネによって割り当てられる住居が良くなったりするらしい。

勿論日本やカナダでも似た様な事はあるけれど、多くの場合はお金が解決してくれる。コネが無いと多少高いかもしれないが、お金さえ出せば手に入れられる、と言った具合に。

教育に関しても、キューバでは若いうちに才能を見極められ、スポーツが得意な人はスポーツの学校へと言う感じで振り分けられると言う。

どこまで意志を通せるのかはわかならいが、仕事に関しても殆どの人々が公務員で能力に関係なく割り当てられた仕事をしているようだ。

また、キューバの若者は外国の映像などでおしゃれな服を目にし、どうして配給にはおしゃれな服が無いの?と思っているらしい、と。

そこで若林さんは気づく。人間は元来より良いものを着たいし、より良いものを手にしたい生き物なのだ、と。

日本の自由競争は機会の平等であり、結果の不平等だろう。キューバの社会主義は結果が平等になる事を目指していて、機会は不平等といえるのかもしれない。

選べる自由があると迷いが生じるし、秀でた能力やセンスが無い私の様な人間にはちょっと苦しいけれど、自由に選べないのはきっと辛い…

どちらの方が良いと言う問題では無く、やはり隣の芝は青く見えるものなのかもしれない。

若林さんが仰る通り、何かが思い通りにいかない時には「コネが無い」と言う理由は説得力に欠ける。

もしかしたら「競争に負けているから」と言う理由の方がまだ納得できるかもしれなかった。
そして、日本を経つ前に新自由主義に競争させられていると思っていたが、元々人間は競争したい生き物なのかもしれない。

これが人間の性(さが)なのだろうか。

若林さんの見解を読みながら、初めて真剣に考える物事の数々に頭がパンクしそうになる。

そして、若林さんの言う様に、勝手知ったる価値観から逃れて人々が陽気に過ごして居そうなキューバの空気に触れたら癒されるかもしれないと、私も期待していた事を認識した。

う〜ん、甘かった。

そして、本の中で最も気になった記述についてまだ触れていなかったので、③に続く〜!

¡gracías! 


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