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気になる国・キューバ🇨🇺③

気になる国・キューバ①はこちら
気になる国・キューバ②の続き》

若林正恭さんの「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んでいて、私が感じてきた様々な違和感を言い当てられるかの様でびっくりした中、いちばんドキッとしたのはこの一節。

彼が、ハバナで革命博物館を訪れた時の事。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」というゲバラの名言がある。

… ぼくはきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼ら[ゲバラやカストロ]は命を「使っている」目をしていた。

私も間違いなく、命を「延ばしている」人間だ。

命を使う… 

その感覚を私は知らない。

使命。お役目。

私はそれを感じた事が無い。

日本で生きるぼくの命のイメージは「平均寿命まで、平均よりなるべく楽しく生きる」ことなのではないかと、そんなことを初めて考えた。

私もいろんな違和感や窮屈さはありながらも、そこそこ楽しく生きらればいいか、ぐらいに思っていたな…

ぼくは革命博物館で「命を使いたい」と思った。それぐらい、彼らの生には私欲を超えている者特有の輝きがあった。

日々楽しく平穏に暮らせる事はとても幸せだけれど、人が得られる最上級の幸せはこれなのかな、と思った。

自分の命を最大限に使える事。

きっと命を尽くして何かに取り組んでいる時には、周りが「勝ち組」「負け組」と騒いでいようが、勝手に誰かの土俵にあげられて勝手に勝たされたり負かされようが、そんな事はどうでも良くなるのだろう。

命の使い道を見出せないでいる自分から目を逸らし、環境や社会を責めるのはやっぱり逃げだな、なんて当たり前の事を今更ながら考えた。

キューバは新自由主義ですり減った心を癒す楽園ではなかったかもしれないけれど、若林さんはその地で幾つもの大切な事に向き合われた。

血の通った関係の象徴であったお父様を亡くした悲しみ。
彼が住む「灰色の街」東京に蔓延る価値観と、彼の感じる違和感。
命の使い方。
夕暮れのマレコン通りに群がり、笑い合うキューバ人達の表情。

新自由主義の競争は疲れるし、社会主義の平等には無理があった。でも、それは行く前から知っていたような気がする。
では、ぼくがこの目で見たかったものって何だったんだろう?帰りの機内で考えていた。
 
マレコン通りに集まる人々の顔が脳裏に浮かんでくる。ああいう表情は、どういう気持ちの時にする顔だろう?

この目で見たかったのは競争相手ではない人間同士が話している時の表情だったのかもしれない。
ぼくが求めていたものは、血の通った関係だった。

若林さんは本の中で何度か「白々しい」と言う言葉を使い、東京を「灰色」だと言った。

弱肉強食の芸能界に生きておられる若林さんにとって、血の通った関係は見つけにくいものかもしれない。有名人だから近寄って来る人も多いだろうし、損得勘定が潜んだ競争関係が多い事は想像に難くない。

そうか、
キューバに行ったのではなく、
東京に色を与えに行ったのか。
だけど、この街はまたすぐ灰色になる。
そしたらまた、網膜に色を写しに行かなければぼくは色を失ってしまう。

生きているといろんな事があるし、周りに圧倒されてしまう事もある。

でも、命を使い自分が彩りを放つ生き方をしていけたら、きっと様々な違和感も和らぎ参加したくない競争や同調圧力に惑わされる事も減るだろう。

刻々と時代が変化してく今、多くの人は物質的にはそこそこ満たされる様になった。

しかし、物質的な豊かさや社会的な成功では得られなかった彩りは、血の通った繋がりを培う事や自分の命を使う事でしか得られないのかもしれない。

どんなに社会や環境や他者のせいにしたところで何も変わらない訳だし、やはり自分次第なのだな、と改めて当たり前の事を思う。

こうして若林さんの本を読みあれこれ思いを巡らせた事で、キューバに何かを変えてもらおうと期待していた他力本願な自分を反省した。

そして、キューバとそこに住む人々への興味が以前よりも純粋なものになった。

やっと私がキューバに行く時が来たのかもしれない。

高校と大学で少しだけ勉強したスペイン語の知識は跡形も無くなっているし、ゲバラの事も革命の歴史も大して知らない。

これから少し勉強して、そう遠くない未来にキューバに行く。必ず行く!そう思ったら久々にワクワクしてきた!

長い独り言にお付き合いありがとうございました〜

¡muchas gracías! 

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