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背中を押す、青かった春


大学生になる。

らしい。

正直まだ実感がわかない。私にも大学生になる日が来るのか。

大学生っていうと、ずーっと年上のお姉さんだと思っていた。高校生までは子どもなのかなあ、じゃあ、大学生は大人かなー。なんて思っていた。

で、私、大学生なんですけど。もう大人にならなければいけない季節なのかも。んー、大人ってなに?


進学にあたって地元を離れることになった。早く知っている町を飛び出して、一人で生活してみたい、なんて考えていた。

運動不足を防ぐため、春休みはよく散歩をした。かつてよく遊んだ公園の近くを歩いたり、思い出が滲んでいる小学校の通学路を歩いた。よく歩く、だいたいお決まりのコースだった。春の暖かい空気は心地よく、例年より早く咲いた桜は春の陽気な雰囲気を増幅させていた。なんとなく、幸せに感じる。

その日も私はなんとなく歩いていた。嵐の曲から自分の好きな曲を集めたオリジナルプレイリストをイヤホンから流して。すると私は久しぶりな、不思議な感覚を覚えた。私は、中学校への道を歩いていた。何年ぶりだろう。2年?3年?歩いていない気がする。

ここの景色を何回も、何回も見た。朝、眠い体を無理矢理動かして友達と待ち合わせた。遅刻して登校したときは、昼の強めの日光に照らされるアスファルトを歩いた。わずか5ヶ月ほどだったが、クラブの友達と愚痴をこぼしながら、夕焼けに包まれる踏切を渡ったこともあった。生徒会での忙しくも楽しい時間を過ごした後は、町はもう真っ暗になっていた。進路のことや、夢のことを帰り道にぽつりぽつりと話した、ちょっと恥ずかしい感覚も、思い出さなくても良いのに蘇ってきた。


でも一番多く見た景色は、車の窓ガラスを通した、この景色だった。桜の季節も、汗の滲む暑さの時も、イチョウが黄色い絨毯をつくる時期も、寒さに凍えて指先を赤くしていた時も、いつも母が運転してくれた車の中から外を見ていた。手袋は持ったのかとか、水分補給は忘れないようにとか、いろいろ言われて、ちょっとだけ「うるさいなあ」と思った。特に言い返したり、暴力的になったり、グレたりはしなかったが、短いながらもはっきりと感覚に残っている、私だけの反抗期だ。

母は、学校にいつ行くのか、そもそも行くか行かないかわからぬ娘をずっと送り迎えしてくれた。昼から急に登校するといっても、弁当を持たせ送ってくれた。病気で体調を悪くし、自分でもどうしたらいいのかわからず、未来も見えなくて、お先まっくら!なんて思ったこともあったが、両親は根気強く支え続けてくれたのだな、と今になって思えた。<大人になってから気づくものね>みたいな歌詞の歌を聞いたことがある気がするが、なるほど、こんな感覚なのかしら。自分ではできないことがある、ということが当たり前で、こんなにも支えてもらっていた毎日だったのだと、懐かしい道を歩きながら気づいた。

これからは、『自分』なのだ。

自分で選択し、自分で行動し、自分の大切なものを見つける。まだまだ先だと思っていた未来は、いつのまにか、ぶつかってしまいそうなくらいすぐ目の前に来ていたのだ。また新しく、一歩進むべき時がきたのだ。

とわかったつもりでいたのだが、やはり見慣れた景色の中を歩くと、楽しかった日々、愛されていた日々を思い出し、そしてもう二度と戻れないことを感じ、胸がきゅうとなった。振り返れば、友達と笑い合う、あの日の幼い私が見えるような気がする。わいわいと話し声まで聞こえるような気がするのに。

しかし、また同じ幸せに戻れるなんてことはなく、私は「今」を歩いているだけだった。でも目を閉じれば、決して戻ることのできない、暖かく眩しい少女時代がそこにあった。


桃色の道を生み出した桜たちは、花びらの形こそ残っているものの、もう色が変わり始めていた。