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学校に行く理由を履き違えるな!

スーパーのミニクレーンゲームで「すみっこぐらし」のフィギュアを取るために投資して、取れた喜びを娘と分かち合えたけれど、翌日にどこかに落として紛失してしまった娘よりも凹んでいる、まいんまーとです。

さて、今回は「学校に行く理由を履き違えるな!」というテーマについて書いていきます。


みなさんは学校になぜ行くと思いますか?

勉強するため、社会に出る準備をするため、友だちと会うため、やりたいことを見つけるためなど、人によって目的は違うと思いますが、少なからず初等中等教育(小学校から高等学校)において私は次のように考えます。

それは

「多様な他者がいる中でお互いを認め合い、ともに学ぶため」

です。


もちろん、学校で学ぶベースとなるものは「教科カリキュラム」です。国語、数学、理科、社会…というように、それぞれの教科を授業という学びの機会を提供する場を設定します。そして、教科ごとの特性に触れながら、「基となる知識や技能」を身につけていきます。

この「基となる知識や技能」をまず身につけることは非常に重要です。なぜなら、その後自分の学びを深めていくことや、他者と話し合うために必要なものとなるからです。

例えば、1、2、3というような数字を知らなければ、足し算や引き算はできません。アルファベットを知らなければ単語や文法も分からず、目的である英語でのコミュニケーションまで行きつきません。

なので、教科ごとの「基となる知識や技能」を身につけていくことは重要です。ただし、これに偏ると本来の目的には辿りつきません。

少し話がそれましたが、イメージとしては「話し合いのタネ」をしっかりと植えるということです。

そして、その「タネ」をどのように育てて、どんな花を咲かすのかをみんなで考えることが、授業の一番の目的になると考えます。

水をどうやって、いつ、どれくらいあげるのか?土はどうするか、肥料は?というように、みんなで様々な考えや意見を出し合い、一番良いやり方を模索し、検証します。

そして、花が咲いても咲かなくても、また思っていた花が咲かなくても、みんなで考えて出したという思考過程と検証結果を得ることができます。


このような学びの機会を提供することが理想的ですが、ここで話し合う以前にお互いに認め合える関係が作れていなかったらどうでしょうか?

できる子もいればそうでない子もいるし、男女に分かれているし、活発なこもいれば控えめな子もいる。そのようなコミュニティで、お互いの個性を認め合って助け合って活動する文化を創れば理想に近づくことかできると考えます。

このように、他者と学びあう経験は思考を広げることにつながり、将来チームとして活動する時の糧となるでしょう。

以上のことから、学校とは学びのコミュニティであり、知識や技能を身につけるとともに学び合う力を高める場であると言えます。

もちろん知識だけならオンライン授業で十分でしょう。しかし、他者と意見を交わしたり、助け合ったりする経験は学びのコミュニティである学校でしかできないと思います。そして、そこにこそ学校の価値があると考えます。

学校に行く理由はそれぞれであっても、学校の本質は違うところにあるということを、せめて子どもたちを迎える側の教員は理解しておくべきだと私は思います。

たくさんの笑顔が生まれて、みんなハッピーになれるようなステキな社会にしていくために、明日からまた努力していきたいと思います!


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