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「他人とおなじことはしたくない」の心

時代の転換期の湯処、まいの湯へいらっしゃい♨️



自己表現、発信、コンテンツ作り


自分らしさを追求していきたいとおもって
一歩踏み出すときに



「他人とおなじことはしたくない」


そう思うひとがいます


(これを読んでくださってるあなたはどうですか?)



でね
これって実は珍しいことかもしれなくて



やっぱりひろ~くみてみると
割合としては

「失敗したくない」「目立ちたくない」
「損したくない」「無難でありたい」

そうおもう人の方が多いようです




で、
「他人とおなじことはしたくない」
と思っているタイプのかたは


「そりゃ、かぶりたくないもん」

とその気持ちを
当たり前のように感じている


「むしろ、どうして他人の真似ができるのか」

とすら感じるかもしれません




ものづくり、表現をするときに

「独自性」「唯一無二」を目指すことは
とても大事なことですし


そこに「金銭」が発生するとなると


なおさら
「個性的であろうとする意識」が起きることがあります



これですね、、


場合によって


「私は特別にはなれない」
「私は平凡だ」と

深いところで思っている可能性があるんです



だからこそ
「他人とかぶらないこと」
「誰もやっていないこと」を探している


ということ



だから

「他人とかぶらない」を目指すほどに

私は平凡である、という意識を

強化する現実を生む

(不完全燃焼になる、なにかがズレている感じ
から回る、売れない、見つけてもらえないetc)



こうした現実創造を
しちゃってる場合があります





もしそのスパイラルに陥っていたら
どうしたらいいかというと



ひとつ目は
自分は「特別になりたい」と思っていることを知る

(向き合わなくていい、知るだけでいいです)



そしてふたつ目に


「特別」の対象を
この界隈のみんな!日本人!などという
でかいスケールではなく


「自分にとって」「私を好きな人にとって」
などスケールを小さくすること




あなたの身近なひと、
かならずひとりは
あなたのことを「唯一無二」だと思っています


それは、
あなたも誰かひとり以上の人に
「この人は唯一無二だな」と思っているように、です🌸




「他人とおなじことはしたくない」と
思っているかたは


じつは他人のコンテンツや表現を
きちんとリスペクトしていることも多いように感じます



リスペクトしてるがあまり
自分は別の土俵で頑張ろうとしたり

レベルを上げすぎて
そこに到達できないってこともありそうです



何をするにも
「他人」「属性」という部分に
意識が向きやすいのかもしれません


その意識が悪いというわけでなく

やはり「どうつかうか?」だと私は思います



♨️


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