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原体験


夢を見た記憶はほとんどない。見たことがないのか、それともなけなしの感情を揺れ動かした、その時には自分の全てかの様に思われたものを忘れてしまったのか。はたまた結末があまりにつまらないもので、生命力に一握の需要も無い為に、海馬からその他多くの知覚情報と同様にかつての所有者など分かるはずもない様な大海に流れ出て、その後奇跡的な再会を果たしているのかも知れないとの妄想が否定できない様に、この世界の一部になったのか。

眠りについてから次に自分がこの世界に復帰するのは目が覚めた時だ。目が覚めても視力の悪い裸の瞳に映る見飽きた様で、未知である様にすら感じられるパターン化された天井に違和感を覚えないのは私の内にある情報のダムの中にその間の事が無いか、それとも既に放水されてしまったか。若しくは視界が天井でもおかしくない夢を見ていたのか。

昔、私はこの世界の潮の流れに影響を受けやすい、特に吸収度の高い一端の乾燥剤だった。探偵ドラマを見て家のベランダから通行人を観察し、細かい特徴に気を配っては逐一、かつて落書き帳だった為に立体の展開図や稚拙な、しかし独創的な拘りが見られる迷路が作成のプロセスと共に刻まれているB5判の無地のノートに書き留めたり、医療系のドラマを見ては外科医を夢見て給食着に袖を通してみたりした。これらの記憶は今もB5判の無地のノートや給食着をトリガーとして汲み取られ、私を赤面させる。残される記憶と放出される記憶のボーダーは、海馬のみぞ知ると言ったところなのだろうが、残っている記憶が古ければ古いほど、或いは些細であればある程、この世界の自分というものの根本を示しているかの様に思われる。人生という広大であって狭小なキャンパスについた小さなシミの様なものこそが自らの個性だと思うのだろう。人がよく、自分の就いた職が天職だと思いこむ根拠はこの原体験とかいうやつなのかも知れない。海馬だけがそれを意地悪く嘲笑しているのだろうが。

幼い頃、私の母は特別厳しいという訳ではなかった。しかし、学校を出席するということに相当の意味を置いている様で、微熱位なら欠席する事などあり得ないという態度であった。しかし、まだあどけなさの残る小学生の38度を超える様な発熱には流石の母も抵抗出来ず、発熱で欠席する際には幼心に何故か誇らしげな優越感を噛み締めていた事を覚えている。そして発熱で寝込んでいた時、ただ寝ているだけの日常にも辟易し始めるとよく、奇妙な感覚になったのを曖昧に覚えている。普段はその大きさに見合わないテレビのせいで窮屈な、布団のひいてある8畳程のダイニングが広く感じられ、自らの網膜が魚眼レンズになったかの様な視界になるのだ。おそらく当時としては最先端の表現技法だったのだろうが今となっては目まぐるしい流行の1小節と自然に捉えられてしまう、何十年か前のHipHop のPV の様に。本棚は終わりのない様に感じられ、天井は洋画で見る舞踏会の行われる様な館程高く感じられた。シャンデリアは無いのに。私の紛れもない原体験とかいうやつはこの記憶なのだが、これが世界における自分の位置を示すとすればどういう意味を持つのか。雲の上ででもどこでもいいから海馬に問うてみたいものだ。

デカルトか、ベーコンか。そもそも人生に正解などないのだろうが。

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