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わたしはにんげんをやめたい。

言ってしまった。

ついに昨晩、旦那に言ってしまった。


「私は本当にできることなら、誰とも関わらずに、
毎日雲と空を眺める生活がしたいんだ」

「人間の創作物は好きだ。
でも人とは関わりたくない。」

「大切にしたい人は別だけど、
それ以外の人と仲良しごっこするぐらいなら、
木と話していたい」

「私は、風になりたい」



ここ最近、SNSにちょっぴり疲れていた。

SNSの投稿に疲れているのではない。

SNSで仲良くなったと思っている人は
実はそんなに仲良くないのかもしれない

と思う出来事に多々出会ったのだ。


私は、ちょっとでも絡んでもらえたら
仲良くなったと勘違いしてしまうタイプだ。
リアルでもネットでも。

相手がどう思っているかは分からない。

他人だから分かりようがない。

だから、自分は仲の良いつもりで接する。
自己満でもいいから。

けれど相手からのリアクションが無かったり、
以前と違う対応をされたりする。

これが一人なら耐えられる。

二人でもまだ大丈夫。

三人になるとちょっと疲れてきちゃう。
それ以上なら尚更。


SNSは一度にたくさんの人と交流できる。

それが良い点でもあり、
人間関係の希薄さだけに焦点を当てると悪い点でもある。

私にとってはたった一人でも
相手にとっては100分の一かもしれない。


SNSを通して友達をつくりたい。

という想いが最初は強かった。

自己理解を深めた最近では、この想いは薄れ、
少数精鋭、友達は選んで良い、と考えるようになった。


それでも、交流してくれる人がいると
嬉しいし、楽しい。

もっと仲良くなりたい、

そう思ってしまう。


そして疲れてしまった。

片想いに疲れてしまった。

勘違いに疲れてしまった。


「私は人間を辞めたい」


頭の中で出した極論がコチラ。

「リアルでもネットでも人間関係で疲れるぐらいなら、人間を辞めたい」

深夜のテンションで旦那に叫んだ。


すると旦那から出た言葉は

「でもまき子は、色々な人と出会うことは好きだよね?」

「人間のことが好きなんじゃないの?」


好きだから、仲良くなりたいのだ。

好きだから、傷つくのだ。

それが上手くないから辞めたい。


「そうか…誰とも関わらずに、毎日雲と空を眺める生活をしたいのなら、そうすればいいよ。
僕がんばるからさ。」


「でも、まき子は考え過ぎだよ。
もっと気楽でいいよ。
”ねばならない”という固定観念に
囚われ過ぎている。」

「その基準は誰が決めたの?」



いつの間にか自分の中で

絡んでくれた人=仲良く”するべき”

という決まりが作られていたみたい。

絡んでくれた人=仲良くなってもいいかもしれないし、仲良くなくてもいいかもしれない


たったそれだけのこと。

自分で『少数精鋭、友達は選んで良い』と気づいておきながら、実際に遭遇すると対処しきれなかったのだ。


うん。

これからは

違和感を感じたら、
別にその人と仲良くならなくていいや。

今まで仲良しだと思っていた人でも、
仲良しにならなくていいや。

自分はそんなに器用じゃないし、
簡単に人間は辞められない。


きっと相手も自分の決まりで動いてる。

自分の基準で選んでる。


”ねばならない”に陥った時、

旦那の言葉を思い出すんだ。


「その基準は誰が決めたの?」



まき子🍙(@makicome1986


数多ある文章の海から、 みつけてくれて、ありがとうございます。 現在、不定期更新・お休み中です。 鹿児島から愛を届けています。