見出し画像

じぶんでじぶんのかちをみとめる。


先日、『社会人1年目の私、その会社4年後に辞めるよ。』という記事を書きました。

#社会人1年目の私へ 』というnoteの公式お題を見つけて、なんとなく自分も書いてみようかなと思ったのがきっかけでした。(募集期間はとっくに終わっていますが。)

過去の出来事やその時の感情・情景を思い出しながら書いていると、不思議なことに、だんだん、昔の自分はすごかったのでは…と、過去の自分に尊敬の念を抱くようになったのです。


面白い出来事や辛かった出来事など印象に残った出来事は、日記に書いたり、人に話すことで自分の中に刻み込まれていると思っていました。けれど、日記を読み返したり、事細かに全てを人に話したりすることはなかったので、なんとなくしか覚えていなかった、ほとんど記憶に残っていなかったのだと思い知りました。

隅から隅まで自分の過去を思い返して文章化すると、過去の自分が現在の自分であるかの如く鮮明に過去の自分を認識できます。そして、過去の自分がどれだけ大変で、苦労して、頑張って現在の私まで生き抜いてきたのかがありありと理解できます。

そうすると何が起こるか。

現在の自分は、今の自分に価値がないと思っていても
過去の自分には価値があった、と受容することができるようになるのです。

更に、価値のある自分=過去の自分が、現在の自分となっている=現在の自分にも少なからず価値がある、そう思えるようになるのです。


丁度、Twitterでこんなツイートを目にしました。


過去の自分を思い出し、自分には価値があったと受容する様は、あたかもナルシスト。でも『自己肯定感が高い』と置き換えれば、とても良い兆候なのではないでしょうか。

※厳密にはナルシストと自己肯定感が高い人の意味は別物です。


今までしてこなかった、過去の自分を思い出し文章化する作業。せっかくだからこのnoteで続けてみよう。そうしたら何もないと思っている自分にも、何か見つかるかもしれない。自信もつくかもしれない。そういえば、1月に買った『メモの魔力/前田裕二』の自己分析1000問、途中で飽きてそのままでした。前田裕二さんがおっしゃるように、自己理解をすることで自分の能力と才能に気づき、最大限に発揮できるようになるのでしょう。自分の価値や才能、個性は全て、自分の中にあるのです。

自分の価値は、自分で認めること。

ちょっぴりウザいと思われるかもしれないけれど、できることから少しずつやってみます。



まき子🍙(@makicome1986

この記事が参加している募集

数多ある文章の海から、 みつけてくれて、ありがとうございます。 現在、不定期更新・お休み中です。 鹿児島から愛を届けています。