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亀のように進む話

ミヒャエル・エンデの「モモ」というお話の中で、モモがカメに案内され時間の国へと向かうシーンがある。私はそのシーンが大好きだ。
ゆっくり歩けば歩くほど早く進み、加速すればするほど前に進まなくなる。
私自身が時間のない大人となってしまった今、この奇妙なシーンの感触が子供の頃に読んだそれとは違うものに変わっていることに気づく。

私が物語を書き始めたのがいつ頃だったかは思い出せない。だけども小さな頃から友達と即興で物語を作って演劇ごっこしていた記憶はある。
低学年時の最高傑作が「きょうふのみそ汁」という作品で、高学年時の最高傑作が「ザ・ミステリー事件」であった。
「ザ・ミステリー事件」は超ロングランとなり、約一年に渡って何度も上演された。会場は友達の家のリビングでお客さんはその友達のお母さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんだけだった。
交通事故で亡くなった女の子と黒猫の体が入れ変わって親友に会いにいくというお話だったと思う。
無理矢理付き合わされていた黒猫のミーコもたまったもんじゃなかったであろう。

小学校二年生の時の担任の先生がとても国語が大好きな先生で、自宅から小学生が読めそうな本を持ち込んで、本来なら書道や絵の具等の道具置き場であろう棚を開け放し、まるで図書館のようにズラリと並べていた。
その数は200冊を超えていたように思う。
そして私は一年かけてそれらを全部読んだ。
二年生には少し難しい本も含まれてはいたけれど、さすが国語好きな先生が選び抜いて持ち込んだけあって、どれも面白く、次から次へと手が伸びていった。

その先生は作文にも力を入れていて、当番の日は必ず、そして書きたい時はいつでも書いて提出していいノートを一人一冊準備してくれていた。
作文でも詩でも日記でも小説でも先生へのお手紙でもなんでもいいのだ。
その日提出されたノートからいくつか選んで先生が紹介してくれたりもした。勿論発表されたくない作品は「先生だけ」と書いておけば先生だけがこっそり読んでくれる。

そして更にみんなのモチベーションを上げていたのが、週に一度発行される先生お手製の文芸誌だ。毎週4ページほどの紙面に自分の書いた作文が載っているかどうか確認する時のドキドキとワクワクは今でも覚えている。
表紙には先生が選んだ名作の詩が紹介されているのだが、そこで出会った詩の数々が後の自分に影響を与えたとも感じている。

一年間で作文のノートは9冊まで増えた。
この一年がなければ今の私はなかったかもしれないと思うほど重要な一年だったと今でも思う。

ちなみに五年生の時、絵本クラブに入ったのだが、その時の顧問がこの二年生の時の担任の先生だった。
そこで沢山絵本を作ったはずなんだけど、手元には何も残っていない。
残っている可能性があるのは一冊だけ。
私にはちょうど十歳離れた妹がいて、当時一歳。
これだけ離れているとかわいいばかりで、ついには妹と近所のお友達を主人公にしたお話をこの絵本クラブで作って二人にプレゼントしたのだ。
ただ書いた記憶はあるんだけど内容は全く覚えていない。
その絵本はそのお友達のお母さんが記念にもらってくれた。
「まだ家にあるよー」と言ってたのがいつのことだったか…
まあ、いい思い出としてこのままそっとしておこうと思う。

さて、学年も変わり、本で溢れていた教室から普通の教室となって物足りなくなった私は学校の図書室に通い始めた。
短い本ではあっという間に読み終わってしまうので次第に長編へと手が伸び始める。
そして四年生の時に出会ったのがミヒャエル・エンデの「モモ」だった。
十歳の私はこの時「この話は十年ごとに必ず読み返そう。きっとその時によって見える景色が違うはずだ」と思い、それを本当に実行した。
こればかりは自分でも天晴れだと思う。
実際、見え方が全然違ったのだ。
それをいちばん感じたのは二十歳の時だった。それ以降は十年とは言わず気になった時に読み返しているのだが、次第に十歳の時に見えていたものが淡い淡い記憶となって消えていくのを感じるようになった。
実のところ今はもう何が違ったのかほとんど思い出せない。残念ではあるが、この「モモ」は自分の心が成長してくものさしのような役目を担っているのだなと思う。

いい加減読んでる人も疲れてきたとは思うが、もう少しだけお付き合い願いたい。
何がきっかけかは分からない。外国の音楽や映画が好きだった母の影響もあるかもしれない。その後、私の興味は外国文学へと偏っていく。

「大草原の小さな家」
「赤毛のアン」

というシリーズものを片っ端から読み始め、

「シャーロック・ホームズ」
「ルパン」

というミステリー好きへと発展していく。
それが冒頭にも書いた「ザ・ミステリー事件」へと繋がっていく訳だけど、よくよく考えたらこの頃からそれとは別に日本の怪談話とかもよく借りて読んでいたのだ。ホラー好きの入り口である。

この小学生の時に興味を持った数々のものがその後、中学、高校で出会っていくものごとに影響していったんだなと振り返ってみるとよく分かる。

今の自分がどのように作られていったのか振り返り整理してみるというのはとてもいいことなのかもしれない。
自分が本当は何が好きで本当は何がしたいのかが見えてくる。

2020年はそんな振り返りばかりをしていた気がする。
整理したからこそ新たなスタートができたとも思う。

さて、いつまで小学生時代を振り返れば気が済むのか。なんとも亀のようにゆっくりと進む話である。
自分の歴史を振り返るのに私自身が飽き始めてきたので、次は別の話をすると思う。
なのでこの続きはまた。

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