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正しいことを正しいと、間違ったことに違うと、嫌いなものは嫌いだと、好きなことを好きなんだと、そういう言動をすると、仕事しにくくなるのだとしたら、全く嫌な世の中だし、自分の力のなさを痛感するよ。

場末の焼き鳥屋のおやじが何を言ってもどこに書いても世の中なんて変わらないよな。

そうぼやきながらも、店内に戦争反対と大書した紙を貼り、Facebookに政治や経済への反意を書き続け、若い奴が投票に行かなきゃ、政治に参加しなきゃこの国はおしまいだよ、と言ってた叔父貴。
一昨日が命日だった。
三十数年駒込の地で焼き鳥屋を営み、定年だよといって閉業することにして、残り2日を前にコロナに倒れて、逝っちまった。もう3年になる。

こういこと言うから客が来なくなるんだよな。
でも言いたいことも言えないで店なんてやってても仕方ないからな。
とも言っていた。

そうなんだよね。
嫌なことは嫌だと、
違うなと思えば違うのではと、
おかしいなと感じたらおかしいぞと、
誰にでも、どこででも、
政治でも、社会でもなんについても、
言いたいことも言えないで仕事やってても、
そんなで生きてても、しょうもないよね。

血筋なんだな、そういうところ。

X(Twitter)の僕の固定投稿はこんなだ。

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正しいことを正しいと、
間違ったことに違うと、
嫌いなものは嫌いだと、
好きなことを好きなんだと、
そういう言動をすると、
仕事しにくくなるのだとしたら、
全く嫌な世の中だし、
自分の力のなさを痛感するよ。

走り続けるしかないよね。

写真は、小学五年生のワタクシ。


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僕のSNS、インターネットでの発言を心配してくれる友達や仲間がいる。
結構過激だよね,面白いけれど、わかりやすいけれど、大丈夫?
そんな具合に。

仕事に影響ない? そのうち誰かに反論されたり晒されたりしない? 大丈夫?
といった意味合いらしい。

大丈夫って? なんで?
と応えることにしている。

それでダメなら自分の力不足だから。
思うこと、考えることを言動にできないのなら、仕事なんてして、それで生きてても仕方ないから。

店に客が来ないならそれで構わないよ、友達が減るのも仕方ない、そう言っていた叔父貴も同じ思いだったんじゃないかな。
自身の力不足、魅力不足でしかないのだから、と。

安全圏に居て、おとなしくしてることが苦手なのは性分で、やはりその元は血筋なんだろうね。
そして、それで良い、それが良いんだというのもまた性分で血筋なんだろうね。

写真は、小学5年生のとき。
府中第一小学校の運動会。
5、6年生の選抜による800m走。
隣のクラスの担任だった岩木先生が、6年を抜け!行け!もっといけ!と声かけながら併走してくれたシーン。
ライバルだった古瀬くんが1着、6年生が2着、僕は3着で、5年生2人で下剋上ゴール。
5年の友達、仲間が興奮して応援席で立ち上がって応援してくれてたのもみえていた。
そのうちのひとり、0歳からの(今も付き合う)親友が、親のカメラを取り上げて撮ってくれた写真。
僕にはすごく大切な一枚。
走り続けるしかないよね。

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