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アンパンマンと悪とエロ


伝統とはオソロシイもので。誰かがおっぱじめてしまった行事を、なぜだかみんなが粛々と続けているうちに、それをもう止めようなんていう雰囲気はとても切り出せないのである。特に女社会において。

幼稚園のPTA役員だったとき、大変骨の折れる仕事として立ちはだかっていた伝統の一つは、「講演会」だった。誰が始めたのかこの行事。幼稚園のホールで講演会を開くことになっているのだが、さて、どなたをお招きしようというのが最大の問題であった。
だって人々から挙がる名前は、松岡修造だとか池上彰だとか。おいおい、そんなTVのゴールデンタイムに呼ぶような人たちに何百万円をポーンと出せるほど、君らはPTA会費を納めていないだろう。みんなが会いたいような有名人は到底予算外だし、さりとてあまり興味のそそらない人では集客も危ぶまれる。

そんな中、あるママからPTAに提案があった。
「幼児教育のお話会をしてくださるとてもいい先生がいるので、ぜひ呼んでほしい」と。その先生は幼児教育のエキスパートで、絵本の読みかせのプロなのだ、と。
どれどれ、ちょうど折良くその先生が近所の公民館で「恒例のお話会」を開くというので、役員の数人と活動を拝見することになった。

会場に足を踏み入れると、どなたが先生だかすぐにわかる。
グレーヘアーのボブカットのその女性は、背筋が見えない糸で吊られているかのようにピンと上に上に伸びていて、とても素敵なおばあさまだった。凄みがあると言ってもいいぐらい、よく通る低音ボイスの持ち主で、「凛」という一文字がよく似合う。
先生をお世話するママさんたちが何人かいて、うやうやしくお茶やお菓子をお出しする様子から、そのカリスマぶりがうかがえる。

そもそも我々は、講演会にテキトーな人を呼んでガッカリさせ、「PTA会費のムダ」と言われるのが一番怖い。いや、責められるだけならいいのだが、「こんなことにお金を遣われるのであれば、来年からウチは会費を払わない!」と言われて、「あら、○○さんが払わないのならば、うちも」「あら、うちも」と次々と崩壊していくのがマズイのである。その場合、今期、私たちの代は会費が十分に徴集できても、来年度の役員さんたちに多大な迷惑をかけてしまうのである。世知辛いこの時代、そんな事態は大いにありうるのだ。
そういう側面から見るとこの女性は、思わず「ツカミはOK!」とプロデューサーよろしくグッと親指を立てたくなるような、人を惹きつける何かがあった。

そんなおばあさまが、お茶を静かに口にして喉を潤したあと、威厳のある声でこう言ったのだった。
「この町は嫌ね……。こんな所で子どもを育てたくはないわ。私の住む町は自然に溢れていて、とても静か。とても豊かなところよ」と。
私は凍った。
何が女史のお気に召さなかったかというと、出し抜けに上空を自衛隊機が飛んだのだ。会話もままならないほどの轟音が鳴り響いたのである。
当然、この町は私が住む町であり、彼女を慕っているママたちの住む町でもある。ここに集まる人は、ここで子どもを育てている人たちである。
しかし、どうやらフリーズしているのは私だけらしく、お話を聞きに来ているママたちは、ウンウン本当よねと頷いている。

それから先、彼女は深く通る声で、とうとうと絵本を読み上げていった。それはそれは美しい声で。そしてよく見ると、絵本の内容はすでに頭に入っていて、文字を追わずに諳んじているのだった。そしてそれは聞き応えのある、素晴らしい響き。先ほどの一言は私の聞き間違えだったのかもしれないと、自動修正するほどだった。

最後に彼女は手慣れた風情で、私に分厚い書類を渡してくれた。どうやら講演会用の資料のようだ。なので公民館の帰り道、それに目を通してみた。そこには過去の講演会実績やオススメの推薦図書がズラリと書いてある。ここまではよかった。
しかし問題はその先。この本はダメ、この本は最悪と印がたくさんついている。要するに「悪書」というものを私たちに教えようとしていた。講演の際には、参考にその悪書もいくつか用意してほしいと書き添えてあった。その中には、うちの子どもたちが大好きな絵本も入っていた。
「ええええ! あの本が、だ、ダメなんですかい!?」
付け加えておくが、その本はどの本屋さんにも並んでいるようなメジャーな本であり、幼稚園でも読まれている有名な絵本だったりする。悪書に指定される意味がわからない。到底わからないのだ。

な、なぜダメなのだろうか。
混乱した私は手がかりを求め、すがるような気持ちでその絵本好きの人たちがよく集まるという、絵本専門ショップに行ってみた。悪書と良書を比べたいと思ったのだ。
すると折良く、ちょうどお話会に入っているというママさんが、別の人と立ち話をしていた。あまりに激しく語り合っているので、その会話がついつい耳に入ってくる。彼女たちはそれはそれは舌鋒鋭くあるものを批判していた。アンパンマンの、その暴力性についてだ。
そ、そこまでアンパンマンを悪者にしなくとも…。確かにアンパンマンは悪を武力で制している。あの「アーンパァーンチ☆」は暴力、なのかもしれない。でも、でもアンパンマンはみんなの大好きな正義のミカタ……。や、やなせ先生!!

はたと気づいて私は、改めてリストを見直した。
あくまでも私の知っている絵本を思い返す限りだが、悪書に指定されているもののネガティブ要素は、「憂鬱な気分」だったり、「他人への迷惑」、「意地悪な気持ち」、「暴力的なもの」が表現されているような気がする(どれも絵本なのだから可愛いものなのだが)。つまり感情的な、内的な障害が描かれている。
良書とされる中にも、もちろんお話なのでネガティブな要素はある。でもそれは「困難」だったり「辛い運命」、「貧困」だったりして、乗り越えるべき不可抗力の外的な障害が含まれているのだった。

何かがわかった気がした。これはヤバイ、と思った。
彼女が語りたい世界というのは、「心の」無菌状態なのだ。正しいものや清らかなものへの信奉が強く、心に湧き上がるネガティブなものは、子どもには触れさせまいという意思を感じる。

絵本読み聞かせ会の仲間内で、大好きな本を読みあっているのは一向に構わない。そして、どんな思想を持つかは自由だ。しかし、これが正しい、これは悪と、一般の幼稚園ママに向けて発信するのは危険だと思った。
これは例えるならば、無農薬の野菜が絶対にいいから「みなさん、近所のスーパーの野菜は、絶対に食べないで! 外食もNO! 体に悪いです!! 子どものためです!」と訴えているようなものである。今まで近所のスーパーやマクドナルドに行っていたママたちが「ええええ!」と叫ぶのは目に見えている。そして「PTA会費は来年から払わないわ」なんてなったらさぁ……!
食のチョイスは、各家庭の判断なのである。あえて自ら好んで食の安全性についての講演を聞きに来た場合以外は、どうのこうの言われる筋合いはないのだ。それは絵本も同じではないかと思うのだ。

アンパンマンなどいるから、子どもは暴力を正当化してしまう。だから戦いが終わらない。戦争は終わらない。言いたいことはわかった。
しかし、男の子を2人育てて思うのだが(この読み聞かせの先生は女の子を育てたようだが)。彼らは根っからの戦闘員なのだ。DNAに組み込まれているとしか思えない攻撃性なのである。
もちろん、私は戦争は大反対だし、息子が戦地に行くなどという悲劇は想像したくもない。
しかしだ。彼らは、とりわけ男の子たちは物心つく前から、あらゆるものをまず破壊し、そして作ろうとする。生まれながらにして、スクラップ&ビルダーなのである。もちろん個人差はあるのだが、我が家の子どもたちやお友だち男子を眺めて、つくづく戦争は無くならないなぁと思った。
戦闘シーンを見せなければ銃を持って「バキュン、バキュン!」などと言わないのだろうか。それは違うと思う。バキュンは言わないかもしれないが、その手がある限りパンチはする。道具を使える限り長いものを振り回す。
小さいときに兄弟やお友だちを殴って殴られて初めて、拳や頰、心の痛みを学ぶのだ。

この先生は、人間の本能、まるで無視なのである。
思春期の男子を前にして「みなさん、エロ本がなければこの世の中の痴漢行為やレイプはなくなるのです! エロ本を廃絶しましょう!」と、言っているようなものである(エロ本でなく、今はエロ動画か……どっちでもいい)。
もちろん過激な描写がその衝動を助長している面は否定しない。だが、思春期に入って、この世にエロ動画は存在するのがわかっているのに、それを潔癖さでもって隔絶された男子ってどうなの……? 

私は思うのだが、まずは、暴力もエロも肯定するところから始めたいと思う。
この世は聖も俗も悪も、美しいものも醜悪なものも混在している。どちらが良いも悪いもない。どちらも「ある」のだ。
意地悪なお友達もいるし、優しいお友達もいる。普段は穏やかだが、たまにとんでもない悪さをしてくる子もいる。争いを好まない子だって意地悪な気持ちになるときもある。それは、どの子もそうなのだ。
まったく「聖」な子どもはいない。ナウシカだっていつも優しく笑っているけれど「コイツの息、臭いな」ぐらい思っているはずなのである(トリウマのクイとカイに思いっきり顔を舐められているときに、いつも私は思う……)。
子どもは、いかに小さくとも子どもの視点で、この世のこうした混沌を受け止めるべきではないのか、と私は思うのだ。

この世は「悪」もある。ネガティブな気持ちになることもある。身勝手にエロい気持ちになることもある。相手をぶっ潰したい気持ちになることも、消えて欲しいと思うこともある。あるのだけれども、その衝動をどう理性で付き合っていくのかが、人間の学ぶべき道程ではないのか。
もちろんまだ思春期に入る前の子どもに、大人が作った妄想のエロ動画を見せるべきではない。精神的にそれを受け止められる器ではないからだ。
でも、それぞれの年齢に適した形で、本当に君はそれをやっていいと思う? 殴られるとどう思う? いじめられたらどう思う? イライラしている人を見てどう思う? このエロ動画はあくまでも妄想を形にしたもので、現実にそんなことをいきなりガールフレンドにしたらどうなると思う? と考えながら、自分で自分の道を選ばせるのが教育だと思う。
さもないと、同時に相手を許すことも学べないのではないか。
人間は気を緩めると、その暴力性でもって戦争へ突き進む動物だから、どうすればそれを回避できるのか。その知恵を学んでいくべきではないのか。
初めから「悪」も「エロ」も「暴力」も何もかも、親が先回りして排除して、綺麗な空間にいさせたとしても、それがこの世を認知させることにはならないのではないかと思うのだ。

かくして、長いお手紙を書いて私は先生に講演のお断りをした。次いで、泣いて嫌がったが、先生を提案してくれたママをどうにか説得した。そして、講演会の人選作業は振り出しへ戻ったのであった……(ヤレヤレ)。





ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️