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『職場のみなさん気づいてるかな』


「じゃあ明日から、早速来てください」


つまりわたしは

合格ということみたい


「動きやすい服装と、靴でね」


仰々しいほどのお辞儀をして

面接をしてくれた

チーフと呼ばれる社員に謝意を伝える


「がんばりましょう!じゃあまた明日!」


そう送り出されて

改めて会釈をして退出しつつ

思わず大声で叫びたくなったけど

そこは堪えて心のなかでガッツポーズ


思えば高校を中退して以来

わたしはちょっとした日雇い

たとえばイベント会場の整理とか

駅前のチラシ配りとか

そんな仕事しかしたことがなくて


アルバイトとはいえ

毎日朝から夕方まで

同じ場所できっちり働くというのは

ほんとうに初めて


大型トラックが行き交うこの倉庫の敷地は

東京ドームに換算したら

何個分だろうと思うくらいに広くて

面接をした事務所から

バス停のある正門まで

たくさんの人とすれ違った


きっとこの人たちと

明日から一緒に働くんだろうな

うまくやっていけるといいな


直感的に判断しても

ほんわかとした雰囲気が漂っていて

わたしの性にあっている気がするけど


翌朝

バス停は工場の正門前だけど

敷地内が広すぎるのと

初日だっていうのもあって

定時より45分前に着いた


「おはよう!」


真横から大きな声

昨日面接をしてくれたチーフだ

なんだか心強い


「ずいぶん早いじゃん」


なぜこんなに早いのかっていう理由を

説明しながら事務所に向かう


「慣れたら遅刻、なんてないようにね」


そんな冗談も言ってくれる

素敵な上司で良かったと心底思った


「俺はそこの寮に入ってて」


バスが一緒じゃなかったのに

どうしてかと思ったら

そういうことだったんだ


きけばチーフは

郷里から出てきてずっと

この敷地内の寮で暮らしているみたい


「休みの日も、職場で過ごしてますっ」


年齢が実はわたしより一つ下だっていうのも

びっくりした


「先輩じゃないですか失礼しましたぁ!」


なんて談笑をしながら歩いていたら

事務所へ着いて


同じく今日から働く

Aさんという女性と一緒に

わたしたちはチーフから詳しい説明を受ける


資料とわたしたちの目を交互に見て

一生懸命に話すチーフは

キラキラ輝いていて

とても素敵に思えた


わたしの社会人生活は

まだ一歩も踏み出せていないけど

なんとなくがんばれそうな気がする


これから毎日がんばろう


---


凍えるような寒さの晩

一気に眠気を吹き飛ばすような

消防車のサイレンの音


職場の倉庫の方向だ

なにか不穏な予感がしたわたしは

朝まで寝つけなかった


だから仕度が遅くなったせいで

バスを二本も逃して


朦朧としつつ

定時15分前にバス停を降りると

無残にもまっ黒焦げの独身寮


そう

チーフが住んでいるところ


しばらくわたしは茫然として

言葉が出なかった


職場は稼働しているのかな

遅刻したらいけないし

それより何より

チーフは無事なのかな


混乱しつつも我を取り戻したわたしは

急いで事務所へ向かった


そこは昨日おとといと同じ

穏やかな風景


ただひとつ違うのは

昨日もおとといも事務机に座っていた

チーフがいないこと


自然と涙が頬を伝って

たった二日だけど

わたしに働くことの楽しさだとか

それ以上の何かを

教えてくれた人


一瞬だけど

尊敬できる人と仕事ができて

ほんとうに幸せだったなという

複雑な感情に包まれて


わたしはもうこの職場では働けないなと

タイムカードを押す寸前で考えて

そのまま自宅へ戻ることにした


職場の誰にも言わなかったから

つまりバックレだけど

だらしないわたしの人生

けっきょくそんなもの


敷地内の来た道を引き返し

自宅方向に向かうバスの停留所へ


独身寮の焼け跡の後処理を

ぼんやり眺めつつ

早くバスが来ないかなぁなんて

思っている


定期券はさっそく

払い戻そう


数日後

独身寮に火をつけた犯人が捕まったって

ローカルニュースに出てた

それがAさんだって

職場のみなさん気づいてるかな








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