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連続note小説『みやえこさん』④『新宿にて』

(前回:3.『祝い弔い』) 



 「こんな店でよろしかったんですか?」

 「かまわないかまわない。気ぃ使いたくないからさ。こんな感じでいいんだよ」

 「何を飲まれます?」

 「どうしようかな」

 一郎いちろうさんは店員を呼びつけながら。

 「あの土地も困ったもんだよね、それでね、あ、芋、お湯で」

 「はい、あ、レモンサワーください」

 「怖いよ。笑っちゃうよ」

 「笑えませんよ」

 そういいながらニヤけてしまった。一郎さんもニヤけていた。酒が来た。

 「乾杯」

 「乾杯!本当に、助けていただいてありがとうございました」

 「いやぁ、礼なんて。こっちもさ、もう我慢の限界を超えてしまってね」

 セミプロカメラマンの僕、西山ツドイが東京へ戻って、気持ちの整理とアルバイトの繁忙期が少し落ち着くのを待っていたところ、思いがけず一郎さんのほうから連絡をくれた。ことのほか恐縮だったし嬉しかった。僕の身を救ってくれたことに対して感謝の意を改めて伝えたいと思っていたところだったから。

 僕の連絡先は母から聞いたとのこと。あの日とはちがって柔和な老紳士の顔になっている。いしまでの忌々しい出来事からもうすぐひと月。一郎さんが三鷹の住まいに戻ってきたのは、聞けばつい昨日のことらしい。

 気を張らない場所がいいとのことなので、アクセスも考えて歌舞伎町の居酒屋を予約した。僕は雑司ヶ谷から。だから新宿の東口がちょうどいい。アルタ前広場で恩人を待つ僕は、あのときの胸騒ぎを思い出していた。約束の時刻まであと数分。

 ほぼきっかりに一郎さんは姿をみせてくれた。多少騒がしいけれど、雑居ビルのなかにあるチェーン店へ。
 
 「俺も被害者でさ」

 「ほう」

 「長くなってもいいかな?」

 「もちろんです」

 うまいレモンサワーだ。アルコールは久々。

 この春、一郎さんは奥さんとともに南太平洋へクルーズ旅行をした。その際、命の危険に晒されたという。しかしいま僕とこうして飲んでいる。いっぽうで、奥さんは残念ながら亡き人となってしまったそうだ。

 続きをしばらく聞いてみよう。

 「俺のところにさ、毎日のようにメールとか、ポストみりゃあチラシとか、しつこいように入ってるわけ。で、暇だろ?眺めると、悪くないような気がしてきちゃうんだよなこれが」

 「そりゃ誰だって、ニューカレドニア、ですか?船旅とかしてみたいと思いますよ」

 「そうじゃないんだよ」

 「はい?」

 「俺のほうにはそういう文句での誘いじゃなかった。『しにませんか』『安楽死しませんか』って書いてあるわけ」

 「すみません、どういう…」

 「そうだよな、わからないよな。新手の商売に見せかけられてるからな」
 
 ここで一郎さんの話がいったん逸れた。

 「俺さ、男三人兄弟の真ん中なわけよ」

 「はい」

 「兄貴の仕業なんだよ」

 「といいますと?」

 こうだった。一郎さんは、老い先の短いシニア向けの安楽死提供サービスに申し込んだというわけ。契約完了後、依頼人が忘れた頃に、苦しまない形で、夫婦そろってきれいに心中させてくれるそうだ。契約後、奥さんから船旅の提案があったという。そしてたまたま実行のタイミングが旅の道中だった。

 というわけではないらしい。

 安楽死提供サービス自体、お兄さんが一郎さんに仕掛けた罠だったということだ。なぜそんなことをされたか、そして申し込んだのか。それを尋ねても、まだ先に話すことがあるとのことで、お預けをくらった。

 第六感で怪しさをおぼえた一郎さんは、身の安全にいっそうの注意をむけて生活を送っていたとのこと。予感は的中したわけだ。

 しかしこの人、誘い水とはいえ、一度は自ら命を断つ決心をしたんじゃなかったのかな。それと、最悪の結果とはいえ、奥さんを助けることはできたんじゃ…

 「外洋だからなんとかごまかせてるようだけど」

 「そうなんですね。奥様のこと、残念でした」

 「それは、なぁ…まぁ…」

 「お悔み申し上げます…」

 「いや、良い仕舞い方だったんだよ」
 
 

鳥皮ポン酢がうまい。

 一息ついて、一郎さんの話は再び長兄に向いた。

 「憎いとか、そういうのはないんだね実は。怖くもない」

 「うーん、血がつながっているからですか」

 「あいつさ。弟も締めちまった」

 「はい?」

 「毒を盛ったんだよ。俺とは違う方法でやったってこと」

 「なぜ…?」

 「ま、だから、もうちょっと待ってよ」
 
 とにかく、実の弟二人に手をかけたということだ。僕は三男の方には面識がないとはいえ、本当であれば尋常でない。

 「うちはな、うち、苦虫にがむし

 「はい」

 「髷平まげだいらさんの筆頭家臣なわけ」

 「なるほど」

 「髷平さんがどういう家柄かは知ってる?」

 「はい、調べてみましたよ。平家の落人が逃れて来たって」

 「そうそう、しばらくは、っつったって源平の時代から江戸まで五百年以上な、山に籠ってたらしいんだけど、江戸時代になってさ」

 「山の木を切って、江戸に舟で運んで、財を成したんですよね」

 「そういうこと」

 歴史の授業になってきた。塩昆布とニラと豆腐の相性は抜群にいい。

 「狭い土地だから、三方を山に囲まれて目の前が海。そういう家柄みたいのはずっと残っててさ、守られてるわけ」

 「そうでしょうね」

 「それをいいことに、あいつもやりたい放題よ」

 理由が聞けるのかな。
 
 「もう何人お手付きしてるかわかりゃしないんだよ」

 「お手付きといいますと?」

 「こっちだよこっち」
 
 一郎さんは、左手で覆うようにしながら、右手に握りこぶしを作って、人差し指と中指の間から親指を通して、僕に見せた。

 「そういうことですか、その口封じのために?」

 「ま、そうなるな。おねえちゃん芋、お湯で」

 「あ、これと同じものください、はいレモンサワー」

 「そう、そうだ、モーゼルだって…」

 「モーゼル...さん?」

 「花憐かれんの死んだ旦那だよ」

 「え、あ、あぁ…」

 「まぁあれは単に死んだだけか、はは」

 「単にって…」


 
 芋焼酎のお湯割りとレモンサワーの二杯目が来た。一郎さんが店員の女の子をからかう。忙しいだろうに。そういやここの会計どうなるのかな。白紙の請求書を、もらい損ねた。新幹線で往復したし、タクシーも使った。

 「で、きみの聞きたい話はここからだと思う」

 「そうなんですか」

 「あいつはさ、そもそも目的は何かっていったら、コッチなわけよ」

 さっきも出た握りこぶしだ。

 「自分のこと、『エース』とか自称しちゃってさ、誇らしげなわけ」

 「エース…」

 自称するものかな。

 「とにかく、いしまのコたちをとっかえひっかえね、うちの弟のところにも行ってんだよ、それから」

 「そういうことですか」

 「弟の嫁さんに。あそこふたり男がいるんだよ、息子。ケイイチとケイジだったかな、あれ父親がちがうんだよ」

 「そうなんですね、僕はお会いしたことありませんが…」

 「そんなのがあちこちであってね窪のなかで」

 「厄介ですね」

 エースは確実に窪の集落にいるが、姿を見せない。端から端まで歩いて十分もかからないだろう場所だが、ほとんどの人は彼をみたことがないそうだ。エースは当地で何十年にも渡りとっかえひっかえで女性を捕まえていた。

 「しかし一郎さん、そこまで調べあげるのにそうとう手間と時間がかかったんじゃないですか?」

 「そりゃあね。とはいってもほら、狭い土地だし、こっちに出てきて長いとはいって顔が効かないわけじゃないから」

 「そういえばなぜか僕の連絡先もご存知でしたもんね」

 「はは」
 
 納豆オムレツがうまい。
 
 「正直、カネと権力があればなんでもね」

 「そんなものですかね」

 「いい撒き餌があってさ」


 窪の集落に代々継がれている飲食店があるという。そういえば、こないだバイト先の業界誌でみたような、みないような。

 いつの時代にも、料理や接客が好きで自分で店を持ちたいと思う人は多い。ただしカネが要る。そこをエースは出資してやっているわけだった。ところがじっさい経営なんてのは二の次で、本業はエースの世話。下衆な、耳を塞ぎたくなるような。
 
 エースは本来であれば髷平まげだいらさんのものであるカネと権力で、以前からお気に入りの女性に店を持たせていた。

 「ほらこれ」

 「あ」
 
 バイト先にあるのと同じ雑誌を一郎さんが取り出して見せてくれた。酒は各自同じもので三杯目に突入。

 店の名は、「みやえこさん」。昔はスナックみたいな形態だったそうで。そのせいか妙な話だけど何代か襲名されて、すっかりスタイリッシュになって、いまに至るということ。

 初代は誰かっていうと、ニューカレドニアで亡くなった一郎さんの奥さん、晴子はるこさん。
 
 悪寒がした。一郎さんの心境が僕には読めない。

 「二人目が、あずきさん。こないだ居た女中みたいな人よ。それから次が…慶次けいじの母ちゃんつまり…俺の実の弟の、嫁さんな」

 一郎さん夫妻が巧妙に殺されかけたのは、その「みやえこさん」なる、表向きは美しい世襲と思いきや、実のところは単なる下衆な世話係の正体を、口封じするため。すべてエースに仕掛けられた罠だったということ。

 「三人も女性が被害に遭われているんですね…」

 「いや、まだまだいてさ…」

 「まだいるんですか、ひどいな...」

 「きみのお母さんも鯖の酢漬け得意だろう」




つづく












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