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この複雑な世界にシンプルなラベルを貼って生きる、という話です。

年を重ねるほど、世界というのは、ほんと複雑だなあ、と感じる。つくづく、感じる。

自分が子どもの頃に読んだ本では、世界がもっと単純に描かれていた。

宇宙の起源については、定常宇宙論で書かれていたし。。。

なーんにもない空間が、ずーっと昔からありました、みたいな感じ。

物質については、電子・陽子・中性子で出来ています! 以上、だった。

いま常識になっている、陽子と中性子は素粒子で構成された内部構造を持つ、とか、宇宙のはじまりはビッグバンによる、とかがわかってきたのは1960年代末からだからねー。。。

手に取ったあの本は、当時すでに古っぽかったから、きっと1960年以前に出版されたものだったんだろうなー、と想像する。

あの本が描く世界はシンプルだった。

今日の聖書の言葉。

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。 
ヨハネの手紙一 5:14 新共同訳

1960年に出た本より、もっと古い聖書が、もっともっとシンプルに世界を描いているとしても、不思議はない。そりゃ、そうだろうねー。だって、古いもん。。。

今日の聖書の言葉は、願いは必ずかなえられる、という超絶シンプルな世界を提示している。

正直、そのシンプルさにひるんでしまうんだけど。。。

聖書が描く世界観では「神」が世界を運営していて、神はわれわれに愛を注いでいて、その愛が自分と神を結んでいるので、神は自分の願いを容れて世界を動かしてくれる、っていう具合になっている。

この世界観に立って生きるならば、こういうステートメントが新常識になる。これだ。

わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。
ヨハネの手紙一 5:15 新共同訳

ほんとうはすごく複雑で、だから、人間の認識とか推測ではカバーしきれない広がりを持つ「世界」を、しかし、人間はコトバでもってラベル化することで把握しようとする。

で、把握したつもりになってしまう。

自分が子どもの頃は、電子・陽子・中性子という三枚のラベルを貼るだけで、世界が把握できたつもりになっていた。ラベルの裏側には、誰も知らない世界が広がっていたのにね。。。

自分は、ロシアという一枚のラベルを貼って、わかったつもりでいたのに、やっぱり、ラベルの裏側には想像もできない世界が広がっていた。まさかロシア軍がここまで弱いなんて、軍事専門家すら予見していなかっただろう。

いま、自分の手のなかに、神・愛・祈り、という三枚のラベルがある。きっと、この単純なラベルの裏側に、これまでの誰も・そして・これからの誰も知り得ない、無限の世界が広がっているに違いない。

だって、ラベルって、すべてそういうやつじゃん。。。

それでも自分は、この三枚のラベルを貼ることによって、この世界を把握して、生きて行こうと思う。

どうしてそう思えるかと言うと。。。

すくなくとも「神」と「祈り」を媒介する「愛」については、自分が実感できる要素であるからだ。

愛さない・愛します・愛する・愛するとき・愛せば・愛せ・愛そう・愛した、ばっかり考えて生きているわけだし。。。

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
ヨハネの手紙一 4:7 新共同訳

「愛」というラベルを世界に貼る。それは同時に「祈り」というラベルを世界に貼り、「神」というラベルを世界に貼ることなんだと思う。

そうすることで、いまほんとうに酷いありさまに見える、この不定見で不可見の世界を、それでも愛し続けることが可能になるんじゃないかと思うんだ。

イエスが教えてくれた祈り

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日も
お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン

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