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オソレつつ・しかし・オソレナイで、生きて行く、2021年のお盆。。。

まえからずーっと不思議に思ってたことなんだけど。。。

オソレル、って、危険を恐れる、っていう意味にも、神を畏れる、っていう意味にも使われるよね。

音素としては同じに聞こえるけど、漢字のあてがいが違う。

漢字が入って来る前の日本人の意識では、恐れる、と、畏れる、の使い分けは、あったんだろうか、未分化だったんだろうか。。。

今日の聖書の言葉。

恐れをいだくとき
わたしはあなたに依り頼みます。
詩編 56:4 新共同訳

恐れる、にしても、畏れる、にしても、なにをオソレルかと言えば、他者をオソレルわけだよね。

他者が、自分をおびやかし、ことによったら、命を奪ってくるかもしれない、という可能性が予見され、かつ、その他者をコントロールする方法がないとき、絶望的な無力さを感じる。。。

それが、オソレル、なのかもしれない。

お盆がやってきたので、オバケについてよく考えるシーズンなわけだけど。。。

なんでオバケをオソレルかと言うと、やっぱり、コントロール不能な他者、ってとこが理由なんじゃないかと思う。

そう考えると、「アンダーコントロール!」っていうリーダーの力強い言葉は、心地よいよねー。

こころの半分は、嘘じゃね? って思っていても、もう半分は「アンダーコントロール!」に心酔しちゃう。

怪奇現象の体験談が、何年前かブームになって、まとめサイトを席捲したことがあった。

あれって、ストーリーにパターンがあって

① 怪奇現象の当事者になる
  ↓
② 和尚とか霊能者に助けを求める
  ↓
③「何をしたっ!?」って怒られながらも、対応してもらえる
  ↓
④「アンダーコントロール!」の状態になる
  ↓
⑤ めでたし、めでたし。。。
  ↓
⑥ と思いきや、あれっ? なんか、コントロールに漏れがあるんじゃね? ってなる

この ⑥ があるから、後味の悪い、ゾ~っとした感じになるんだろうなあ、と思う。

それにしたって、どのストーリーでも必ず、「何をしたっ!?」って怒られるパターンが繰り返されるので、飽きられて、下火になったみたい。。。

まあ、コロナ禍という、オバケを上回る「コントロール不能な状態」が全世界で進行中なわけだから、わざわざコワい話を聞かなくても、お腹いっぱい。。。

でも、ここに不思議さを感じるんだよね。。。

もしかしたら、最大最強のコワいもの、が眼前にあると、それ以外のコワいものは小さく感じる、というか、コワくなくなってしまう、ってことが、あるんじゃないだろうか?

コントロール不能な他者のなかでも、「神」のコントロール不能さは最大最強だ。

だって、神だからね。絶対他者だし。。。

で、もし、最大最強にコントロール不能な他者である「神」が、自分に対して、こういう言葉をかけてくれたら、どうだろう。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ書 41:10 新改訳

最もオソロシイものが自分の味方になってくれたら、それ以外のすべてのオソロシイものは、ぜーんぶ狭小化してしまうんじゃないだろうか。

そうであれば、オソレヨ・しかし・オソレルナ、っていう呼びかけが成立するよなー、と思う。

聖書を読んでると、この、オソレヨ・しかし・オソレルナ、がドンピシャで出て来る場面があるんだよね。

それが、これ。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
ルカによる福音書 2:8-11 新共同訳

オソレヨ・しかし・オソレルナ、の目に見えるアイコンが、イエス・キリストなのだと思う。

コロナはただの風邪、って言うひともいるけれど、後遺症のことをいろいろ知ると、やっぱりコワい。。。

だから、オソレつつ・しかし・オソレナイで、生きて行きたい。

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