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古代ローマに魚醬!?        奥の深い魚醬文化

今、ヤマザキマリさんの新刊「貧乏ピッツァ」を読んでます。
彼女のエッセイは、さすがに漫画家だけあって、情景やシーンが絵に浮かんできて、楽しく読みすすめられて好きです。

この本の中で、古代ローマの料理研究家(そんな古代に、もうすでに料理研究家がいたなんて!)「アピキウス」の本で「ガルム」と呼ばれる魚醬を用いたレシピが載っている、と書かれていました。
調べてみると、中国よりも早い時代に、ローマではすでに魚醬が使われていたようなんです。
さすがに知りませんでした。

私が住んでいるマレーシアも、中国からの移民などの影響もあって、いわゆる魚醬やしょうゆを使う文化があります。
そこで、今回は、魚醬について、また、マレーシアの魚醬文化・醤油文化について書いてみたいと思います。

紀元前4~5世紀!?

魚醤は、世界中で広く使ている調味料で、その歴史は非常に古く、実に、世界中で、さまざまな文化のもと独自の発展を遂げてきました。
魚醤の歴史を時系列に沿って見てみると

・古代ローマ時代(紀元前4世紀〜5世紀)
古代ローマでは、魚や魚の内臓を塩漬けにして発酵させた「ガルム(garum)」と呼ばれる調味料が、必須の調味料として広く使われていました。
このガルムが、魚醤の原型と見なされています。

・古代中国(紀元前3世紀)
中国でも、魚を塩漬けにて発酵させた魚醤が使われていました。魚醤は、古代中国の料理に欠かせない調味料であったようで、広く使われていました。

・東南アジア(紀元前2世紀〜3世紀)
東南アジアでも、古代から魚醤が使用されていました。
特に、タイやマレーシア、ベトナム、フィリピンなどの地域では、魚を塩漬けにして発酵させた魚醤が、伝統的な調味料として、今でも広く使われています。

・中世ヨーロッパ(5世紀〜15世紀)
古代ローマのガルムの伝統は、中世ヨーロッパにも引き継がれており、ヨーロッパ各地で類似の調味料が作られました。
特に地中海沿岸地域では、魚醤は広く使われていました。

・近代以降(16世紀以降)
近代以降は、交易が盛んになったことから、魚醤はさらに世界中で普及しました。ヨーロッパの探検家や商人たちがアジアを訪れ、魚醤の存在を知り、それを自国に持ち帰ったことで、魚醤の普及が加速しました。
さらに、調味料としての重要性が認識され、多くの国や地域で魚醤の製造が行われるようになり、調味料として広く一般に広がりました。

日本の魚醬の歴史と文化

日本でも、かなり古くから魚醬は作られています。

・古代から中世(紀元前〜16世紀):
日本では、稲作が本格化するとほぼ同時に、魚醤がつくられるようになったと考えられています。
古代日本では、他国と同じように、塩漬けにした魚を発酵させて魚醤は作られていました。その後、中国の影響を受けながら、独自の発展を遂げています。
そして、奈良時代や平安時代になると、魚醤は、貴族や寺院などの上流階級を中心に、高級な調味料として扱われるようになりました。

・戦国時代〜江戸時代(16世紀〜19世紀)
日本の食文化は、戦国時代から江戸時代にかけて大きく発展しました。
この時代に、魚醤の製造技術が広く一般化することで、庶民の食卓にも広く普及しました。
特に江戸時代には、江戸や大坂などの大都市で魚醤の生産が盛んに行われ、さまざまなバリエーションの魚醤が製造され、広く普及しました。

マレーシアの魚醬文化

マレーシアでも、魚醬は伝統的な調味料の一つであり、広く使われています。特にマレーシアの華人料理において重要な役割を果たしています。
マレーシアの魚醬は、魚を塩漬けにして発酵させたもので、塩気の強い風味が特徴です。
主にマレーシアの南部やシンガポールなどで生産され、さまざまな料理に使われています。
マレーシア料理では、チャーハンや炒め物、スープ、麺類-特に「チャークイティオ(Char Kway Teow)」と呼ばれるきしめんのような麵を炒めたものーなどの伝統的な料理に広く使われていて、しょうゆと並んで欠かせない調味料となっています。

マレーシアの地域ごとの魚醬の特長

・北部地域
ペナンやクランタンなどのマレーシアの北部地域では、隣国のタイや中国の影響が非常に強く、魚醬は比較的薄味で使用されることが多いです。
特にタイ風の料理には、タイの魚醤である「ナンプラー」がよく使われます。

・中部地域
クアラルンプールやセランゴールなどの中部地域では、多様な民族が共存しており、料理のバリエーションも豊富なため、魚醬も、さまざまな料理に使われますが、味付けは一般的に少し濃いめのものが多い傾向があります。

・南部地域
ジョホールやマラッカなどの南部地域では、マレー人と華人両方の影響が強く、塩味や風味を加えるために、魚醬が幅広く使われます。
また、ジョホールでは、シンガポールとの隣接もあり、福建料理が主流のシンガポール料理の影響も見られます。

・東部地域
サバやサラワクなどの東部地域では、キリスト教徒やイスラム教徒が多く、魚醤が使用されることは比較的少なく、代わりにしょうゆや他の調味料がより一般的に使われています。

バリエーション豊富

マレーシアの魚醬文化の地域ごとの違いは、文化的背景、地理的条件、民族構成などが強く影響しています。
魚醬の地域ごとの味の違いや、料理のバリエーションの豊富さは、マレーシアの食文化の豊かさを反映しています。


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