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「ゴミ袋いっぱいの愛」

時々、ふと無性に全てを捨ててしまいたくなる。

出会ったあの日に「使うかもしれないから」そう言って、大切に溜め込んだ愛しいガラクタたち。数ヵ月に1度、私はそれを躊躇なくゴミ袋へ放り込んでいく。


「血も涙もない奴だ」

幼い頃、初めてその台詞を言われた場面が頭をよぎる。そのとき一体、何をしていたのか。どういう経緯でそう言われたのか。詳しいことはもう思い出せない。けど未だにこうして思い出すほど、引きずっている。時々、自分でもそう思うことがあるからだろうな。

昔から人とつるむことが嫌いで・・・なんてかっこいい過去はない。人並みに友達だっていたし、ちゃんと人を愛したことだってある。確かに、1人の時間がないと発狂してしまうけれど、むしろちゃんと人が好きなほうの人間だと思う。


けど、無心で、ゴミ袋にガラクタを放り込むように私は、無情にもそれまでの人との関係を断ってしまうことが定期的にある。だから「昔からの」友達だとか親友だとか、そういう付き合いの長い人はほぼいない。そのことに気付く度、あの言葉を思い出すのだ。

「血も涙もない奴だ」


やっぱり、私は何か大切なものが欠けているのかもしれない。なんて、真剣に悩んだ時期もあった。人は嫌いじゃないし、今まで出会った人たちに割と本気で感謝だってしてる。

けどね。やっぱり、ずっと繋がっていようとは思えない。寂しい人間だなって、自分で思うこともあるけど仕方ない。そう思ってしまうんだから。

「使うかもしれないから」と取っておいた化粧品。
「使うかもしれないから」と残していた仕事の資料。
「使うかもしれないから」と結局今期、着なかった洋服。

「また集まるかもしれないから」と残しておいたバイト先のグループライン。
「いつか会うかもしれないから」と残したままの大学時代、好きだった人の番号。
「どこかで繋がるかもしれないから」とフォローしたままの1度も会ったことのない人たち。


全部。もう、いいの。


こんな風に物と人を比べてしまうんだから、やっぱり私には何か欠けているのかもしれない。けど、大丈夫。悲しいときにはちゃんと涙が流れるし、怪我をすれば血だって流れる。少なくとも、涙と血は流れている。だからやっぱり、溜め込んで、思い出にがんじがらめにされるくらいなら、私は身軽でいたい。


だから、私はゴミ袋にかつての愛を放り込んでいく。


だって、そんなに色々背負って生きていけるほど、私はタフじゃない。


ありがとう。さようなら。
もしまた会うことがあれば、どこかで。

私はちょっとあっちへ行ってみようと思うの。

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