自分はこの生活を手放せるか。

 私はいつも不満ばかりだ。


同僚は電話に出ようともしない、ドアのノック音にも反応しない、
電話で話をしているのにマスクをしてくれない、
いつも会議の資料を準備をするのは自分だし、
その資料を社内の掲示板にアップするのも自分。
誰かがやらないといけないから、私がやらなければ同じ思いを誰かがする。
だから自分がやらなくていいというわけにはならないことはわかっている。
それに自分だけと思うことも半人前が思うことなんだろうなということも。

あーなんて損な役回りだ。気が利くって損だなー。(と思ってしまう。)
あの人は注意されても変わらない。言っても無駄だ。
関わらないようにしよう。

でもそう思う自分に対して一番腹が立ってて、
本当はその”できるだけ仕事をしようとしない同僚”が
自分を映している鏡のように思える。

本当は自分も電話なんて取りたくなくて、
ノックの音にも反応したくなくて、
面倒な話には巻き込まれたくない。

私の本音はきっと、
私が大っ嫌いなどの同僚と同じ
なんだ。
そう思ってまた落胆する。

だから転職してみようと思った。
面接にも行った。
でもそこで、自分が今やっている仕事内容とは
かけ離れた内容を提示されて
自分のやりたかったことじゃないと知って
一気に気持ちが冷めた。

面接での自分があまりにも情けなかったことも
その気持ちを大きくしたのだろう。

『どうか私を落としてくれ。お願いだ。』

強く私はそう思った、
気付いたら何度も頭を横に振って、
歩いていた。

もう何も考えたくなくて、帰り道映画を観た。

堂々めぐり

 私はこの環境に慣れてしまっていた。
その同僚がそんな態度で許されているこの職場が、
私にとっても何のプレッシャーもなく居られる場所に
なっていたことに気づいた。
このぬるま湯に浸かっているような環境にいることが
結局は自分にとっても楽だったことに
いざとなったら気づいた。

好きな時に休みが取れて、
定時で帰れる。

私は、”ぬるま湯に浸かって能力がないくせに
偉ぶっている人にだけはなりたくない”と思ってきた。
今でも思っている。でもこの世界から一歩踏み出す勇気が
ない時点でもう私はなりたくなかった人になってしまったのか。

そんなことの堂々巡り。
悩みは尽きない。

もう一つの本音。

でも転職活動をしてわかったことがある。
家族の近く、友だちの近く、職場の近く、
結局この場所が好きだし、仕事以外の時間を充実させたいとも
強く願っている
。楽しいことをしたい。

他人が結婚して、子供が生まれて羨ましいことばっかりだけど、
結局自分が選んできた道を捨てることはできない。
この、一人で自由に好きなことができるこの日々を
自分は好きでいることがわかった
そう思うことができたのはある意味一歩前進かもしれない。


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