せめて、苦しませて
私が、家族と離れて暮らすのは、目的があるからです
行きたかった大学に進学し、やりたかった勉強をして、一人暮らしを楽しむため
家族は私のことを全面的に後押ししてくれて、東京に送り出してくれました
3年間生活してきて、家族や地元が恋しくなることは何度もありました
その度に、私が選んだことだから、と言い聞かせて涙を堪えてきました
泣いちゃだめ、泣いちゃだめ
1人の家で泣くと、涙は止まらなくなっちゃうからね
一昨年の夏、私の地元は台風の影響で大規模な断水の被害に遭いました
復旧するのが遅く、地元の人たちは大変な苦労をしたそうです
私の家や友達の家も断水となり、約1週間は不便な生活が続いたそうです
私は東京でそのニュースを聞いていました
地元が大変な時に、何もできませんでした
断水している以上、地元に自衛隊以外の人が増えることは迷惑になります
何もできずに、家族と連絡をとり、ニュースを見て、大好きな地元で困難な状況にある人たちのことを思い、涙を流すことしかできませんでした
何もできませんでした
しばらく経ってから帰省し、家族や周りの人たちから当時の状況を詳細に聞いたり、被害の痕跡を見たりしました
悔しかったし、悲しかったです
私は、何もできなかった
地元のことが、私は大好きです
暖かくて穏やかで、食べものがおいしくて、住みやすくて、文化と歴史があって
そして、私の故郷であり、私が帰る場所です
私は地元の一員で、地元の人間だと思っていた
でも、私は地元が大変な状況にある時、何も支援ができなかったどころか、地元の人たちが経験した苦しさを共有することすらできなかった
私も、同じ経験をするべきだった
被害の状況を聞く度に、「お前はもうここの人間じゃない」と言われているような気がしました
地元の人間は被害を乗り越えて、生活しています
私は、何も苦しまず、何も乗り越えなかった
地元の人たちの中に共有されているものを、私は共有できていない
あの災害によって、私は故郷の内側の人間と外側の人間との隔たりに気づかされました
地元のことが大好き、私の故郷はここだ、そうは言っても、私は今東京に住んでいます
そのことがたまに私を苦しめます
なぜこのことを今日書いたのかというと、私の祖父が亡くなり、今、私の身内は死とその後の生活に向き合っています
毎日話し合いや手続きが進められ、皆が疲弊しているようです
私も1週間ほどはその渦中にいましたが、大学の授業のために東京に出てきました
毎日かかってくる母からの電話で、話を聞くことしかできません
何らかの手伝いができるわけでもなく、ばあちゃんの傍にいることもできません
私はまた、外側の人間になってしまう
日々それを実感し、自分の居場所が削られているような感覚がします
私がここでできること、それは悲しみ、考えて、それでも自分の目標を大切に歯を食いしばって生きること
きっと、そうですよね
苦しい、苦しい、苦しい
でも、苦しんでいることだけは、できるから
ここで、私は、生きていかなくちゃ
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