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あなたがそばにいれば #7

Yugo

野島次長が久しぶりの海外出張に出かけてしまい、僕の仕事はそこそこてんやわんやになっていた。

僕は部付スタッフで、メンバーは野島次長と超美人スタッフの前田さん、そして僕なのだが、これまで次長が一旦受け止めていた部長の案件というか雑用が直接降りて来る。

結構エグい。相当エグい。

野島次長、こんなのをさばいていたなんて、あなたは本当にすごい人だ…。

なんて感慨に耽っている余裕は、ないのだ。

そんな中、野島次長の奥さんにご飯食べにおいで、と呼ばれた。

次長の不在中は奥さんの弟さんでもある春彦さんが飯番(!)してくれているのだけど、春彦さんが不在の日があるから、飯嶌くんも彼女と一緒にどう? とお声をかけていただいた。

野島家とはもうほぼ家族ぐるみの付き合いである(とはいえ僕はまだ家族ではなくただお付き合いしている彼女、の段階なんだが)。

僕は「喜んで!」と二つ返事で、彼女の美羽を誘って行った。

* * *

「梨沙ちゃーん! はい、あ~ん!」

美羽は子供が大好きみたいで、娘さんの梨沙ちゃんにベッタリだった。

奥さんを差し置いて(?)梨沙ちゃんの口にご飯を運んであげたり、食事が済んだ後もリビングの床で一緒になって絵を描いて遊んでいた。

…僕そっちのけで。

あ、差し置かれていたのは僕の方でした。

「美羽さん、ありがとうね」
「いいんです! 梨沙ちゃんかわいくってもう大好き!」

美羽は梨沙ちゃんの頬に自分の頬を擦り寄せて、キスをして、大変だった。

僕のことは!?

…。

仕方なく僕は…いやいや仕方無くないぞ。

喜んで僕はリビングのテーブルで奥さんと向かい合って座り、しばらく他愛もない話をしていた。

「仕事、忙しい?」
「めちゃくちゃ忙しいですよ~。次長の存在大きいんだなって実感しています」
「あらあら。普段自分で抱え過ぎているのもどうかと思うわね」

奥さんはそう言って笑うと、何かを思い出したように言った。

「そういえば飯嶌くん、遼太郎さんと結構腹割った話したことあるみたいじゃない? 前に遼太郎さんが言ってたよ」
「あぁ、ありましたね。プロジェクトで僕も色々悩んでいた頃でした」
「遼太郎さん、帰ってきて飯嶌くんと飲んで来て、色々話し込んじゃったって。なんかご機嫌だったのよね。何話して来たのかなって」

僕はあの時、次長が "奥さんにもここまでは話したことがないかもしれない" と言っていたのを思い出し、どこまで話したらいいものか、と思った。

「叱咤されてましたよ~。激励はあったかな?」
「ちゃんと褒めてもくれたでしょ?」
「あまり記憶に残ってないですけど多分褒められました」

奥さんはケラケラと笑った。

「あとは次長の…ご両親や弟さんのこと、話してました。それにご自身のことも…」
「家族と…自分のこと?」
「"俺も人と違うなって感じることがある" って。次長ってよく周りからドSだとか言われているから、なんかそういうキツさなのかなって思いましたけど…。あとはご両親のことがすごく嫌いだって…」

僕はなるべく濁したつもりで言った。
奥さんは急に顔色を変えて、そして意外そうに目を細めた。

「そういう話…したんだ。珍しいな」
「あまり人には話さない…っておっしゃってました」
「聞いてビックリしたんじゃない?」
「しました。って言うか、僕はなんて言っていいかわからなくて…」
「そうよね。でも飯嶌くんに話したんだ…」

奥さんはそう繰り返し、少し遠くを見るように切ない顔をした。

「僕、聞いちゃまずかったですか…ね」
「ううん、そんなことないわ。自分で話したんだもの。でもその話、うちの弟は知らないわ、たぶん」
「えっ、そうなんですか?」

「別に仲が悪いわけじゃないのよ。自分で言うのも何だけど、うちの弟、すごくいい奴だから。本当に優しくて思いやりあって。遼太郎さんも冗談で "春彦が弟だったら、俺の人生は全く別物だったろうな" って言ってたし。

でも遼太郎さんは、自分の弟さん…隆次さんのこと、とってもかわいがって大切にしてるの。隆次さんもそれはきちんとわかっていて、だから自分も実家を出てお兄さんを頼って東京に出て来て…割と近くに住んでいるのよ。何かあったらすぐ会いに行けるようにって、遼太郎さんが近くに呼んでね。

それで…うちの弟はなんていうか、遼太郎さんにとってはちょっと優等生過ぎなのよね。自分の内側にある闇の部分を、春彦にはわかってもらえないだろうって思ってるような気がするの」

僕は奥さんが "闇" と言ったことが引っかかったが、まだそこは突っ込むまいと思った。

「え…で…僕がそんな大事な話を聞いちゃったわけなんですか」

「最初に飯嶌くんがうちに来た時に、彼はすぐに察したみたいね。もちろん私はその時はわからなかったけど、すぐに飯嶌くんを自分の部署に呼び寄せるように根回ししてるって言われた時はちょっと驚いて。ただ何となく、あぁ、遼太郎さんがそばに置きたい人なんだろうなって思ったの」

「僕、次長に言われました。"俺には屈託のない人間が必要なんだ" って。それが奥さんであり、僕なんだって」

そう言うと奥さんは微笑んだ。

「遼太郎さんは本当に弟思いなんだけど、自分の弟とは意志の疎通が難しい時があって、会話にはとてもパワーを使うんだって。だから春彦とはすぐに仲良くなってくれたんだけど、さっきも言ったようにしっくり来ないところもあって…。それで飯嶌くんが現れてくれて、きっとすごく嬉しかったのよね」
「僕、そんな大役ですか…」
「重荷?」
「いえ」

不安そうにした奥さんの表情が少しだけ和らいだ。

「しばらくは放してくれないかもよ」
「確かに…プロジェクトが終わったら本配置って言われてたのに、まだ部付きのままなんです。最近は部長案件を僕に任せてくれたりするんです」
「そりゃ大変だ。ますます鍛えられるわね」

奥さんはレモンソーダを一口飲んで、頬杖をついた。
遊ぶ美羽と梨沙ちゃんを見やったようだったが、その目はどこか虚ろに見えた。

次長のことを考えているのだろうと思った。

「奥さん…さっき言われたことが、ちょっと引っかかってるんですが…」
「なに?」

奥さんはにこやかな表情で訊いた。

「さっき、次長の "闇の部分" って言ってたのが気になって」

しかしすぐに厳しい表情に変わった。


#8へつづく

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