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あなたがそばにいれば #6

Haruhiko

不意に姉さんのスマホが鳴り、表情がパッと明るくなった。

「遼太郎さんからだ。向こうに着いたかな」

時計を見ると22時半。ドイツへの直行便だと、確かにちょうど着く頃だ。

姉さんは密やかな声で、愛する人に気遣いの言葉をかけている。

その表情は、身内の僕が言うのも何だけれど、ドキッとするほど綺麗になる。

僕はやっぱりこの2人が…何て言ったらいいかわからないけど、大好きだけど、崇高すぎるんだ。

もしもこの世が終わる時が来たら、2人は寄り添い合い、決して離れず終焉を待つと思う。

このことを考える時、僕は一昨年旅行で行ったボスニア・ヘルツェゴヴィナで、現地で知り合った日本人の女の子から、サラエヴォの紛争について聞いた話を思い出す。

その時僕が考えたことも。

もし姉さんと義兄さんが2人でいる時にどちらかが銃弾に倒れたら…
おそらく2人共、後を追って自ら命を絶つ選択をするだろう

帰国して現地で学んだことを2人に話した時、義兄さんは言った。

『もしも夏希が強姦されるようなことがあったら、俺は容赦なく、自らの手を相手の血で染めるよ』

『ちょっと、怖いこと言わないで』

『義兄さんの気持ちもめちゃくちゃよくわかるけど、その連鎖が悲しい争いを泥沼化させてしまうんだよ』

『だとしても、俺はただでは死なない』

『…姉さんはもし、義兄さんにもしものことがあったら…どうする?』

『…そりゃ、生きていけないよ』

『梨沙がいても?』

『…わからない。道連れにするのか、梨沙一人ででも生きて伸びてもらうのか…』

話が変な方に行ってしまったので、その後は話題を切り替えたけれど、僕が思った通りに、それでも生きていく、という選択肢は2人には無いようだった。

相手が居なくなったら、自分も死を選ぶ。

縁起でもないことだけど、それくらいの激しく強い愛が2人の間にはあって、手が届かない気持ちになる。

静かに電話を切った姉さんは、今日一番穏やかな顔をしていた。

「義兄さん、なんだって?」
「今フランクフルトに着いたとこで、2時間のトランジットでベルリンに向かうって。ホテルには遅くに着いて、明日は朝から会議で、結構ハードみたい。大丈夫かな…。ハルにもよろしくって」

まるでスマホの中に義兄さんの残像でもあるかのように、愛おしげに眺めている。

「遼太郎さん、本当は今日は隆次さんのとこ行く日だったのよね。それも気にしてた」
「木曜だったっけ」
「うん。隆次さんね、ちゃんと病院に通って薬も飲んで、最近はすごく落ち着いてるって、遼太郎さん言ってた。それでも木曜の会社帰りと、たまに休みの日の昼過ぎとか夕方に梨沙も連れて様子見に会いに行ってるのよ」
「そっか…良かった」

隆次さんとは、義兄さんの弟。さっき話に出たASDの彼だ。
歳は僕の1つ下。だから僕は “隆次くん” と呼んでいる。

僕も一度、義兄さん立ち会いの元で隆次くんと話したことがある。

その時は隆次くんも高揚していたようで、膨大に語っていた。その熱量に正直圧倒された。

義兄さんを一旦追い出して僕に『相談がある』と言われて驚いた。

義兄さんに腕時計をプレゼントしたいけど、良い物を選ぶ自信がないから一緒に選んで欲しいと言われた。
何でもそれまで義兄さんが使っていた腕時計を奪ってしまったから、とか。

僕は嬉しくて一緒に買いに行く約束をしたけれど、後日になると義兄さん無しに外に出てくることが出来ず、彼の部屋でネットショップで一緒に選んだ。

『スマートウォッチとかどうだろう』

僕が提案すると隆次くんは即座に首を横に振り

『あぁ言うのは兄には似合わない。品格がある物でないと絶対だめ。当然成金ぽいのも絶対だめ』

と強く言い放った。

結局、ドイツの『A.LANGE & SÖHNE』というメーカーの『GRAND LANGE 1 』のピンクゴールド、ちょっとかわいさもあるこの時計がいい、と言い出した。

『え...、これ、そこそこいい車買える値段だよ?』
『それが何か? お金ならありますよ』

僕は驚いて声が出なかったが、隆次くんは何の躊躇いもなく購入ボタンを押していた。

隆次くんも満足したようで、僕に「ありがとうございました」と言ってくれた。

良いものを選ぶ自信がない、と言っておきながら、結局僕よりも義兄さんのことを理解して選んだ最高のセンスを彼は持っていた。

お値段も最高だったけれど…。

あの腕時計、僕は渡すところに立ち会っていないけれど、後で話してくれた時の義兄さんの

『これ、かわいくないか? 隆次がくれたんだよ』

としみじみと噛みしめるようにプレゼントの腕時計をはめて眺めていた喜び方は印象的だった。

値段を知ったら、義兄さんはどんなリアクションをしただろうか…。

「隆次さん、遼太郎さんのことは素直に話を聞くみたい。本当に大好きなんだよね、遼太郎さんのこと」

僕は大きく頷いた。

「梨沙が生まれた時もみんなでここに集まったじゃん。あの時も隆次くん、ガッチガチに緊張して、義兄さんのそば離れなかったもんな」
「そうね。梨沙を抱っこする時も直立不動で泣きそうな顔してたもんね…。この後隆次さんにも電話するって言ってた」
「優しい兄さんだなぁ、ほんと」

うん、と言って姉さんは頬杖をついて、またスマホを眺めた。

もう姉さんの心は、ここではない所、地球の反対側へ飛んで行ってしまった。



#7へつづく

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