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トラウマの先の平和を繋げていく。続けていく。

仕事が終わって車に乗り込む。ハンドルを握ろうしたが、暑くて素手では握れない。車内は息を吸い込むのも躊躇してしまうくらいに、むわっとしている。
今年の夏は暑い!
毎年、8月のうだるような暑さの中、思い出す『原爆の記憶』

去年の8月のnote。
被爆者だったおじいちゃん。
私から見た原爆の記憶を書きました。
つなげてもらった命を大切に繋げる|土居和子|note


テレビで、原爆や戦争についての特集が増えるこの時期。
誰に言われた訳でもなく、小さい頃から「私が原爆の記憶を未来に継承していくんだ!」と、ずっと心に決めて生きて来ました。
幼いながらも、おじいちゃんが原爆を生き抜いてくれたおかげで、いただけた自分の命にずっと感謝していました。
そして守り抜いてもらったこの命を、平和の為に少しでも貢献させなくては!とずっと考えて来ました。

『原爆の記憶』は私の人生にとってどんな影響を与えているのか?

動物が大好きだったおじいちゃん。
犬(ワンコロ)や猫(ニャンコロ)も大好きで良く可愛がっていましたが、孫の私も「カッコロ。カッコロ」と、よくよく可愛がってくれた優しいおじいちゃん。

そんなおじいちゃんが台所でおばあちゃんが大きな音を立てるたびに、決まって大きな声で怒鳴るのです。
「なんしょんね!!バカか!!お前は!」
シンクで食器がガチャンと音を立てただけで。
毎日毎日怒鳴るのです。
そんなおじいちゃんが私は不思議でたまりませんでした。。。

最近思うのです。
おじいちゃんは原爆『ピカドン』を体験し大きな音を聞いただけでその時の「驚愕」「恐怖」「痛み」「不安」「無力感」・・・様々な感情が押し寄せて、それが咄嗟に「怒り」として溢れ出ていたのではないか、いわゆるフラッシュバックを起こしている状態だったのではないか?

フラッシュバックを引き起こすトラウマ記憶。
ただ過去のことを「あんなこともあったね」と思い出すのではなく、感情や感覚と共に侵入的に押し寄せる『原爆の記憶』におじいちゃんは長い間苦しんでいたのかもしれない。毎日。毎日。。。

昨日、岸田総理大臣は広島出身の総理大臣として初めて、NPT(核拡散禁止条約)の会議で「ヒロシマ・アクション・プラン」を演説されました。
世界の若者が被爆地(広島・長崎)を訪問できるように国連に基金を創設するというプランが盛り込まれていました。
世界規模で平和を考える機会を作る『行動する力』
被爆三世の私。そんな大きな動きを作り出すことに心からすごいなぁと感心しました。

トラウマ記憶は遺伝子に刻まれ、その後の命にも繋がっていくという研究結果もあります。被爆三世の私の中、私の遺伝子には『原爆の記憶』がある。
この記憶を生かすも殺すも自分次第。

私には世界を揺るがす大きなムーブメントは作り出せないけれど。夏には毎年、平和について、戦争について、核兵器について自分なりに考え続けていきたい。

今年も8月6日に平和公園で手を合わせる。
6日のヒロシマを身体いっぱい感じ取り、心はざわざわ、身体はそわそわ重くなる。今年も涙が心から込み上げてくるだろうか。
昔はこの感覚が嫌で、6日のヒロシマには近づけなかったわたし。
今ではそれも誇らしい。『原爆の記憶』の感度OK。

今年もnoteで発信できた幸せ。
読んでくれて、一緒に考えてくれて、ありがとう。
みなさんとこども達と、わたし達の未来に平和が続いていきますように・・・。


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