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甘え

昔から可哀そうがられることに嫌悪感があった。
あわれみは見下しだと感じて、それをはねのけるのにガムシャラだった。
勝ち気はなくとも負けん気はいつもあって、頼らず自分でやり切ることを美徳にしているところは今もある。

私のプライドはむくむく育って、いつの間にか他人にヘルプを出すのが苦手になってしまった。
そしてだいたい、結構限界だなーと思いながらも、無理をしながら何とか収めてしまうから、余計良くない。

でも、本当はずっとぐだぐだに甘えたいし、心の許せる人には反動で、重たい鎖をかけるように心を傾けてしまって、それで負荷をかけてしまうこともあった。

もっと肩の力を抜いて、他力本願になってもいいのかもしれない、と近頃は思えるようになった。
私たちは思っているより無力で、知らぬ間に甘えあって頼りあって生きている。
甘えないということは、そのぶん人を寄せ付けにくくするし、おごりの心がむくむく育っている。

この社会で生きていると、どんなに美しい力を秘めていても、勝手に奪われたり、うまく使えないようにされている。
どれだけ頑張っても、自分だけだとどうしようもないことが多い。
だから、人はそれぞれの異なる力を出し合って、頼りあって助け合う必要があるのだろう。

うまく甘えることは、ずるいことでなく、生きていくために必須の力なのかもしれない。
力の範囲と弱さを認めて、もっと素直に欲しがって、甘えられるようにならないとな、と思う。

だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時期にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

ヘブライ人の手紙4:16(聖書 新共同訳)

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