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満たされなくてうれしい

マスクをようやく外すようになって、そういや私は大きな口がコンプレックスだったことを思い出す。


自分の顔はそれなりに愛しているつもりだし、私のこの顔が好きな人もそれなりにいるのもわかる。

でも、もう少しこうだったらなぁ、と意味のない仮定を作りまくる。



私はよく言えば向上心が高く、言い換えれば欲しがりというか、プライドが高いというか、足るをそんなに知らない人間だ。

やってもやっても、褒められても目に見える結果になっても、どこか満足しきれない気持ちが、ずっと居座っている。


でも、そもそも満杯にしようとするのが間違っているのかもしれない。とふと気づいた。


程よく自分に不満でいる方が、へんに威張らずにいられていい。

頑張らないといけない理由がいつもあることは、私がサボらないためにいいことだろう。

人は完璧になれないのだし、完璧な生き物はもはや人ではない何かではないか。


ただ、満足しない心は、満足しなさすぎると怒りとか蔑みにつながる。
程よい肯定もたまには必要なのだろう。

それに、悩んでもどうこうできないものは、求めても先がないのだから、抱えない方が楽になれる。


私が前向きに進み続けるために、正しくないものを正そうとするために、ハングリーでい続けたい。


ちなみに、少し太ったのもあって、ご飯を腹八分目に食べるようにクセづけしつつある。
後からお腹がすいちゃって、おやつをコンビニで買っちゃうけど。

わたしは口を大きく開き、渇望しています。 あなたの戒めを慕い求めます。

詩編‬ ‭119‬:‭131‬ (聖書 新共同訳)

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