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なぜ野球部だけ、高校をあげて応援しにいくのか?

今回の日刊かきあつめテーマは「#素朴な疑問」だ。

個人的に、そのことに不満は無かった。

中学校からの親友は部長だったし、監督は1年生時の担任。部員にもたくさん友人がいたから、普段は見れない彼らの勇姿に心躍った記憶がある。

それにしても、なぜ野球部だけ、高校をあげて応援しに行くのだろうか?


夏。甲子園出場を目指す野球部を応援するために、多くの生徒が球場に集まる様子を毎年目にする。私の学生時代も例外ではなく、野球部を応援するため県内の野球場に行った。普段は野球を全然見ない友人も、この日だけは応援に来ていた。

「なぜ野球部だけ、高校をあげて応援しに行くのか?」と検索してみても、正確な答えは見つからなかった。

「運営組織が高校野球だけ違う」というそれっぽい答えがあったが、それだけでは「なぜ応援に行くのか?」が説明できない。

これはもう「高校の文化」ということで納得するしかないように思う。修学旅行に対して「なんで京都ばかり選ばれるのか?」と唱えることが野暮であるように、「修学旅行といえば京都」「部活の応援といえば野球部」とアイコニックな存在になっているのだろう。

しかしその結果、「高校の青春ど真ん中=野球部」というイメージが出来てしまっている。

応援に来ている彼らだって、自分の部活がある。高校3年生の夏ならば、大学受験に向けて勉強に集中したい時期でもある。

野球のルールも分からず、応援席の隅っこで応援している彼らにだって青春はあるのだ。


そんな彼らを題材にした映画が『アルプススタンドのはしの方』である。

アルプススタンドとは、甲子園球場にある内野席と外野席の間のことを言う。高校野球の時にはその席が、白いシャツやユニフォームで一面白くなる様子をアルプスの雪に見立てたことが由来らしい。

つまりこの映画は、応援席のはしっこの方で応援している人たちを描いた青春物語だ。野球のルールを知らない演劇部の安田と田宮に、帰宅部で成績優秀な色白女子・宮下、元野球部・藤野。

この4人が、応援席で野球を見ながら、試合が進むにつれてひとつ、またひとつと、青春真っ只中の彼らが抱える悩みや葛藤、想いなどが展開されていく。

高校野球が舞台の映画にも関わらず、グラウンドが映されることはない。観客席の会話だけで試合展開を見せていくのが面白い。

この映画を見ていると「なぜ応援するのか?」と考えることは野暮なことだと気が付く。

青春にはど真ん中があれば、端っこもある。しかし互いに蔑んだり、妬んだりすることには何の意味もない。

それよりも頑張っている人を応援する、困っている人を助ける。足を引っ張りあうことなく、今この瞬間を過ぎ去る青春に全力で挑むことが、一番意味のあることなのだ。


高校野球が好きな人はもちろん、応援に連れていかれた苦い思い出がある人にもおススメの映画。
彼らの姿を見ると、誰かを応援したくなってくるに違いない。

編集:アカ ヨシロウ

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