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まともじゃないのは先生も一緒

「先生になりたい」という人が苦手だ。

厳密に言えば、学生の頃から先生になりたいと思っていて、そのまま先生を目指すような人だ。
一度他の仕事を経験したうえで、先生になりたいという人であれば、むしろ良いなと思うのだが。

学生の頃から先生になりたい人たちに理由を聞くと、親の影響だとか、担任の先生に憧れたとか、そういう類の話ばかりだ。

はっきり言えば「発想力が乏しいな」と思ってしまう。これまで生きてきた「学校」という狭い世界が、社会の基準だ、と勘違いしてしまっていないだろうか。

かつて数学を教わった先生、仮にY先生としよう。彼も学生の頃から先生になりたくてなった人だった。

Y先生は初老の男性で、物腰が柔らかく、不良学生たちを相手にする時もニコニコしていた。チョークの粉がかかるからと、授業はいつもジャージを着ていたのを覚えている。

授業は面白くもつまらなくもなく、淡々と教科書を進めていくタイプだった。テスト問題は基本ができていれば合格点を取れるもので、今思い返せば、頭のいい人だったんだなと思う。

そんなY先生が一度だけ目を見開いて不良たちを𠮟りつけたことがある。

不良たちが授業中に寝て居ようと、ましてや欠席でも気にしないY先生だったが、その日は不良たちが突然授業に入ってきて、授業の邪魔をしたのだった。

不良たちの前に仁王立ちになって「出ていきなさい!」と叱るY先生はいつもとは違う迫力だったが、チョークを持つ右手は小刻みに震えていた。

「君たちは普通に勉強できないのか!」と怒るY先生に、「声震えてんじゃねーか」と揶揄する不良たちだったが、いつもと違うY先生にすっかりシラケてしまったようで、あっさり教室から出ていった。

当時は「Y先生やるな~」と感心したのだが、今振り返るとY先生が言っていた「普通」という言葉が引っかかる。

友人がY先生に「なんで先生になったのか」という話を聞いたことがあった。Y先生は学生の頃に、数学の先生から数学の楽しさを教わって、自分も同じように数学教師になろうと思ったのだそうだ。その後、某有名大学を出て、そのまま数学教師になったらしい。

決して授業を邪魔した不良たちを擁護するわけではないのだが、彼らは彼らなりの理由があったのではないか。

いつもは授業中無害な不良たちが、突然授業中に入ってきて邪魔をするという莫大なカロリーを消費する行動に出たのだから、何か理由があったに違いない。
ただ単にむしゃくしゃしていただけかもしれないし、もしかしたらY先生に数学を教わりたかったのに恥ずかしくて言えなかったのかもしれない。

真相は分からないが、その理由を考えることなく「普通じゃない」というだけで締めだしてしまったのは、いかにも「学校で生きてきた先生」らしい行動だと思う。
社会に出て色々な人に会えば「普通」だと自分が思っていたことは、実は「普通じゃなかった」ということはよくある。Y先生の「普通」というモノサシは、あくまで学校の中でしかない。

「まともじゃないのは君も一緒」だ。

違う、Y先生のことを言いているのではない。そういうタイトルの映画を観て、この話を思い出したのだった。

この映画に出てくるのは不良と教師ではなく、普通の女子高生と普通を知らない予備校講師。普通の女子高生・香住(清原果耶)が、数学一筋でコミュニケーション能力ゼロの予備校講師・大野(成田凌)に「普通」を教えていくラブコメディだ。

香住は憧れの青年実業家・宮本とお近づきになるために、「普通の恋愛」がしたい大野を利用して、大胆な作戦に出る。

この映画には「普通」というセリフが54回出てくるのだが、普通という言葉が増えていく度に、香住自身が普通という言葉にがんじがらめになっていく。普通だと思い込んでいた香住が、どんどん崩壊していくのが面白い。

普通というのは、あくまでその人が持っているモノサシでしか測れない。そのモノサシに当て込んで、相手をどうこう言うことの滑稽さがこの映画には溢れている。

じゃあどうやって相手と向き合ったらいいの?という答えは、ラストシーンで香住が宮本に向かって叫ぶ言葉に含まれている。


学校で当たり前のことが「普通」ではないし、自分が普通だと思っていることだって普通じゃない。普通からズレることで生まれる面白さが詰まったこの映画、Y先生も観てくれてると良いのだが。

文:真央
編集:アカヨシロウ


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