発達障害✕教育実習

あくまで個人の経験・考えです。
全ての発達障害の人に当てはまる内容ではありません。
参考までに、今の自分の障害は、服薬していれば正職員として働くことができ独居も可能な状態です。


教育学部卒業の私は、大学生の頃に教育実習をさせていただきました。
これは、とある小学校で5週間にわたってお世話になったときの経験談です。



実習前のあいさつ

教頭や担当教員からの第一印象は良かったと聞いています(人づてに聞きました)。
当時は自分が発達障害だとは思っていませんでしたが、その気になればカモフラージュができたようです。(カモフラージュは疲れるので現在はあまりやりません)
部活の経験もあるため、あいさつはある程度身についていたのかもしれません。

※カモフラージュ…周囲に溶け込もうとして、自分の発達障害特性を隠すこと


実習中(授業)

相手が子どもとはいえ、大人数を前にして話をするのは毎回とても緊張しました。
事前に作成した指導案を見ながら授業に臨んでいるつもりでしたが、手順をとばしてしまうことも多々ありました。
今も当時も忘れ物が多く、授業に使う道具を家に忘れてきたときは担当教員が「何やってるの…」とため息をついていました。
担当教員から呆れられることは何回かあったように思います。

実習中(休み時間)

休み時間は、特定の子たちから誘われて一緒に遊ぶことが多かったです。
いろいろな子とかかわるために主体的に動くことができなかったためかと思います。
のちに「あなたはイエスマンだから、ノーを言うことも必要だと思う」と言われる経験もあったため、断ってもいいという発想がなかったかもしれません。
ひいきをしているつもりはなかったですが、周りから「いつもあの子たちと遊んでる」と思われる可能性には気づけませんでした。

実習日誌

実習日誌には感想を書く欄がありました。
もともと、中枢性統合の弱さや言語化の苦手さ、表出の苦手さから作文を書くことが非常に苦手だったので、実習前から恐れていました。
苦戦しながら、それでも自分なりに書いていたつもりでしたが、ある日担当教員から「これは感想になっていない」というようなことを言われ、書き直しを求められました。
衝撃的だったので、言われた内容が理解できませんでしたが、その場で質問をするという発想もなく、控室に持ち帰りただただ手が止まったままでした。
誰かに相談するという柔軟な行動はできず、教職員の皆さんが退勤されて教頭先生が見回りに来るまで、何も書けませんでした。

実習中(給食)

ある日、月経痛と眠気、疲れから、給食準備の時間に席に座ってしまうことがありました。
言い訳としては、席に座って給食を待っている子たちとかかわりを持とうという考えもありました。
当然のことかもしれませんが、担当教員から「お客さんじゃないんだから!」と怒られてしまいました。
このときに凍りつき状態に入ってしまった経験は、社会人になってトラウマセラピーを受けている時期にフラッシュバックします。

※凍りつき…恐ろしい出来事に直面したときに、頭が真っ白になったり、体を動かせなくなったりする状態。ポリヴェーガル理論の用語。


実習最終日

最終日に振り返りを行っているときに、担当教員から「もっといろいろな経験をした方がいい」と言ってもらえました。
これは、実習終了後から10年以上経過した今でも、パートナーから言われます。
いろいろな角度から考えることが苦手で、視野が狭くなりやすいからだと思います。
その後は、いろいろな経験をとも思って、やったことのない分野のアルバイトをしました。

実習終了後

実習終了後に小学校へレポートを提出すると、小学校から評価を送っていただけました。
「もう少し意欲的になった方がいい」というようなことが書かれていました。
理由はたくさんあると思いますが、声に抑揚がなかったり表情が乏しかったり、主体性がなく全体的に気づきが不足していたこともあったかもしれません。
当時は、なぜそのような評価になってしまったのか理解できませんでした。

まとめ

給食準備中は準備を手伝うといった、「そのくらい当然わかるでしょう」と思われるようなことがわからないのは今でもあります。
実習日誌もそうですが、大学の普段の講義のレポートも書き方がわからず苦労しました。作文の苦手さに対しては小さいうちから支援を受けていたかったなと感じます。
忘れ物をしないための対策も学んでおきたかったです。
自分では頑張っているつもりでしたが、周囲から見ると意欲的に見えなかったようです。

発達障害当事者やそのご家族、支援者の方にとって何かヒントになれば幸いです。
ご質問があればコメントをください。


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